Vol.069【情報収集】
2016年8月9日 PM7:20
池谷「遅くなりました……すみません!階層別研修が長引いちゃって。正直、うちみたいな会社にはあまり意味ないんですけどね。」
篠原「いえいえ、大丈夫ですよ。人事部もそれはそれで大変でしょう。」
池谷「“組織の底上げ”なんて言いますけど、やってる側からすれば“やらされ感”満載ですよ。」
篠原「ははは……まあまあ。人事部の池谷さんがそんなこと仰らずに。まずはお疲れ様、乾杯といきましょう。」
池谷は、篠原に注いでもらったビールを一気に飲み干した。
池谷「ぷはぁー!仕事上がりの一杯は最高だな!!」
篠原「相変わらずいい飲みっぷりだ。見ていて気持ちがいいですよ。」
池谷「それくらいしか取り柄がないですからね(笑)。で、今日は何を?」
篠原「ああ、そうでした。まず、この写真を見てください。」
池谷「写真?どれどれ……」
篠原「見覚え、ありませんか?」
池谷「あー……この子、先週面接に来た子だね。」
篠原「面接に?」
池谷「そうなんですよ。この時期から就活してるなんて早いなと思ってね。」
篠原「そんなに早くから?」
池谷「どうしても、うちに入りたいって言うんですよ。今からでも仕事を覚えたい、なんてね。」
篠原「この会社に、そこまでの魅力が?」
池谷「そこが不思議でね。正直、うちはこの東京じゃ中小規模。映像会社なら、もっといいところはいくらでもある。」
篠原「他は競争率が高いのでは?」
池谷「それがね……彼女の履歴書を見たんですが、小学生までは“ひめぐりの家”っていう児童養護施設にいたみたいなんですよ。」
篠原「児童養護施設……それが理由で?」
池谷「いや、それは関係ないでしょう。むしろ逆でね。彼女、一流大学に在学中のエリートなんです。どの会社も欲しがる人材ですよ。」
篠原「そんなに優秀なんですか。」
池谷「ええ。仕事もできそうだし、それに——まあ、見ての通りの美人でしょう?正直、即採用でしたよ。」
篠原「学歴だけでなく、見た目も評価ですか。いかにも池谷さんらしい。」
池谷「はは……まあね。
それで実は——ちょっと言おうか迷ったんですけど。」
篠原「なんでしょう。差し支えなければ。」
池谷「この子、どこかで見たことある気がしてたんですよ。最初は気のせいかと思ったんですが……履歴書を見て、思い出したんです。」
篠原「思い出した?」
池谷「“ひめぐりの家”って聞いた瞬間にね。……ああ、そうかって。」
篠原「何に驚いたんですか?」
池谷「僕は昔、ひめぐりの家に物資を届ける配達員をしていたんですよ。だから子供の頃のあの子を見たことがあるんです。」
篠原「そういうことでしたか……しかし履歴書に児童養護施設と書くものなんですか?」
池谷「そこは任意ですよ。書くかどうかは本人次第です。」
篠原「でも彼女は書いた……」
池谷「あの子は分かっていたんでしょうね。」
篠原「面接官が池谷さんで、ひめぐりの家と関係があったから……ですか?」
池谷「違いますよ、篠原さん。
あの子は昔から頭が良くて、負けん気が強かった。そこは覚えています。
履歴書に“ひめぐりの家出身”とあえて書いたのは——
自分の過去を隠さずさらけ出して、やる気を示すためでしょう。」
篠原「池谷さん……」
池谷「僕はね、確かに女の子は好きです。でもそれ以前に、人事部として人を見る立場でもある。
こんなリスクを伴う事実を隠さず書く若者って、なかなかいませんよ。」
篠原「空央さんは、そこまで考えて……」
池谷「賭け、だったんでしょうね。
でも彼女は、“勝てる賭け”だと踏んだんだ。」
篠原「桜沢空央……」
池谷「しかし、こんなに綺麗になるとはねぇ。女って変わるもんだ。」
篠原「……せっかくいい話だったのに台無しですよ。」
池谷「はは、こういうところで性格が出ちゃうんですよ(笑)」
篠原「学歴優秀で容姿端麗……。他に履歴内容は?」
池谷「1995年生まれの21歳。
中学・高校は青陵学院高等部、名門ですね。
現在は青陵学院大学に在籍中で、来年卒業予定です。」
篠原「……非の打ち所がないですね。」
池谷「美人で優秀。文句なしでしょう。」
池谷「あ、そうだ。」
篠原「なんです?」
池谷「趣味の欄に“ネバーランド”って書いてありましたよ。」
篠原「ネバーランド?」
池谷「僕も気になって調べたんですけど、コミュニティアプリみたいなもので。
アバターを作って、見知らぬ人とやり取りできるんですよ。」
篠原「なるほど……」
池谷「試しにインストールして、空央ちゃんのアバターを探してるんですけどね。これがなかなか見つからなくて……。
はは、ダメですね、こんなことしてちゃ。」
篠原「見知らぬ人と繋がるアプリ……か。調べる価値はありそうですね。」
池谷「篠原さんもやってみたらどうです?意外とハマりますよ。」
篠原「ありがとうございます、池谷さん。いい話を聞かせていただきました。」
池谷「あれ?もういいんですか?」
篠原「ええ、十分です。代金はここに。」
池谷「そうですかぁ。」
篠原「今日はありがとうございました。それでは、お先に失礼します。」
池谷「もう少し飲みたかったんですけどね。また何かあればいつでもどうぞ。」
篠原「ええ、その時は。」
BARを出て、俺は煙草に火をつけた。
池谷さんから引き出せる情報は、こんなところか。
桜沢空央……経歴は完璧すぎる。
だが、児童養護施設出身、
そこだけが引っかかる。
……明日は“ひめぐりの家”か。




