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僕の疑わない花嫁


 どうか迎えに来てねと、君は言った。それでも僕にはやっぱりわからないよ。だって僕はきっと、君を捨ててしまったんだから────。




 一人ぼっちで皮肉屋でプライドばかり高い僕の、その唯一の趣味は絵を描くことだった。一人で頭を悩ませるだけのそれは、とても僕にぴったりで、当面の問題は描き終わった絵をどうするかというものだけだった。そう、僕の生きていく上での問題は本当にそれだけだったのだ。逆に言えば、それが全てだったと言ってもいい。

 本当は誰かに見せて、買ってくれる人を見つけたかった。でも僕は一人ぼっちだったし、皮肉屋で自分の絵なんか売れないと思っていたし、売れないものを売ろうとするのは僕のダイヤモンドほど高貴なプライドが許さなかった。

 だから僕はそれを、出来て一週間ほどで火にくべなければならなかったんだ。なんせ僕は、周りに絵を描いていることさえ知られたくなかった。だってそんなことを知られたら、みんな僕を女々しいやつと嘲笑うに違いないし、それはやっぱり僕の壮観なほど高いプライドが許さない。

 それでも僕は絵を燃やすときには悲しくなって、それから、ああ僕が絵を描いていることに気付くような人なんていないんだったと後悔するのだった。

 僕は一人だった。もしも今僕が死んだらみんな首をかしげて、愛想笑いをするだろう。「ああ、あの人? いい人だったのに。惜しい人を亡くしたね」と。そして二、三度頷いて、すぐに違う話をしようとするだろう。人は、自分が知らない話題が続くのは嫌いなのだから。

 いつもそんな風に自虐的に考えて、皮肉屋らしく笑っていた。別に誰に見せるでもない、だけど余裕たっぷりに。

 その絵を燃やさなかったのは、ただの気紛れだった。否、気が進まなかったのだ。だってあれは、初めて描いた人間の絵だったから。僕と同じくらいの女の子が、伏し目がちに微笑んでいる絵だった。

 誤解しないで欲しいんだけど、僕は別に孤独で頭がおかしくなって絵の中に友達を造り出したわけじゃないんだ。

 その絵にはモデルがいる。いつも僕の家の近くを散歩している女の子で、なんだか僕と同じように一人ぼっちの顔で絵を描いている、そんな子だった。これ以上は聞かないでほしい。わかるだろう、それくらい。

 それだから僕は、その絵を燃やすことができなかった。仕方がないので放っておいて、僕は新しい絵を描くことにした。

 新しい絵は青い世界で、赤い花が咲くんだ。赤い花は何かを奪う。大切な何かを奪い続ける。ああ、罪深いものとはなんて美しいのだろう。

 その時、ころころと鈴が転がるような声が聞こえた。まるでこの世に生を受けた歓びを凝縮させたような楽しげな笑い声だった。

 僕はぎょっとしたけれど、怖くはなかった。きっと、ずいぶん誰かの声を聞いていなかったせいで人の声の温かさを忘れていたのだろう。僕はその笑い声に、感動さえ覚えた。

 笑い声が止みしばらくして、僕はハッとした。そして今度こそ怖くなった。こんな幻聴を聞いてしまう、僕自身が。そう、その時は幻聴や夢の類いでしかなかったのだ、彼女(・・)は。

 物置に入ったのは、ただペンチを探すためだった。僕は一人で皮肉屋でプライドが高かったから、誰かに物の修理を頼むことは稀だったのだ。

 物置にはあの絵が置いてある。僕がある女の子をモデルに描いて、どうしても燃やせなくなってしまったあの絵だ。


「あのぅ、鏡なんてありませんの? あるじ様」


 それはちょうど、絵の前を横切ったときだった。ころころと鈴が転がるような笑い声に惹かれ、僕はその絵を見る。

 彼女は身を乗りだし、少しかしこまってまた言った。


「鏡を見せてほしいわ、あるじ様。わたくし、あなたがどれだけわたしのことを上手に描いたのか見てみたいの」


 おかしな女だ、と僕は思う。かしこまった口調に慣れていないのだろう。言い終わったあとにクスクスと笑って、彼女は首を横に振った。


「ああ楽しい。この世界って、なんて楽しいのかしら、あるじ様。わたしを造り出してくれて、本当にどうもありがとう!」


 僕はその日、ちょっとだけ世界が好きになった。




 彼女はなぜだか、上半身しか出てこられないようだった。それを彼女は、僕が上半身しか描かなかったからだと責めたけれど、それだってどうすればいいのか。紙を継ぎ足せばいいのだろうか。そんなことを言うと彼女は、


「“紙”だとか“継ぎ足す”だとか、あるじ様はぜんぜんロマンチックじゃありませんのね。それだから好きな子に振り向いてもらえないんだわ」


 と楽しげに言った。余計なお世話だ。

 それから彼女は、温かいレモネードティーが好きらしかった。僕は冷たいミントティーが好きだからしつこく勧めたのだけど、彼女はまた今度と言って聞き入れなかった。しかしどうやら、本当にまた今度試す気はあるらしいのだ。ただ都合よく忘れてしまう。彼女にはそんな、おおらかなところがあった。

 僕は彼女に、鏡を見せることはなかった。僕は何よりも皮肉屋でプライドが高かったので、彼女が自分の顔(僕が描いた彼女の顔だ)を気に入るとは思えなかったし、気に入らないと言われるのは僕の東京タワーより高いプライドが許さなかった。

 だから僕は悩んだ末に、彼女のモデルになったあの女の子の写真を持ってきて見せようと思った。彼女ならきっと、


「あらまるで写真のようですわね、あるじ様」


 なんてすまして言うに決まっているのだ。

 しかしその計画には一つ、大きな問題があった。言うまでもない。あの子の写真を撮ることである。

 だが正直に言うと、僕はそれほど危惧していなかった。否、ほとんど考えていなかったと言ってもいい。

 僕は久し振りにさんざめく光の中を歩いて、あの子を探した。

 もちろんすぐに見つかったよ。だってあの子は僕にとって、特別だったから。だからすぐに見つかったさ。少し背の高い男の子と歩くあの子が。

 僕がなんら危惧していなかったというのは、家に彼女がいたからだった。僕は無意識に、彼女とあの子を同じだと思っていて、だから僕はあの子に話しかけることができると確信していたんだ。

 でもそれはとんだ間違いだったのだと僕は知った。それでもうどうしようもない気持ちになってしまって、僕は家に帰った。彼女を燃やしてしまおうと思った。あの子と違う彼女は、無いものと同じのような気がしたんだ。そう、僕は馬鹿だった。

 僕が額をしっかり持つと、彼女はいつもよりも複雑な色の笑みを浮かべて言った。


 どうか迎えに来てね。


 そして目を閉じて、僕に口付けした。僕も目を閉じて、ぼんやりする頭で一生懸命に考えていた。それはまるで、子どもが好きな色の絵の具を全部ひっくり返したようなキスだった。

 目を開けると、彼女は絵に戻っていた。

 キスをしたままで、目を閉じた無防備な表情。まるで僕が彼女を騙したりなんてしないと、信じきったように無防備な。

 その日から、彼女が絵から出てくることも、話すことも、鈴のように笑うこともなくなった。そんな日が続いて、僕はやっとわかった。

 やっとだ。本当にやっと。

 あの子と彼女が違うということはつまり、彼女はこの世界に二人といないのだということ。

 僕はしっかりと、彼女の足先まで描いてやることを決意した。足先まで描いてしまうと、僕は彼女にウエディングドレスを着せることにした。

 白い花畑の中に眠る、疑わない花嫁を。レモネードティーが好きで、どこかおおらかな女の子を。迎えに来てと震えた声で言った、本当は寂しがりな彼女を。

 僕はもう何年も何年も描き続けている。

 それでもごめんね。君を迎えにいく方法を、僕はまだ見つけられないでいるよ。

 二次元との恋ってすばらし(ry

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