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ROYAL BOUNTY  作者: アオキチ
リンプイン監獄

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生物の標本箱

 俺の名前が、思い出せない。

 記憶がない。


 ——ここはどこだ?

 ……それだけじゃない。


 目覚めた瞬間、視界は霧に覆われていた。月光が滲み、焦点が合わない。


 鼻を突くのは、石の冷たい臭いと、わずかに残る石鹸の香り。背中に触れた壁が、やけに冷たい。


 自分を見下ろす。

 清潔な布地に紋章の刺繍。


 視線を上げる。

 鉄の扉が固く閉ざされている。


「貴公が、『神秘の賜物たまもの』からの来訪者だな」


 急に心臓が膨らんだ。目線だけは反応したが、体を動かすことができない。

 何て言ったんだ? 


 声がした。部屋の隅、月光の届かない闇の中に、『それ』はいた。

 ……誰だ?


 「新品の……生物なまもの?」


「我の名はローシャ・オンズ。聖王国の老兵である。貴公、名は何と名乗る」

 口を開く、だが。何も出てこない。


「名前が、分からない」

「名が分からぬと、導かれた衝撃で魂を摩耗したと見たが、あるいは……」


 視界が闇に慣れていく。ゆっくりと浮かび上がるのは、鳥の頭を持つ異形の姿。ガリッ、と硬質な爪が石を掠った。

 人ではない。その瞬間、背筋が冷えた。


「あっ、何者ですか!? ここは実験施設で、俺もバケモノにされるのか!?」


「我はワシの鳥人。そしてここはリンプイン監獄だ」


 監獄。その言葉だけが、やけに鮮明に響いた。今の俺には到底呑みこめない。


「……かくしてこの胸の古傷は――」

「俺、帰れないんですか?」


 思わず遮った。ローシャは、わずかに眉をひそめる。


「物語の佳境であったというのに、歴戦の騎士の話を最後まで聞けぬとは、貴公はつくづく不幸な奴だな。帰る道など今のこの地にはない」


 その一言で、理解した。

 ここは――終わりの場所だ。


「価値を示せ、貴公。使えぬと判断されれば"解体"される。それがここだ」



 それでも、終わるつもりはない。

 ……そう決意したはずなのに。

 意識が、落ちた。



 深い闇のほうが、現実を見なくてすんだ。次に目覚めた時が終わりであってほしいと願い、泥のように体を沈める。


 だが現実は、そんな安息を踏みにじる。

 脳を震わせる重低音が鼓膜を突き抜け、意識を強引に引きずり出す。瞼を刺す鈍い青が、逃げ場のない現実の扉を叩き鳴らす。


「……ぁ」


 声にならない拒絶が喉に詰まる。起きたくない、まだ眠らせてくれ。


 だが、壁に刻まれた伝導路が青く点滅するたび、心臓が暴れ出し、容赦なく最悪の朝を告げる。


 震える指先で耳を塞ごうとした瞬間、肩を無造作に、しかし力強く叩かれた。


「起きろ。武勲の続きを聞く覚悟はできたか」


 視界の端に、昨日と同じ異形の姿。


 月光の混濁でぼんやりしか見えないが、朝日の下では翼が砂漠の砂や古い羊皮紙のような淡いベージュに光る。

 角度によって鈍い金色にもなる。


 ローシャは、俺が縋り付こうとした眠りも、この場を支配する不快な音も、最初から存在しなかったかのように淡々としていた。


「なんですかこれ、何が。起こって」


 混乱と吐き気が渦巻く中、問いかける俺に、ローシャは表情ひとつ変えず答える。


「起床の時間を告げておる。今は考えるな、皆の行く先について来い」


 重い駆動音とともに鉄扉が解き放たれる。立ち上がる気力すら奪われた腕を、ローシャは迷いなく引いた。


 周囲では欠伸をする者、体を伸ばす者、そして多種多様な種族が混ざり合い、通路に流れ出していく。


 逃げ場だった眠りは、もはやどこにもない。鷲の頭の背を追うように、リンプイン監獄に組み込まれた一日の始まりへ足を踏み出した。


「貴公も災難だったな。気休めだが一日中牢にいるわけでない、日の出に起床し日が沈むまで作業する、後は自由行動がある。就寝時間までには牢にいれば良い」


「いつここから出られるんですか?」


「その時が来ればな」

「その時?」

「価値を示せぬ者に、その時は来ぬ」


 軽やかに足を運ぶローシャの助言を呑み込んでいる最中、異物が引っ掛かる感触があった。


 自由の手だけは決して届かぬ終焉の地、その片隅に何かが一瞬、煌めく。


「いずれ分かるであろう。ここには色んな種族がいる。生き方や知識、経験を学べば今後役に立つやも知れぬぞ。早速だが武勇伝の続きを語ろう」


「今は止めときます」


 舞台を整えた公演を急遽中断された老兵は短く唸り、目を細めた。


「ならば監獄内の利用施設を教えてしんぜよう。監獄と言っても色々施設があるからな」


 最初は混乱していた。

 気づけば一方的な案内に押し流されていた。抵抗する気力すら、もう残っていない。案内に足並みを揃えた。


 正門に繋がる広場。陽光を遮るほどの影が落ちていた。牛じみた頭部の人型。

 視界を塞ぐほどの巨体は、前を歩く異形と同じ部類だ。


 動かない。ただ、立っている。


 身体には、爪痕や傷跡が刻まれている。膝に置かれた戦斧に太い指を添え、半分閉じた瞳で遠くを見ていた。


 囚人……なのか。

 あの巨体に武器を許されているというのに、古樹のように、足に根を張ったまま朽ちかけている。


 あの目には、何が映っている?


「あの練兵場の正門に鎮座しておるのが牛の獣人、"元"探検家だ」

 前を行く声が、静かに告げる。


「正門を背に、完全無欠の監獄からの脱獄を、その身一つで阻み続けておる。この監獄の歴史、その一部と化した存在だ」


 喪失した、あるいは奪われたような、籠のなかで飼われてる。

 練兵場から目をそらし、ローシャの背を追った。


 何気なく視界に入った窓を覗いた。サイドダウンに片側の肩へ流された艶やかな髪に柔らかな毛並み、そして身体のラインを優雅に描く司書服の美術品――いや、女性が座っている。


 こちらに気づくと、オクタゴン眼鏡の奥から慈しむような微笑を浮かべ、羊皮紙を片手に優雅にゆっくり手を振る。


 ――美しい。


 その成熟した美しさに心臓が跳ねた。だが、眼鏡に反射した光が彼女の瞳を一瞬隠す。


 こちらを観察するような獣の間合い。俺の首筋に、硬直と緊張がなぞる。新種の標本を眺める学者のようでもあった。


 見えない外堀が作られ、囲われて標的にされた、獲物を見つめる目だ。



「図書室におるのが、猟虎ラッコの獣人だ。博識な研究者であり、この監獄の"知"そのものと言っても過言ではなかろう」


 この清潔さと開放感が、かえってこの場所の異常さを際立たせている。



「行動範囲は訓練施設、図書室、練兵場、食堂であるな。皆習慣化して通っておる」


「ここは、本当に監獄なのか? 俺の知ってる監獄じゃない」


 何より多様な種族がそれぞれの分野で、『国家の資産』として完成されているのを知り、言葉を失う。ここは飼い殺しされている、巨大な生物の標本箱みたいだ。


 俺も、監獄の標本に並べられるのか。

 ――逃げ場は、どこにもないのか?

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