Vol.064【さよなら、ひめぐりの家】
1年後
2006年3月22日
大久保「ケンちゃん、さっき学校に行ったわよ。空ちゃん、いいの?ほんとに……ケンちゃんにひとことだけでも……」
空「うん、ケンジには黙っていく。」
大久保「空ちゃん……じゃあ、せめて空ちゃんが面倒を見てきたあの子たちだけにでも最後の挨拶してやってくれない?お願いだから……ね?」
空「しない……悲しくなるし。でも美麗だけには挨拶しとく。」
大久保「そうだね、美麗ちゃんと空ちゃんは同じ歳で、唯一何でも話せたからね。ただ、特別な時期しかここには来なかったから。」
空「うん、でも大丈夫。美麗とはいつでも連絡はしてるし、たまに外で遊んだりもしてるから。」
大久保「美麗ちゃんもやっと空ちゃんに家族ができるって喜んでいたよ。美麗ちゃんのことは心配ないよ。」
空「うん!美麗は心配ないよ。でも、あの子たちにはいいお姉ちゃんとして別れたら悲しくなる!」
大久保「空ちゃん……」
空「だから、悪いお姉ちゃんだってことにして?お願いだから。そしたらあの子たちも早く私のことは忘れるから。」
大久保「でもあの子たちは空ちゃんに懐いてるよ?」
空「わたしが嫌な態度とれば変わるよ……」
大久保「空ちゃん……」
そして空がひめぐりの家を出ていく前日
大久保「みんな!急なことなんだけど……いつも仲良くしてくれた白石空ちゃんが明日この施設を卒業することになりました。空ちゃんは桜沢さんっていうお家に行くことになったのよ。いつもみんなの心配ばかりしてくれる、とても優しいお姉ちゃんだったね!!」
空「いい……いいお姉ちゃんじゃない。」
空は静かに囁いた。
大久保「さぁ空ちゃん?みんなに一言お別れを言ってあげて?ね?」
空「みんなに、言うことなんてありません。」
大久保「空ちゃん……」
空「みんなに……言うことなんてないっ!!」
大久保「空ちゃん!!」
_____________________
桜沢さん、
空ちゃんのこと、少しお話ししておきますね。
あの子がこの施設に来るまでのこと。
そして、空ちゃん自身のことを。
空ちゃんは、陰と陽の振れ幅が大きい子なんです。
普段はとても優しくて、おとなしい。
でも、好きな人に対しては
驚くほど前向きになれるんです。
ただ、妹の話になると……
陰の部分が溢れ出て、手に負えなくなる。
そんな一面もあります。
好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
人に例えるなら
好きな相手には、自分を犠牲にしてでも尽くす。
けれど、嫌いな相手には一切見向きもしない。
特に来夢君のような子には、
強い反発心をむき出しにします。
それが、空ちゃんの性格なんです。
ひとつだけ、心配なことがあるとすれば……
人に執着しすぎると、前が見えなくなること。
あの子は感情が強いぶん、
誰かを好きになったとき、その想いが大きくなりすぎてしまう。
ですから
少しだけ、ほんの少しだけ、
気をつけてあげてくださいね。
そしてもっと大事なことを。
お伝えした通り、空ちゃんには双子の妹がいます。
名前は白石繭ちゃん、この施設にお迎えする準備はできていたのですが、私どもが受け入れ手続きをしている間に出ていってしまったのです。
空ちゃんに置き手紙を残して。
それは子供が書いた簡単なものでした。
でも繭ちゃんは繭ちゃんなりに書ける字だけを使って、一生懸命、考えて考えて書いたのでしょうね。
それを見た空ちゃんの絶望感は想像を絶するものだったと思いました。
三日三晩、何も食べず、何も飲まず……
地獄のような生活からやっと開放されたと思った矢先の出来事でしたから。
私どもも繭ちゃんの失踪のことをすぐに警察や消防に通報、自治会にも相談、地元消防団とともに全域に渡って捜索したのですが……
しかし2日後、警察から連絡があり、繭ちゃんが保護されたと。
繭ちゃんはあるご夫婦のところにいたそうです。
それは空ちゃんと繭ちゃんがここに来た時、以前より別件でご相談いただいていたご夫婦でした。
何年も前に行方不明になった小さな息子さんを捜しているとのことでした。
何かの事件に巻き込まれたのでしょう。
里子を希望されていまして、里親登録、様々な研修も済まされ、ステップも最終段階まできていました。
そんなご夫婦のもとに繭ちゃんはいたそうです。
ご夫婦がこの施設を帰る際に、繭ちゃんの方から声をかけてきたそうです。
「お父さんとお母さんのところから逃げてきた!」って。
どうしても警察や親には連絡しないでほしいと泣きつかれました。
ご夫婦は繭ちゃんの体中にあったその傷を見て確信しました。
だからそのご夫婦は繭ちゃんが心配になり、よく話を聞くことにしたそうです。
どこかに連絡をするとまたこの子が親の元へ連れ戻される、児童相談所に報告しようとしたのはその後と考えました。
しかし一刻も早く連絡をしなければいけない!でも警察や児童相談所に連絡するとこの子がどうなるかわからない!
自身の息子さんの件もあったので、ご夫婦はとても葛藤されていたようです!
しかし速報としてこの捜索が全国ニュースとして流れる頃、もうご夫婦は警察に連絡するしかないと思ったそうです。
しばらくして
一旦騒ぎは収まったのですが、繭ちゃんはひめぐりの家には空ちゃんがいるから戻りたくないと言い張りました。
繭ちゃんが逃げてきたのは親元のところ、そしてこの児童施設ひめぐりの家だったということを知り、これも何かの縁だと思い、ご夫婦は繭ちゃんを引き取りたいと申し出てくれました。
もちろん繭ちゃんにとっては本当の両親ではないものの、約束された未来がある環境で育つのがいちばんですから。
でもそれを空ちゃんに伝えるのはあまりにも酷な話です。
私どもは隠したくても隠せない……そういう義務もありますから。
ある時期が来たら空ちゃんには話そうとは思っていました。
でも、子供の感勘は鋭いですね……
ましてやあの子たちは双子です。
うすうす空ちゃんは気付いていたみたいです。
時折、空ちゃんは誰かと電話をしている。
それは誰かわからない。
でも空ちゃんがその誰かと電話で話している姿を見ると、それがたとえ繭ちゃんだと頭でわかっていても、
私たちは涙と言葉を殺し、決して誰かはわからない振りをしようと心に誓ったものでした。
でも悲しいことばかりじゃないんです。
時より親御さんの都合でこの施設で預かる同じ年の、生田美麗ちゃんって子が空ちゃんとはとても仲良しでね。
美麗ちゃんと話をしている時だけは、ごく普通の女の子に戻るんです。
2人で好きなゲームのこと、好きな漫画の本のこと、そして好きなアイドルや好きなタイプの男の子のこと。
いつも負けん気が強くしっかり者で、気を張り詰めてる空ちゃんも、年頃の女の子2人が集まれば、やっぱり子供なんだなと思います。
でも美麗ちゃんが元の場所に帰る頃になると、寂しさを紛らわすこともできず、いつもの空ちゃんに戻るんですけどね。
また来夢君という子によく虐められてるんですが、健二君っていう子が空ちゃんをいつも助けてあげてね。
優しい男の子なんだけど、空ちゃんはなぜか心を開いていなかった。
妄想の中で描く理想の男の子ではなく、現実に側にいる男の子が苦手なのか、もしくは健二君に迷惑をかけたくないのか、そこはわからないですけどね。
健二君は空ちゃんのことが大好きで、見ていてよくわかるんです。
繭ちゃんがいなくなった今でも、一人にされたことがよほど悲しいのか、誰もいないところで、まるで死にゆく動物が身を隠すように隠れながらずっと泣いている……
そんな空ちゃんを見守るように、見ていたのが健二君なんです。
こんなにも可愛そうな空ちゃん、そして健二君が今後将来、2人が別々になろうとも、ごく普通の生活の中で幸せに暮らしていけたらと、そう願うばかりです。
______________________
来夢「はぁ?オマエ、妹のとこにでも行くのかよ!!オモシレ!!」
空「…………」
来夢「ちっ!まぁいい!!でもアイツが悲しむよな~!!ぎゃはは!」
空「アイツ?」
来夢「早くいけよ!もう孤児じゃなくなるんだろが!!俺ももうすぐここを出る!下界であったらお前を又虐めてやるよ!!」
空「もうあの頃の私じゃないから!!泣かないから!!」
来夢「それはどうかな?」
来夢の挑発に歯を食いしばる空。
こんな思いをして自ら自分を追い込み、惨めになるのはもう嫌だと心に決めていた。
空はこの時、ある決意をしていたのだ。
来夢「ケンジよ!!おもしれぇなぁ!!全く楽しいよなぁ!お前の大好きな空がお前に黙って出ていっちまう!お前の悲しむ顔が目に浮かぶぜ!こんな楽しい日は久しぶりだぁ!!」
空「来夢!?ケンジは悲しまないよ!私1人いなくなったところで悲しむはずもない!ただ、私を哀れんでいるだけ!妹に裏切られた私を可哀想だと思っているだけ。」
来夢「はぁ?お前もつくづく冷てぇ奴だなぁ!あれだけお前のことになるとムキになりやがるのに、お前は何の感情もないのかよ!あー?」
空「ケンジに対して感情?ある訳ないじゃない!私は今まで、自分に感情なんてあると思ったことがないの!いつも妹を優先するだけの毎日!でもね、時には羨ましいって思うこともあったけど……」
来夢「こりゃいい!アハハハハ!お前は顔が良いだけのクズだな!感情がないだと?羨ましく思うことは感情じゃねぇのかよ!」
空「ぐっ……」
来夢「空!1つだけ教えといてやるぜ!俺はな、やっと箸で飯が食えるようになった時からの大屑だ!そのお前と同じクズの誼として!」
空「クズの誼ですって?ふざけたことを!」
来夢「お前は、妹を恨んでるんだよ……心の底からな!俺にはわかるんだよ!クズだから!」
空「なに?」
来夢「あらら、気づいてないのかぁ!」
空「何によ!」
来夢「お前、電話の相手は妹だろ?この間、聞いちまったんだよ〜。仲良くそうに話してんのをよ!」
空「なにが悪いのよ!」
来夢「楽しそうに笑う声の裏で感じる、あの何とも言えねぇ間、あれはなんだ?普通じゃねぇよなぁ!」
空「久しぶりに妹と話したら楽しいじゃない!なに言ってるのよ!そりゃそんな間だってあるわよ!」
来夢「そうかぁ?お前は本能的に出してるんだよ!自分でも気づかねぇうちにな!」
空「何をよ」
来夢「憎しみを……だよ!」
空は来夢の話をなぜか反発せずに聞いてしまっていた。
いつもならこの来夢の話には耳も傾けない空が、身を引き裂かれるような思いで黙って聞いていた。
自分では気づいていない狂気。その狂気は生きた死霊となり、いつの日か自身を包み込んでしまうかもしれない。
しかし、空は必死でその生きた死霊を食い止めようとする。
口から吐き出しそうになる生きた死霊を、今は必死で食い止めようとしている!
そして姉妹という、今にも切れそうな細い糸を、空は繭との交信という形で、必死に繋ぎ止めていたのかもしれない。
来夢「あ?なんだ急に黙り込みやがって!」
空「アンタの言うことは一理あるわね!」
来夢「はぁ?なんだ?急に!」
空「私はここを出て変わる!変わってみせる!」
来夢「変わるだと!」
空「そう!繭は私の妹!たった一人の妹!可愛くないわけがないじゃない!」
来夢「強がるなよ……クズが」
空「そういうアンタも……クズでしょ!」
来夢「なんだと?」
空「まぁせいぜい、この施設でお利口さんにしとくのね!」
クズが
____________________
夕方
ケンジ「大久保さん!空、出ていったの!?」
大久保「ケンちゃん、悲しむのは無理ないわね。好きだったんでしょ?空ちゃんのこと」
ケンジ「なんで黙って……」
大久保「空ちゃんなりに理由があったんだよ!ケンちゃんには内緒にしといてほしいって。知らない家に行くと知ったら止められるって思ったみたいだから。」
ケンジ「そんな……止める訳がないじゃないか!俺のことが嫌いだったのかな。」
大久保「そうじゃなく、ここでの暮らしではもう希望を見いだせなかったんだろうね。私の責任だね。来夢君にも酷いことを言われ、今まで可哀想なことをしたよ。」
ケンジ「希望か……誰かの所へ行ったら、空は幸せになれる?」
大久保「それはみんなそれぞれ。桜沢さんちに行ったら空ちゃんはきっと幸せになれる。いつも仲良く電話してる子とも会う約束をしてるみたいだしね。」
ケンジ「仲良く電話している子って誰なんだ?いつも誰と話してるんだ?空に聞いても教えてくれないんだよ。」
大久保「誰なんだろうかね……繊細な子だから、そこは私たちも聞かないようにしてるの。女の子みたいだけどね。ここに来る前に仲良くしていた友達かもしれないね。」
ケンジ「女の子?誰と話してるんだ……空…」
____________________
え?
桜沢さんのもうひとつ聞きたい事とは?
そうですか……
空ちゃんと繭ちゃんの本当のご両親のことですね?
もはや説明するまでもないですね。
親としてあるまじき行為…
親に甘えたい盛りの二人の傷は心の傷だけではなかった…
人として何がそうさせるのか、私たちにはわかりかねます。
あまりにもあの二人が可愛そうで言葉も出ないんです。
桜沢さん、空ちゃんをお迎えしてくださって本当にありがとうございます。
あの子もこれでやっと普通の生活ができるのだと思います。
桜沢さんのところへ行くのは、
空ちゃんもとても楽しみにしているみたいですよ。
え?そうですか……
名前を変えたいと、空ちゃんが……
今の名前がよっぽど嫌だったんでしょう。
子供には辛い過去が多すぎたのかもしれません。
桜沢空央ちゃん。
いいお名前です。
桜沢さんのせめてもの配慮ですか。
「空」っていう文字は残されたんですね。
桜沢さんの家なら、きっと幸せになれると信じてますから。
奥さんにも懐いてるみたいだし。
どうか空ちゃんをよろしくお願いいたします。
大久保と桜沢の話はここで終わった。
______________________
そして、ある記憶が大久保に蘇る。
あの子たちを苦しめたものは
もっと深い、どこか別の場所にある。
口にすれば、何かが壊れてしまいそうで……
大久保は、ただ心の中で呟いた。
1995年
空と繭が生まれた日。
あなたたちの運命は、
もうすでに決まっていたのね。
この世に生まれたばかりの幼子が、
背負うにはあまりにも大きすぎるものを……
私は、施設長という立場でありながら、
それを拒むことができなかった。
_______________________
大久保さん。
もし、近い将来
空と繭の過去を、
そして人知れず里子となった繭のことを、
誰かが調べに来たとしても……
決して、話してはいけません。
これは約束ではありません。
“それ以上のもの”ですから。
_______________________
隠された真実は
この東京、
いや……
日本中を震撼させる。
私はそれを、
深海の底よりもなお深い場所に沈めた。
決して触れられないように。
決して思い出さないように。
心の奥底に、
固く……鍵をかけて。




