第53話 御旗楯無も御照覧あれ!
「全将兵に告げる! 今川殿を助けて、三河を攻めるのは事実だ!
だが、これは天下を欺く策! 我らが攻めるは南ではなく、西にあり! 敵は美濃、斉藤家だ!」
俺が知る歴史において、武田家は織田家によって滅ぼされている。
より正確に言えば、中央に進出した織田家が大領を得て一強となり、戦国時代に終止符を打つべく他勢力を圧倒し始めたためだ。
ならば、織田家が一強となる前に武田家が一強になる、あるいは織田家が一強となるのを防げば良い。
そうすれば、武田家は戦国時代を乗り切れるはずだと結論を出した後、次に織田家がなぜ一強となり得たのかを考えた。
「な、ななな、なんとっ!?」
「み、三河でなく、美濃ですとっ!?」
その結果、導き出された答えは立地条件だった。
確かに、信長は時代にそぐわない革新的な考えの持ち主である。
豊臣秀吉をはじめとする極めて有能な人材が数多く揃ってもいる。
しかし、出発地点が尾張でなければ、織田家は一地方の雄で終わっていたはずだ。
「も、もしや!」
「ど、どうした!」
濃尾平野ほど広大で肥沃な平野はそうない。
現代における日本最大の平野は関東平野だが、戦国時代の関東は大部分が湿地帯で、利根川と荒川は毎年のように氾濫していた。
この状況を何とかするには国を跨いだ大規模な治水工事が必要であり、それを実現させるには太平の世を待たなければならない。
次点の石狩平野も、その次の十勝平野も北海道であり、戦国時代はまだ日本の統治下に入っていなかった。
四番目は越後平野だが、越後は雪国で冬の行動が制限され、京都までの道のりも遠く、その最短路が日本海沿いであるため、やはり冬の行動制限がある。
「以前、大殿が上洛の際、わざわざ険しい峠越えを重ねて上洛されたのは……。」
「おおっ! この時のためか!」
「つまり、大殿はその時から、この上洛策を……。」
「なんとっ……。なんと、なんと!」
ところが、五番目の濃尾平野に位置する尾張は、京都に近く、伊勢湾も有し、気候も温暖だ。
人が集まり商業的に栄える条件が揃っているのだから、これはもうチートと言うほかない。
さらに、濃尾平野の残り半分である美濃を制すれば、石高は倍に跳ね上がる。
これだけで日本の十指に入る戦国大名が誕生し、武田家と上杉家が善光寺平を巡って争った十年が、馬鹿馬鹿しく思えるほどだ。
しかし、裏を返せば、織田家は美濃を得なければ飛躍は難しい。
西の伊勢へ進むには、長良川と木曽川が天然の要害となる長島城を一向宗が占拠しており、進路は容易ではない。
東の三河を手に入れれば芽は出てくるが、信長は今川義元を討ち取った張本人であるため、今川家との衝突は避けられない。
それならば、松平家を間に置く方が無難だと言える。
「ええい、静まれ! 勝頼の言葉はまだ終わっていない! 静まれ、静まれ!」
つまり、織田家が美濃を得る前に武田家が美濃を得る。
これこそ、俺が考え抜いた末に導き出した、武田家が戦国時代を生き延びるための結論だ。
歴史を知るが故に、今こそ美濃へ攻め込む絶好のチャンスであることも、俺は理解していた。
正確な時期は覚えていない。
だが、桶狭間の戦いの直後、斉藤家を支配する当主『斉藤義龍』は病に伏し、そのままあっけなく早世したはずだ。
さらに、名前を覚えていない斎藤義龍の跡を継いだ者は凡愚で、家中の不和を招いた。
それが、斉藤家滅亡の大きな要因になったことも覚えている。
「木曽山脈の南を通り、南木曽へは出ず、その手前で南下!
苗木城を西から一気に奇襲する! 戦列は昨夜の取り決めのままだ!」
しかし、信濃から美濃を攻めるには、大きな難点が二つある。
一つは語るまでもない。
信濃と美濃の間に横たわる木曽山脈が、進軍と兵站の確保を著しく困難にしている点だ。
もう一つは、木曽山脈を越えた先が狭い山間地であり、そこに苗木城と岩村城という二つの城が立ち塞がっている点である。
「繰り返す! 戦列は昨夜の取り決めのままだ!」
このため、敵は迎撃が容易なうえ、動員する兵力も少なくて済む。
もし美濃を獲るなら、苗木城と岩村城の二城を一気呵成に陥とし、敵の迎撃体制が整う前に濃尾平野へ進出しなければならない。
だが、大軍になればなるほど進軍速度は落ち、接近を察知されやすくなるという悪循環に陥る。
だからこそ、美濃は奇襲する。
そのための布石が、三河攻めだった。
今この瞬間、勝頼が明かすまで、この事実を知っていたのは俺を含めて、わずか九人。
勝頼、信繁さん、勘助さん、真田幸隆、そして武田四天王のみだ。
それ以外には、重臣にすら伏せてきた。
上杉家との同盟が成ったその時から、今川家の三河攻めに呼応した援軍派遣を大々的に言い広め、忍者も用いて情報をばら撒き、天下を欺いてきたのである。
「馬場信春!」
「はっ!」
「馬籠峠を越え次第、本隊を待つ必要はない!
先鋒を預かるお前の判断で、苗木城を攻めよ!」
「御意!」
また、勝頼が今挙げたルート自体にも奇襲の効果がある。
これは比喩だが、現代で言うところの『中央自動車道』に当たる道だ。
長野から岐阜へ向かう経路として現代では常識だが、今の時代に生きる者たちにとっては違う。
戦国時代の常識で、信濃から美濃へ向かう道は二つ。
伊那から木曽山脈北の谷筋を抜けるか、あるいは塩尻から南下し、木曽福島城を経て木曽川沿いを進む。
だが、俺は知っている。
前回の上洛で現代の感覚からこの道を選んだ時、整備は放棄され荒れ果てていようとも、その道が有史以来踏み固められ、美濃へ確かに通じていることを。
「もう一度、言う! 此度の美濃攻めは奇襲だ!
勝つも負けるも、全ては敵に気づかれぬまま、どこまで迫れるかにかかっている!」
もちろん、今川家と援軍の約束を交わした以上、三河攻めも同時に行う。
こちらは俺を総大将として、副将を山県昌景と勘助さんの二人が務め、三千の兵力で向かう。
「だが、万を超える軍勢だ! 隠れ通せると思うな!
よって、此度の戦で最も重要なのは……。疾さだ!」
俺が三河攻めの総大将を務める理由は簡単だ。
第一に勝頼の実績作りのため、第二に三河攻めの噂を武田家の総力を挙げて大々的に広めているためである。
恐らく、今川氏真は兵力の少なさに落胆するだろうが、俺が総大将として軍勢を率いている以上、納得するしかない。
それに今は、正義感の強い上杉輝虎と同盟を成したばかりだ。
ここで今川家との約束を破れば、上杉家との同盟がご破算になりかねない。
「疾きこと風のごとく!
我らが武田の旗印、風林火山!
その最初の一文字の真髄を、今こそ敵に見せつけてやれっ!」
山県昌景を副将に選んだのは、特に深い意味がある訳ではない。
俺が知る歴史において、三河攻めと言えば山県昌景という印象が強かったからだ。
だが、山県昌景は本命の美濃攻めから外されたことで落ち込むどころか、俺から直々に指名されたことが余程嬉しかったらしく大はしゃぎ。
最初の目標である長篠城を鎧袖一触で落とした上、今川家の軍勢を置き去りにして岡崎城へと迫り、松平元康の尻をブリブリと鳴らせかねない勢いなのだから、実に頼もしい。
「四日だ!
ここから先は山あり谷ありの難所!
道は整っておらず、宿場町も無い!
だが、それを四日で踏破せよ!」
それともう一つ。
誰にも言えない、最大の理由がある。
前回の上洛の際、護衛役として同行した穴山信君に、ふと視線を向けてみる。
すると、顔をこれでもかと引きつらせていた。
十代の若い彼ですらこの有様だ。
あの荒れ放題の道を、五日で踏破するなど、俺は『不可能だ』とは言わない。
しかし、絶対に御免被りたい。
「そして、五日目!
苗木城を落とし、日が沈みきる前に辿り着いた者すべてに……。
私は恩賞を等しく与える!」
その過酷さを、まだ誰も知らない。
勝頼も、この場に集った者たちも、士気は異様なほどに高かった。
「御旗楯無も御照覧あれ!」
勝頼が右拳を勢いよく掲げて叫ぶと、全員がそれに倣い、右拳を突き上げて唱和した。
その声は、天にも届かんばかりである。
ちなみに、勝頼が今口にした『御旗楯無も御照覧あれ』とは、武田家当主のみが口にすることを許された決め台詞だ。
御旗とは、帝より賜った日本最古ともいわれる日の丸の旗。
楯無とは、武田家開祖が用いた大鎧を指す。
いずれも武田家における最重要の家宝であり、当主の正統性そのものを象徴する存在である。
要するに『帝も、開祖も見ている。ゆえに、この決断は揺るがぬ。命を懸けて従え』という意味だ。
この言葉が当主の口から発せられた以上、家臣はもはや異を唱えることはできない。
それが、武田家における絶対のしきたりだった。
「では、出陣せよ!」
俺の記憶が確かなら、穴山信君が配置された戦列は後方だ。
出発は正午前後になるだろう。
あとで恨まれても困る。
暇を見つけて、ひと言労いの言葉をかけておこう。そう心のメモに書き加えた。




