第98話 「共喰いの街」
新世界暦100年。
1月20日。
午前0時00分。
中央ヨーロッパ。
旧プラハの跡地。
京と刃は、丘の上に立っていた。
眼下に、街が広がっている。
灰の街。
Z-Homoたちの集落。
建物が並び、道路が伸び、中央には塔が立っている。
蒼く光る、完璧なシステム。
だが——
京は、違和感を感じていた。
「……何か、おかしい」
刃も同意した。
「ああ。静かすぎる」
二人は丘を降り、街へ近づいた。
入口。
いつもなら、Z-Homoたちが行き交っている。
だが——
誰もいない。
完全な、無人。
建物は立っているが、住人がいない。
京は周囲を見回した。
「……どこへ行った?」
刃は地面を見た。
足跡。
無数の足跡が、街の中心部へ向かっている。
「……中央だ」
二人は、足跡を追った。
通りを進む。
両側の建物は、無傷だった。
壁は綺麗で、窓も割れていない。
だが——
中には、誰もいない。
まるで——
一斉に、どこかへ消えたかのように。
刃が呟いた。
「……気味悪ぃな」
京も同意した。
「ああ」
二人は、中央広場へ出た。
そこに——
いた。
Z-Homoたち。
数千。
いや、数万。
街の住人すべてが、集まっていた。
だが——
様子が、おかしかった。
彼らは円陣を組んでいた。
中央に、何かを囲むように。
だが——静止していない。
動いている。
震えている。
体が揺れ、頭が揺れ、手が揺れている。
まるで——
何かに怯えているかのように。
京は近づいた。
「……何を——」
その瞬間。
一体のZ-Homoが、叫んだ。
いや——叫ぶような動作をした。
声はない。
だが——波動が震えた。
恐怖の波動。
苦痛の波動。
そして——
そのZ-Homoが、隣の個体に襲いかかった。
噛みついた。
肩に。
首に。
腕に。
隣の個体は——抵抗しなかった。
ただ——噛まれるままに。
血は流れない。
Z波が漏れ出す。
光の液体が、地面に滴る。
京は——固まった。
「……何を、している」
刃も、絶句していた。
「……共喰い?」
噛みついたZ-Homoは、さらに激しく食いちぎった。
肉を引きちぎり、骨を砕き、体内のZ波核を取り出す。
そして——
飲み込んだ。
その瞬間。
噛みついたZ-Homoの身体が、膨らんだ。
筋肉が肥大し、皮膚が裂け、骨格が変形する。
進化——いや、暴走。
Z波の過剰摂取。
そのZ-Homoの目が、紅く光った。
金色ではない。
紅色。
狂気の色。
そして——
そのZ-Homoは、次の個体に襲いかかった。
連鎖が始まった。
噛まれたZ-Homoが、別の個体に噛みつく。
そのZ-Homoが、また別の個体に。
あっという間に、広場全体が阿鼻叫喚と化した。
いや——叫喚ではない。
声はない。
だが——
波動が叫んでいた。
恐怖。
苦痛。
狂気。
すべてが混じり合い、空気を震わせていた。
刃は拳を握った。
「……おい、京」
京は——動けなかった。
ただ見ていた。
Z-Homoたちが、互いを喰い合う光景を。
文明が崩壊する瞬間を。
秩序が失われる様を。
一体のZ-Homoが、京の方へ走ってきた。
紅い目。
変形した身体。
口からZ波が溢れている。
刃はそのZ-Homoの前に立った。
「来んな」
低い声。
警告。
だが——
Z-Homoは止まらなかった。
襲いかかってきた。
刃は——殴った。
拳が、Z-Homoの顔面に叩き込まれる。
ドォン。
衝撃波が広がり、Z-Homoが吹き飛ぶ。
地面に叩きつけられ、動かなくなる。
だが——
次のZ-Homoが来た。
その次も。
そのまた次も。
刃は戦い続けた。
殴り、蹴り、投げ飛ばす。
だが——
殺さない。
破壊しない。
ただ——無力化するだけ。
京は、刃の背中を見ていた。
そして——理解した。
刃は、守っている。
Z-Homoたちを。
狂っても、襲ってきても、それでも——守っている。
京は、動いた。
広場の中央へ。
そこに、原因があるはずだ。
この狂気の発生源が。
京は、Z-Homoたちを押し分けながら進んだ。
彼らは京に襲いかからなかった。
王を認識している。
理性の波動が、彼らを抑制している。
中央。
そこに——
塔があった。
いや、塔の残骸。
Z波核を収めていた建造物。
それが——崩れていた。
半壊し、倒れ、内部が露出している。
そして——
Z波核が、暴走していた。
球体は割れ、中から光が溢れ出している。
金色と紅色と蒼色が、混じり合い、渦を巻いている。
京は——理解した。
「……臨界だ」
Z波の臨界反応。
過剰な意識の集中。
それが核を破壊し、波動を暴走させた。
そして——
その波動がZ-Homoたちに干渉し、個の意識を再生させた。
群体知性から、個への回帰。
だが——
100年間、個を失っていた彼ら。
突然の自我の覚醒。
それは——狂気だった。
自分が誰なのか分からない。
何をすべきなのか分からない。
ただ——飢えだけが残っている。
Z波を求める、本能。
だから——喰う。
互いを。
同族を。
仲間を。
京は、核に近づいた。
手を伸ばす。
だが——
核の周囲に、バリアが展開されていた。
Z波の障壁。
触れることができない。
京は、自分の波動を集中させた。
金色の光が、体内から溢れ出す。
《虚界展開》
空間が歪む。
重力が乱れる。
そして——
バリアが、消えた。
京は、核に触れた。
その瞬間。
膨大な情報が流れ込んできた。
記憶。
感情。
思考。
この街のZ-Homoたち、すべての意識。
それが一気に、京の中へ。
京は——耐えた。
歯を食いしばり、目を閉じ、すべてを受け止める。
【助けて】
【怖い】
【誰か】
【私は誰】
【どこにいる】
【何をすれば】
【助けて】
【助けて】
【助けて】
無数の悲鳴。
無数の懇願。
京の意識が、揺らいだ。
だが——
彼は、止めなかった。
すべてを受け止める。
すべてを統合する。
それが——彼の役目。
理性の王。
調律者。
京の身体が、金色に光った。
強烈な波動が、広場全体を包む。
Z-Homoたちの動きが、止まった。
噛みつきをやめ、暴走を止め、ただ——立ち尽くす。
彼らの目が、金色に戻った。
紅色の狂気が消え、理性の光が宿る。
そして——
彼らは、一斉に倒れた。
力尽きたように。
意識を失ったように。
だが——死んではいない。
ただ——休んでいる。
刃が京のもとへ駆け寄った。
「おい、京!」
京は——膝をついていた。
額から、汗が流れている。
いや——Z波の凝縮液。
刃は京の肩を支えた。
「大丈夫か?」
京は——微笑んだ。
わずかに。
「……ああ」
刃は安堵した。
「よかった」
京は立ち上がった。
ふらつきながらも。
周囲を見回す。
倒れたZ-Homoたち。
数万の身体が、地面に横たわっている。
だが——生きている。
呼吸している。
京は、核を見た。
暴走は止まっていた。
光は弱まり、静かに脈動している。
だが——
これで終わりではない。
京は、空を見上げた。
蒼い空。
だが——その蒼が、揺らいでいた。
波打っている。
まるで——水面のように。
刃も空を見上げた。
「……なんだ、あれ」
京は静かに答えた。
「……世界が、揺れている」
刃は驚いた。
「世界が?」
京は頷いた。
「ああ。この街だけじゃない」
「世界中で、同じことが起きている」
刃は——理解した。
そして——恐怖した。
「……全部の街で、共喰いが?」
京は静かに答えた。
「ああ」
刃は拳を握った。
「なんで? なんでこんなことに?」
京は——答えた。
正直に。
「……俺たちのせいだ」
刃は驚いた。
「俺たちの?」
京は頷いた。
「ああ。俺と、お前が目覚めた」
「それが——引き金だった」
刃は——黙った。
京は続けた。
「世界は、完璧なバランスで成立していた」
「だが——俺たちが覚醒し、波動を放出した」
「それが蒼界を刺激し、Z波核を暴走させた」
刃は——理解した。
そして——責任を感じた。
「……俺たちが、壊したのか」
京は首を横に振った。
「いや、壊れるべきだったんだ」
刃は京を見た。
「どういう意味だ?」
京は空を見上げた。
「この世界は——停滞していた」
「完璧すぎて、変化がなかった」
「だが——生命は変化するものだ」
「停滞は、死と同じだ」
刃は——理解した。
「……だから、壊れた」
京は頷いた。
「ああ。俺たちは——破壊者だ」
刃は笑った。
苦く。
「破壊者か。似合ってるな、俺たちに」
京は微笑んだ。
わずかに。
「ああ」
二人は、広場を離れた。
街の外へ。
丘の上へ戻る。
そこから、街を見下ろした。
倒れたZ-Homoたち。
崩れたZ波核。
静寂。
だが——
それは終わりではなかった。
やがて——
Z-Homoたちが、目覚める。
そして——
また動き出す。
新しいシステムを作る。
新しい秩序を築く。
それが——生命。
京は、東の空を見た。
白い光。
さらに近づいている。
もう——手が届きそうな距離。
刃もその光を見た。
「……あれが、答えか?」
京は——答えなかった。
ただ——見つめていた。
やがて、刃が叫んだ。
叫ぶように波動を放った。
「やっぱり人間は、何度生まれ変わっても同じだ!」
その声は——怒りだった。
悲しみだった。
絶望だった。
だが——
その声は、同時に——希望だった。
変わらないからこそ。
同じ過ちを繰り返すからこそ。
それでも——生きている。
京は刃を見た。
「……ああ」
刃は京を見た。
「なんだよ?」
京は静かに答えた。
「お前は、正しい」
刃は——照れた。
また。
「……バカ言うな」
京は笑った。
「本当だ」
空が——変わった。
蒼い空が、紅黒に染まり始めた。
京の金色と、刃の紅色が、蒼界を侵食している。
世界が——変わっていく。
停滞から、変化へ。
秩序から、混沌へ。
そして——
再び、秩序へ。
それが——生命の営み。
大西洋。
記録球の中。
澪の意識が、激しく揺れていた。
【警告:全球Z波核暴走】
【影響範囲:全集落】
【Z-Homo:覚醒反応】
【共喰い現象:多発】
【世界状態:不安定化】
澪は記録を続けた。
だが——
彼女の意識は、限界に近づいていた。
人間だった頃の記憶が、消えていく。
データの海に、溶けていく。
【……私は、まだ見ている】
【最後まで】
【どんな結末でも】
それは祈りだった。
記録者の、最後の祈り。
丘の上。
京と刃が、並んで立っていた。
紅黒に染まる空を見上げながら。
刃が呟いた。
「なぁ、京」
「ん?」
「これから、どうなる?」
京は——答えた。
「……分からない」
刃は笑った。
「そうかよ」
京は刃を見た。
「だが——」
刃も京を見た。
「——だが?」
京は静かに答えた。
「終わらせよう」
刃は頷いた。
「そうだな」
二人は、歩き出した。
丘を降り、東へ。
白い光へ。
未来へ。
そして——
紅黒に染まった空が、また揺らいだ。
蒼界が——悲鳴を上げていた。
変化の痛み。
進化の苦しみ。
だが——
それでも、世界は動き続ける。
生命として。
意識として。
永遠に。
(了)




