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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
ゾンビサイド第3部「蠢動《しゅんどう》」

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第55話「虚ろなる神話」

 中国。四川省。成都。


 百万人の避難民を抱える、人類最後の大規模避難地。


 高さ十メートルの壁が、街を囲んでいる。


 鉄筋コンクリート製。


 壁の上には、百基の機関銃座。


 入口には、二十台の戦車。


 それでも——防げなかった。


 壁の外には、五十万体のゾンビが待機していた。


 人民解放軍残存部隊の指揮官——リー将軍が、司令室の窓から外を見つめる。


 五十五歳。北京軍区出身。三十年の軍歴を持つ歴戦の軍人。


 だが——今、彼の顔には疲労の色が濃い。


 参謀が、報告する。


「将軍。食料は、あと二週間分です」


「配給を削減しろ」


「既に——一日一食です」


「二日に一食にしろ」


 参謀は、頷くしかなかった。


 李将軍は、壁の向こうのゾンビの群れを見る。


 動かない。


 まるで——何かを待っているかのように。


 その答えは——すぐに明らかになった。


   ◆


 成都から、三百キロメートル西。


 チベット高原の麓に——神谷刃は立っていた。


 一人で。


 群れも、部下もなく。


 ただ——東へ歩く。


 成都へ。


 刃の眼は、紅く光っている。


 その視線は——虚ろだった。


 焦点が、定まらない。


 刃の口が、動く。


「……殺す」


 低く、掠れた声。


 獣の唸りのように。


「全て——殺す」


 彼は、歩く。


 一歩、また一歩。


 その足跡が、地面に深く刻まれる。


 まるで——重力が増幅されているかのように。


 足元から——亀裂が走る。


 蜘蛛の巣状に。


 大地が、震える。


 刃が歩くたびに、地面が揺れる。


 小石が、跳ねる。


 刃の身体から、赤いオーラが噴き出す。


 まるで——炎のように。


 それは——殺意だった。


 純粋な、殺意。


 理性のない。制御されていない。


 ただ——破壊を求める、衝動。


 刃は——壊れていた。


 人間性を、失っていた。


 理性を、失っていた。


 残っているのは——本能だけ。


 殺す本能。


 壊す本能。


 だが——。


 彼の奥底に、わずかな何かが残っていた。


 記憶。


 かつて、守りたいと思った者の記憶。


 かつて、大切だと思った何かの記憶。


 曖昧で、もう思い出せない。


 ただ——感覚だけが残っている。


 守る。


 それが——彼の最後の理性だった。


   ◆


 成都。


 壁の上で、見張りの兵士が叫んだ。


「来るぞ! 西から——何かが来る!」


 李将軍が、双眼鏡を取る。


 地平線の向こうから——一つの影。


 人影。


 だが——人間ではない。


 周囲の空気が、歪んでいる。


 赤いオーラが、見える。


 李将軍の手が、震える。


「……Z-02」


 神谷刃。


 紅の鬼神。


 太平洋艦隊を、単独で壊滅させた怪物。


 核を、斬り裂いた化け物。


 人類の悪夢。


 それが——来る。


 李将軍は、通信機を取る。


「全軍、戦闘配置! Z-02が接近中!」


 その言葉が終わる前に——。


 刃が、動いた。


 跳躍。


 音速を超える速度。


 ソニックブーム。


 衝撃波が、大地を抉る。


 刃は——壁に到達した。


 そして——。


 刀を、振るう。


 横薙ぎ。


 一閃。


 赤い光が、放たれる。


 幅、五百メートル。高さ、百メートル。


 巨大な赤い刃が——壁を切断した。


 音もなく。


 抵抗もなく。


 鉄筋コンクリートが、豆腐のように斬られる。


 断面は、滑らかだった。


 ガラスのように。


 壁が——崩れる。


 轟音。


 土煙が、舞い上がる。


 地面が、揺れる。


 刃が、中に入ってくる。


 ゆっくりと。


 まるで——散歩をするかのように。


 李将軍は、叫ぶ。


「撃て! 全力で撃て!」


 機関銃が、火を噴く。


 戦車が、砲撃する。


 ロケットランチャーが、発射される。


 だが——。


 刃は、刀を一閃させる。


 回転斬り。


 その軌跡が、赤い円盤になる。


 全ての弾丸が、斬られる。


 全ての砲弾が、空中で爆発する。


 攻撃は——全て無効だった。


 刃は、進む。


 街の中へ。


 大通りを。


 まっすぐに。


 避難民たちが、逃げ惑う。


 叫び声。悲鳴。泣き声。


 子供を抱えて走る母親。


 老人を支える若者。


 皆——必死だった。


 だが——刃は、止まらない。


 彼の視界には、人間が映っていない。


 ただ——前だけを見ている。


 刃が、刀を振るう。


 縦一文字。


 三十階建ての高層ビルが、中央から崩壊する。


 瓦礫が、降り注ぐ。


 人々が、潰される。


 数百人が、一瞬で死ぬ。


 刃は——それを見ていない。


 ただ——歩く。


 破壊しながら。


 殺しながら。


   ◆


 成都の中心部。広場。


 避難民たちが、集まっていた。


 逃げ場がない。


 ゾンビの群れが、四方から迫っている。


 その中心に、刃が立っていた。


 刀は、血に濡れている。


 何百人を、斬った血。


 刃の眼は、紅く光っている。


 だが——その奥に、何かがあった。


 迷い。躊躇。


 それは——わずかだった。


 ほとんど、感じられない。


 だが——確かに、あった。


 刃は——人々を見る。


 老人。女性。子供。


 全てが——怯えている。


 泣いている。


 命乞いをしている。


 刃の手が——止まる。


 刀を、構えたまま。


 だが——振り下ろさない。


 彼の紅い眼が、わずかに揺れる。


 彼の脳裏に——何かが浮かぶ。


 記憶。


 断片的な記憶。


 かつて、自分も人間だった。


 かつて、守りたいと思った者がいた。


 大切な者が。


 だが、それは曖昧だった。


 霧のように。


 もう——思い出せない。


 名前も、顔も、声も。


 全てが——失われていた。


 刃は——混乱する。


 殺すべきか。


 守るべきか。


 その葛藤が——彼を苦しめる。


 その時。


 群衆の中から、一人の老人が進み出た。


 八十歳ほど。白髪の男。


 痩せた身体。


 震える足。


 だが——彼の眼には、決意があった。


 彼は——刃の前に跪く。


 膝を地面につける。


 両手を地面につける。


 そして——。


 頭を下げた。


 額が、地面に触れる。


「どうか——我々を殺さないでください」


 その声は、震えていた。


 だが——明確だった。


「あなたは——神です。破壊の神。死の神。我々は——あなたに従います」


 刃は——動かない。


 ただ——老人を見つめる。


 老人は、続ける。


「我々を——殺すのではなく、導いてください。あなたの力で——我々を守ってください」


 その言葉に——群衆が反応する。


 次々と、人々が跪く。


 そして——祈り始める。


「神よ——」


「紅の神よ——」


「我々を——お救いください」


 それは——狂気だった。


 殺そうとしている相手に、命乞いではなく、崇拝を捧げる。


 だが——それは、人間の最後の生存戦略だった。


 敵わない相手なら——神として崇める。


 殺されないために——信仰する。


 刃は——困惑する。


 なぜ——こいつらは、跪いている?


 なぜ——祈っている?


 その答えは——刃には、分からなかった。


 だが——。


 彼の手が、刀を下ろす。


 ゆっくりと。


 刀が、鞘に収まる。


 カチン、という音。


 それが——合図だった。


 人々は——歓声を上げる。


 いや、歓声ではない。


 それは——安堵の叫び。


 生き延びた、という実感。


 刃は——踵を返す。


 そして——歩き去る。


 人々は——その背中を見送る。


 そして——誰かが呟く。


「神だ——本当に、神だ」


 その言葉が——広がる。


「紅の神が——我々を救った」


「破壊の神が——慈悲を示した」


「我々は——選ばれたのだ」


 それは——信仰の始まりだった。


 恐怖から生まれた、信仰。


 だが——確かに、信仰だった。


   ◆


 その日から——成都では、奇妙な現象が起こり始めた。


 人々が——刃を崇拝し始めたのだ。


 広場に、祭壇が作られた。


 石を積み上げて。


 高さ、三メートル。


 その上に——刃の像が置かれた。


 刃の像が——彫られた。


 木製。


 赤く塗られた木像。紅い眼。刀を持つ姿。


 職人が三日三晩かけて彫り上げた。


 それは——神の像だった。


 人々が、祭壇を囲む。


 昼も夜も。


 人々は——毎日、祈る。


 紅の神に。破壊の神に。


 そして——願う。


 守ってください。


 導いてください。


 我々を——見捨てないでください。


 李将軍は——その光景を見ていた。


 彼は——理解できなかった。


 なぜ——敵を崇拝する?


 なぜ——殺そうとした相手に祈る?


 だが——人々は、真剣だった。


 本気で——信じていた。


 刃が、神だと。


 刃が、自分たちを守ると。


 李将軍は——呟く。


「……狂っている」


 だが——その狂気が、人々を生かしていた。


 信仰が——希望を与えていた。


 たとえ、それが虚ろな希望でも。


 たとえ、それが偽りの神でも。


 人々は——それを必要としていた。


 絶望の中で。死の淵で。


 何かに——すがりたかった。


 それが——神話の始まりだった。


 虚ろなる神話。


 だが——確かに、神話だった。


   ◆


 一ヶ月後。


 成都の信仰は——広がっていた。


 他の避難所にも。他の都市にも。


 人々は——刃の噂を聞く。


 紅の神。破壊の神。


 だが——慈悲深い神。


 信じる者を、救う神。


 その噂は——誇張されていく。


 伝言ゲームのように。


 口から口へ。


 街から街へ。


 刃が、百万のゾンビを従えている。


 刃が、一振りで都市を破壊できる。


 刃が、不死身だ。


 刃が、空を飛べる。


 刃が、思考を読める。


 全て——事実だった。


 いや、最初の三つは事実だった。


 だが、さらに誇張される。


 刃が、神だと。


 刃が、世界を創造できると。


 刃が、全てを支配していると。


 それは——嘘だった。


 だが——人々は、信じた。


 信じたかった。


 何かを——信じなければ、生きていけなかった。


 やがて——教団が生まれた。


 紅神教。


 刃を崇拝する、宗教。


 教祖は——成都の老人。


 あの時、最初に跪いた男。


 名を——チャンという。


 元は、ただの商人だった。


 だが今——彼は預言者となった。


 彼は——教義を作る。


 神殿で。祭壇の前で。


 紅の神は、破壊と創造の神。


 紅の神は、旧世界を滅ぼし、新世界を創る。


 紅の神を信じる者は、救われる。


 紅の神を否定する者は、滅ぼされる。


 単純な教義だった。


 だが——力があった。


 だが——人々は、従った。


 従わなければ——生きていけなかった。


 教団は——急速に拡大する。


 成都から。


 重慶へ。


 西安へ。


 上海へ。


 中国全土に。


 そして——朝鮮半島へ。


 日本へ。


 東南アジアへ。


 アジア全域に。


 やがて——世界中に。


 ヨーロッパへ。


 アフリカへ。


 南北アメリカへ。


 人々は——刃を神として、崇拝し始めた。


 会ったこともない。見たこともない。


 だが——信じる。


 それが——人類最後の、宗教だった。


   ◆


 東京。


 刃は——それを知らなかった。


 自分が、崇拝されていることを。


 自分が、神として、扱われていることを。


 彼は——ただ、立っていた。


 廃墟の中で。一人で。


 彼の眼は、紅く光っている。


 だが——その奥に、虚ろさがあった。


 彼は——何も感じていなかった。


 喜びも。悲しみも。怒りも。


 ただ——空虚だった。


 刃の口が、動く。


「……俺は、何だ」


 その問いに——答えはない。


 ただ——風が吹くだけ。


 冷たい風。


 それが——刃の頬を撫でる。


 刃は——空を見上げる。


 灰色の雲。


 光のない空。


 太陽は、見えない。


 もう——何日も。


 それは——彼の心を映していた。


 虚ろ。


 空虚。


 何もない。


 刃は——神ではなかった。


 ただの——壊れた存在。


 理性を失い。


 人間性を失い。


 全てを失った存在。


 だが——人々は、彼を神と呼ぶ。


 崇拝する。


 祈る。


 救いを求める。


 それは——皮肉だった。


 虚ろなる神。


 空っぽの神。


 それが——人類最後の信仰だった。


 そして——それは、誰も救わなかった。


(了)

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