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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
ゾンビサイド第3部「蠢動《しゅんどう》」

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第46話「人類反攻」

 ジュネーブ。


 地下三百メートル。世界安全保障評議会の緊急会合は、もはや会議の体を成していなかった。


 円卓を囲む十二ヶ国の代表たちは、それぞれが疲弊し、絶望し、それでも最後の希望にすがろうとしていた。


 スクリーンに映る日本列島は、灰色と赤黒の斑点で覆われている。


 衛星画像が捉えたそれは、かつて一億二千万の人間が暮らした国土の死体だった。都市は崩壊し、道路は寸断され、生存者の反応は完全にゼロ。


 北海道と四国、九州の一部にわずかな熱源反応があるだけ。それも、いつまで持つか分からない。


 議長席のアメリカ代表——国防長官代理のマーカス・ホロウェイが、ゆっくりと立ち上がった。


 五十代半ば。白髪混じりの短髪。軍人出身の彼は、三日間不眠で会議を続けていた。


「提案する」


 彼の声は低く、しかし明瞭だった。


「コードネーム”クレンジング”。対象は日本列島全土。使用兵器——B61戦術核爆弾、五十二発」


 会議室が凍りつく。


 誰もが予想していた提案だった。それでも、実際に口にされると、空気が凍る。


 ロシア代表——外務次官のイワン・ストレルコフが眉をひそめた。


「五十二発だと? 焦土作戦にしても過剰だ。十発でも都市部は壊滅する」


「過剰?」


 ホロウェイが冷笑する。


「我々が相手にしているのは、ゾンビではない。進化体だ。Z-01とZ-02。人類を超越した知性と、核兵器級の破壊力を持つ怪物だ。あの二体が存在する限り、封じ込めは不可能だ」


 中国代表——人民解放軍総参謀部のリュウ少将が机を叩いた。


「ならば最初から大陸間弾道ミサイルを使え。中途半端な爆撃で済む相手ではないだろう。東風41なら——」


「ICBMは使わない」


 イギリス代表——国防省情報部長のエリザベス・コールが静かに遮った。


「放射能汚染が太平洋全域に及ぶ。それは我々の敗北を意味する。戦術核なら、局地的な焼却で済む。風向きを計算すれば、汚染は最小限に抑えられる」


「局地的?」


 フランス代表——外務省アジア局長のピエール・デュランが嘲笑う。


「日本全土を焼き尽くすことが、局地的だと? 君たちは正気か」


「正気だ」


 ホロウェイが断言した。


「日本は既に死んでいる。政府は崩壊し、自衛隊は壊滅し、生存者はほぼゼロ。我々がすべきは、その死体を焼却し、感染拡大を防ぐことだ」


 ドイツ代表が手を挙げた。


「待ってくれ。まだ北海道には三万人以上の生存者がいる。四国にも——」


「その三万人を救うために、七十億人を危険にさらすのか?」


 ホロウェイが切り捨てる。


「Z-01は既に海を渡る能力を持っている。次は朝鮮半島だ。その次は中国、ロシア、東南アジア。時間の問題だ」


 劉少将が立ち上がった。


「我が国は既に沿岸部に防疫線を構築している。人民解放軍二十万を投入し——」


「無駄だ」


 ホロウェイが遮る。


「Z-02は単独で戦車中隊を壊滅させた。Z-01は空爆を無効化した。軍事力では止められない」


 インド代表が口を開く。


「では、生物兵器は? ウイルスにはウイルスで対抗すべきではないか」


「既に試した」


 コールが答える。


「MI6がエボラウイルスの変異株を投下した。結果——Z-Virusに吸収され、逆に進化を促進した。生物兵器は逆効果だ」


 沈黙。


 誰も反論できなかった。


 ホロウェイが再び口を開く。


「諸君。我々は既に全ての選択肢を試した。通常兵器、生物兵器、化学兵器。全て無効だった。残された手段は、核だけだ」


 彼はスクリーンを指差す。


「Z-01とZ-02を確実に殺すには、爆心地の温度を一億度以上にする必要がある。それができるのは、核だけだ」


 カナダ代表が小さく呟いた。


「……神よ、許したまえ」


 ホロウェイが頷く。


「その通りだ。これは虐殺だ。だが——必要な虐殺だ」


 彼は全員を見回した。


「諸君。我々は今、人類史上最悪の決断を下そうとしている。だが、この決断なくして、人類に未来はない」


 沈黙。


 重く、長い沈黙。


 やがて議長が、震える声で採決を宣言した。


「では——投票に移る。コードネーム”クレンジング”の実行に、賛成の者は——挙手を」


 最初に手を挙げたのは、アメリカだった。


 次にイギリス。


 フランスが続く。


 ドイツが、ためらいながら手を挙げる。


 ロシアが、無表情で手を挙げる。


 中国が、怒りを押し殺して手を挙げる。


 そして——残りの六ヶ国も、全てが手を挙げた。


 ゆっくりと。


 ためらいながら。


 それでも確実に。


 十二の手が、空中に浮かぶ。


 議長が目を閉じた。


「——全会一致。コードネーム”クレンジング”、承認」


 人類は、初めて自らの手で国土を焼くことを決めた。


 会議室を出るとき、ホロウェイは振り返らなかった。


 振り返れば、自分が何をしたのか理解してしまう。


 理解すれば、立っていられなくなる。


 だから彼は、ただ前を向いて歩いた。


 廊下の突き当たりで、彼は壁に手をついた。


 吐き気が込み上げる。


 だが、何も出てこなかった。


 胃の中は、とっくに空っぽだった。


   ◆


 太平洋艦隊。


 横須賀沖二百キロ。


 空母ジョージ・ワシントンの作戦司令室は、緊張に包まれていた。


 室内には三十名の士官が詰めている。全員が疲労の色を隠せない。だが、誰一人として席を立とうとしなかった。


 中央のモニターには、赤く塗りつぶされた日本列島が表示されている。その上に、白い十字マークが五十二個。


 一つ一つが、都市の死を意味していた。


 作戦参謀——ジェームズ・カーター中佐が、淡々と説明を続ける。


「第一波は東京・大阪・名古屋。都市圏の中枢を焼却します。使用弾頭はB61-12。出力は五十キロトン。広島型原爆の三倍以上です」


 彼は次のスライドに移る。


「第二波は北関東・中部地方。新潟、長野、静岡を含む十五都市。第三波で九州北部と四国を処理。計五十二発で、本州の居住可能地域八割を焼却可能です」


「残りの二割は?」


 司令官——第七艦隊司令官ダニエル・ロックウェル中将が尋ねた。


 六十歳。ベトナム、湾岸戦争、イラク戦争を生き抜いた歴戦の軍人。


「山間部です。ゾンビの密度が低く、費用対効果が見込めません。第四波以降で通常爆弾による掃討を——」


「却下」


 ロックウェルが遮る。


 その声は、静かだった。だが、誰もが震え上がった。


「山間部も焼け。費用対効果など知ったことか。一匹でも残せば、また増殖する。完全焼却だ」


「了解しました」


 カーター中佐が敬礼する。


 ロックウェルはモニターを見つめたまま、動かない。


 彼の目には、赤く染まった日本列島だけが映っていた。


 副官が近づく。


「司令。作戦開始は——」


「すぐにだ」


 ロックウェルが答える。


「躊躇すれば、躊躇した分だけ死者が増える。今すぐ始めろ」


「了解」


 副官が指示を飛ばす。


 艦内放送が響いた。


『全艦戦闘配置。繰り返す、全艦戦闘配置。コードネーム”クレンジング”、作戦開始』


 室内の空気が変わる。


 全員が持ち場につく。


 モニターに次々と情報が表示される。


 爆撃機発進。


 護衛戦闘機展開。


 巡航ミサイル待機。


 艦砲射撃準備完了。


 ロックウェルは、ゆっくりと椅子に座った。


 彼はポケットから、一枚の写真を取り出す。


 妻と、二人の娘。


 五年前に撮った、家族写真。


 娘たちは今、カリフォルニアの大学に通っている。


 妻は、サンディエゴで彼の帰りを待っている。


 彼は写真を見つめた。


 そして——静かに呟いた。


「神よ、我らを許したまえ」


 それは祈りではなく、呪いだった。


 自分自身への、呪い。


 カーター中佐が報告する。


「第一波爆撃隊、日本上空に到達。投下まで——三分」


 ロックウェルは写真をポケットにしまった。


 そして、前を向く。


「全艦、対空警戒。Z-01とZ-02の反撃に備えろ」


「了解」


 誰もが知っていた。


 Z-01は、空爆を無効化する能力を持つ。


 Z-02は、音速で移動できる。


 核攻撃が成功する保証など、どこにもなかった。


 だが——やるしかなかった。


 モニターに、カウントダウンが表示される。


『投下まで、180秒』


 室内が静まり返る。


 誰も息をしていないかのようだった。


『120秒』


 ロックウェルの拳が、震えていた。


『60秒』


 カーター中佐が、目を閉じる。


『30秒』


 副官が、十字を切った。


『10秒』


 時間が、止まった。


 いや——止まったように感じた。


 そして。


『投下』


 モニターの光点が、落下を始めた。


 誰も、声を出さなかった。


 ただ——画面を見つめていた。


 五秒後。


 閃光。


 衛星映像が、真っ白に染まる。


 そして——きのこ雲。


 東京に、太陽が生まれた。


   ◆


 東京。


 廃墟と化した国会議事堂の屋上に、藤原京は立っていた。


 眼下に広がるのは、死者の街。


 動くものは全てゾンビ。生きているものは何一つない。


 京は空を見上げる。


 灰色の雲が低く垂れ込めている。その向こうに、何かが来る。


 それは音ではなく、気配だった。


 殺意。


 人間の、最後の殺意。


 京の口元がわずかに歪む。


 笑ったのか、それとも——。


 背後で足音。


 振り返ると、神谷刃が立っていた。血に濡れた刀を引きずり、紅い眼で京を見つめている。


 二人は無言で向き合った。


 やがて刃が、短く言う。


「来るぞ」


「ああ」


 京が頷く。


「人間の最後の悪あがきだ」


「殺すのか」


「殺せない」


 京が首を振る。


「核は、我々でも防げない。だが——」


 京の眼が、金色に光る。


「死なない」


 刃が笑った。


 それは獣の笑いだった。


「なら、殺されてやる」


 刃が踵を返す。


 京は再び空を見上げた。


 雲の向こうで、何かが光る。


 人類の、最後の光。


   ◆


 太平洋上空、高度一万二千メートル。


 B-2ステルス爆撃機”スピリット・オブ・ミズーリ”が、音もなく飛行していた。


 全翼機。漆黒の機体。レーダーに映らない死神。


 コックピットには、二人の男がいた。


 機長のコールサインは”リーパー”。死神。


 副操縦士のコールサインは”ゴースト”。幽霊。


 二人とも、三十代半ば。百回以上の実戦経験を持つベテランだった。


 だが——今日ほど、手が震えたことはなかった。


 リーパー——本名ジョン・ハリスは、計器盤を見つめている。


 目標まで、あと五分。


 彼の手は、操縦桿を握りしめていた。


 機内通信が入る。


『リーパー、こちら司令部。目標まで三分。最終確認を』


「了解」


 リーパーは答える。


 その声は、機械的だった。感情を殺さなければ、声が震える。


「爆弾倉、開放準備完了。核弾頭B61-12、起爆システム正常。目標座標——東京都心部、北緯35.6762度、東経139.6503度」


『認証コード、入力せよ』


 リーパーは、コンソールに手を伸ばす。


 そこには、赤いキーパッドがあった。


 核兵器投下の、最終認証。


 彼は震える手で、十二桁のコードを打ち込んだ。


 一文字、また一文字。


 間違えれば、全てがやり直しになる。


 だが——間違えたいと思ってしまう自分がいた。


 コードが完了する。


 モニターに表示される、赤い文字。


『AUTHORIZED』


 承認。


 リーパーは目を閉じた。


 家族の顔が浮かぶ。


 妻のサラ。明るくて、いつも笑っていて、子供たちに優しかった。


 娘のエミリー。十歳。ピアノが上手で、夢はピアニストだと言っていた。


 息子のデイビッド。七歳。野球が好きで、いつか大リーガーになると言っていた。


 彼らは今、疎開先のカナダにいる。


 バンクーバー郊外の、親戚の家に。


 それだけが、唯一の救いだった。


 少なくとも、家族は生きている。


 少なくとも、守るべきものは残っている。


 だから——これをやるしかない。


 リーパーは目を開けた。


 隣席のゴーストが、こちらを見ている。


 彼も、家族がいた。


 妻と、生まれたばかりの息子が。


 二人は、無言で頷き合った。


 そして——前を向く。


 眼下に広がる、灰色の大地。


 かつてそこには、街があった。


 人がいた。


 笑い声があった。


 子供たちの声があった。


 恋人たちがいて、家族がいて、友人がいた。


 今は、何もない。


 ただ——死者だけが蠢いている。


 機内通信が響く。


『投下、三十秒前』


 リーパーは、爆弾倉開放スイッチに手を置いた。


 赤いカバーを開ける。


 その下に、黒いボタン。


 それを押せば、全てが終わる。


 いや——全てが始まる。


『二十秒前』


 彼は息を吸う。


 深く、深く。


 肺の中に、冷たい空気が満ちる。


『十秒前』


 指がボタンに触れる。


 金属の冷たさが、指先に伝わる。


 それは——引き金の冷たさだった。


「神よ」


 彼は呟く。


「これが正しいと、言ってくれ」


 返事はない。


 ただ、カウントダウンだけが響く。


『五秒前』


 リーパーは、家族の顔を思い浮かべた。


『四』


 サラの笑顔。


『三』


 エミリーのピアノ。


『二』


 デイビッドの笑い声。


『一』


 そして——。


『投下』


 ボタンを押す。


 カチン、という小さな音。


 それだけで、世界が変わる。


 機体が軽くなる。


 爆弾倉から、B61-12が切り離される。


 重量四百キログラム。


 出力五十キロトン。


 それは——小さな太陽だった。


「爆弾投下完了」


 リーパーが報告する。


「離脱する」


『了解。全速で退避せよ』


 リーパーは操縦桿を引いた。


 機首が上がる。


 スロットルを全開にする。


 エンジンが唸る。


 B-2が、全速で空を駆ける。


 背後で——光が生まれた。


 振り返ってはいけない。


 それは、訓練で叩き込まれていた。


 核の閃光を直視すれば、網膜が焼ける。


 だが——リーパーは振り返った。


 そして、見た。


 太陽よりも白く。


 太陽よりも熱く。


 太陽よりも——絶望的な光。


 それは、地上から湧き上がっていた。


 ビルが溶ける。


 道路が蒸発する。


 全てが、光に飲まれていく。


 リーパーは目を閉じた。


 涙が、頬を伝う。


 彼は——泣いていた。


 初めて、任務中に泣いた。


 彼は殺人者になった。


 何万人を殺したのか、もう分からない。


 だが——それでも。


 それでも、これは正しいのだと。


 信じるしかなかった。


   ◆


 東京。


 光が、全てを飲み込んだ。


 ビルが溶ける。


 アスファルトが蒸発する。


 ゾンビたちが、一瞬で炭になる。


 そして——京と刃も、光の中に消えた。


 爆風が吹き荒れる。


 衝撃波が大地を抉る。


 きのこ雲が立ち上り、空を覆う。


 東京は、完全に消滅した。


 世界中の衛星が、その光景を捉えている。


 ジュネーブの会議室で、歓声が上がった。


「やった! Z-01とZ-02を確認——消失!」


「第一波、成功! 第二波、名古屋に投下開始!」


「大阪も準備完了! 日本は——終わる!」


 人類は、勝利を確信した。


 だが。


 その三十分後。


 衛星が捉えたのは——。


 焼け野原の中心で、立ち上がる二つの影。


 一つは黒く。


 一つは紅く。


 金色の眼と、紅い眼が、同時に光る。


 世界が、凍りついた。


「……嘘だろ」


 誰かが呟いた。


「核を——受けて、生きている」


 モニターの中で、藤原京が空を見上げる。


 その口が、動いた。


 音声はない。


 だが、全員がその言葉を理解した。


 ——次は、お前たちの番だ。


 スクリーンが、真っ暗になった。


 衛星が破壊されたのではない。


 Z波の干渉で、通信が途絶したのだ。


 世界連合は、敗北を悟った。


 核すら通じない。


 ならば、何が通じる。


 答えは、もう誰も持っていなかった。


 人類の反攻は、始まる前に終わった。


(了)

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