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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
ゾンビサイド第3部「蠢動《しゅんどう》」

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第42話「最後の無線」

北海道。


札幌市郊外。


地下五十メートル。


そこに、日本最後の司令部があった。


コンクリートの壁。


厚さ二メートル。


核攻撃にも耐えられる、強度。


鉄の扉。


重さ五トン。


油圧で開閉する、要塞の門。


無数のケーブル。


通信線。


電力線。


データ線。


全てが、蜘蛛の巣のように張り巡らされている。


かつては核シェルターとして建設された施設。


冷戦時代の遺物。


だが、まさかこんな形で使われるとは。


誰も、予想していなかった。


今は、人類最後の砦。


日本政府の、最終拠点。


軍の、最後の指揮所。


だが――その砦も、もう持たない。


食料は、残り一週間分。


燃料は、三日分。


弾薬は、ほぼゼロ。


そして――


希望も、もうない。



司令室。


広い部屋に、モニターが並んでいる。


だが、その半分は真っ黒だ。


電源が切れている。


いや――送信元が、消滅している。


東京。


横浜。


大阪。


名古屋。


全ての都市からの信号が、途絶えた。


もう、本州には人間がいない。


いや――正確には。


組織化された人間が、いない。


生き残りは、散在している。


だが、連絡は取れない。


指揮系統は、崩壊した。



司令官席に、一人の男が座っていた。


陸上自衛隊北部方面総監。


階級は陸将。


名を、北条ほうじょうという。


五十代後半。


白髪交じりの短髪。


深い皺が、顔に刻まれている。


かつては、精悍な軍人だった。


背筋を伸ばし、堂々としていた。


部下からの信頼も厚かった。


だが、今は違う。


彼の目は、虚ろだった。


背中は、丸まっている。


制服は、皺だらけだ。


もう何日、眠っていないのか。


もう何日、まともな食事をしていないのか。


わからない。


北条は、多くを失った。


家族を。


妻は、東京で感染した。


娘は、大阪で行方不明になった。


息子は、九州で戦死した。


もう、誰も残っていない。


それでも、北条は戦い続けた。


軍人として。


日本人として。


人間として。


だが――


もう、限界だった。


ただ、座っているだけ。


モニターを、見ているだけ。


絶望を、噛み締めているだけ。



部屋には、他に十数名の将校がいた。


みんな、疲れ切った顔をしている。


制服は、汚れている。


目には、クマができている。


誰も、希望を持っていない。


ただ、任務だけが彼らを動かしている。


最後まで、戦う。


それが、軍人の責務だから。


だが――


もう、何のために戦うのか。


それさえ、わからなくなっている。



通信士が、報告する。


「本州各地からの応答、ありません」


「……そうか」


北条が、小さく頷く。


もう、驚きもしない。


予想通りだ。


いや――予想以上に、早かった。


「四国は?」


「昨日の午後を最後に、途絶えました」


「九州は?」


「三日前から、応答なしです」


北条は、目を閉じる。


(……終わった)


日本列島。


全てが、陥落した。


北海道だけが、残っている。


だが、それももう長くはない。



参謀長が、北条に近づく。


四十代の男。


名を、吉田よしだという。


「総監。決断を」


北条は、目を開ける。


「……決断?」


「本州放棄の、公式宣言です」


吉田の声は、震えている。


それを言うのが、どれだけ辛いか。


北条にも、わかる。


本州放棄。


その言葉の重さ。


それは、国家の放棄だ。


東京を。


首都を。


政治の中心を。


皇居を。


天皇陛下を。


国の象徴を。


国会を。


立法府を。


民主主義の根幹を。


全てを、見捨てる。


一億の国民を、見捨てる。


いや――もう、国民はいない。


生き残りは、数万。


いや、数千かもしれない。


それでも――


見捨てることに、変わりはない。


だが――


北条は考える。


宣言する意味が、あるのか?


誰のための、宣言なのか?


もう、政府はない。


国会もない。


メディアもない。


誰が、この宣言を聞くのか?


「……宣言したところで、何が変わる」


北条が呟く。


「もう、誰も聞いていない」


「記録のためです」


吉田が答える。


「後世に、残すために」


「後世?」


北条が、苦笑する。


「後世など、あるのか?」



沈黙。


誰も、答えられない。


後世。


それは、希望の言葉だ。


未来がある、という前提。


だが――


本当に、未来はあるのか?


人類に、明日はあるのか?


吉田が、口を開く。


「それでも……残さなければ」


「何を」


「我々が、戦ったことを」


吉田の目が、潤んでいる。


「最後まで、諦めなかったことを」


北条は、吉田を見た。


若い参謀長。


まだ、希望を持っている。


いや――持とうとしている。


絶望に、抗っている。


北条は、立ち上がった。



「……わかった」


北条が言う。


「宣言を出す」


吉田が、敬礼する。


「ありがとうございます」


北条は、通信士に向かう。


「全周波数で、送信できるか」


「はい。可能です」


「では、準備を」


通信士が、機器を操作する。


スイッチを入れる。


ノイズが、響く。


ザーッ、ザーッ、と。


北条は、マイクを手に取る。


重い。


こんなに、マイクが重いとは。


金属の重さではない。


言葉の重さだ。


これから発する言葉の。


国家の死を告げる、言葉の。


北条の手が、震える。


マイクが、カタカタと音を立てる。


部屋中の視線が、北条に集まる。


みんな、息を呑んでいる。


これが、最後の公式声明になる。


日本国という国家の。


七十年以上続いた、戦後日本の。


二千年以上続いた、この国の。


最後の言葉。



北条は、深呼吸する。


一回。


二回。


三回。


そして――


マイクに、口を近づける。


「こちらは、陸上自衛隊北部方面総監、北条である」


声が、電波に乗る。


全周波数に。


全方向に。


だが――


誰が、聞いているのか。


わからない。


それでも、北条は続ける。



「現在時刻、20XX年X月X日、午後三時」


北条の声は、静かだ。


だが、明確だ。


一言一言、噛み締めるように。


「本州全域、四国、九州からの応答が途絶えた」


「最後の通信は、四国高松基地。昨日午後二時」


「内容は――ゾンビ襲撃、弾薬尽きる、これが最後」


北条の声が、詰まる。


あの通信士の、最後の叫び。


まだ、耳に残っている。


「推定生存者数、不明」


「だが、組織的抵抗は、完全に停止した」


「推定感染率、九十八パーセント以上」


数字が、淡々と読み上げられる。


だが、その一つ一つが、重い。


死の、記録。


絶滅の、証明。


「政府機能、完全停止」


「首相以下、全閣僚の生死、不明」


「最後の連絡は、一週間前」


「天皇陛下の、御安否も……不明」


北条の声が、途切れる。


喉が、詰まる。


涙が、溢れそうになる。


天皇。


国家の象徴。


国民統合の象徴。


その方が、どうなったのか。


わからない。


おそらく――


北条は、それ以上考えられない。



北条は、目を閉じる。


涙を、堪える。


そして、続ける。


「よって、陸上自衛隊北部方面総監の権限において、宣言する」


「本州、四国、九州は、これより放棄区域とする」


「全生存者は、北海道への避難を推奨する」


「繰り返す。本州は、放棄した」


その言葉が、空間に響く。


重く。


絶望的に。


本州放棄。


それは、国家の死だ。


日本という国の、終焉。



北条は、マイクを握りしめる。


まだ、言うことがある。


最後に、言わなければならないことが。


「……全国民に告ぐ」


北条の声が、震える。


「我々は、負けた」


「人類は、新しい種族に敗北した」


「もう、反撃する力はない」


「だが――」


北条の声が、強くなる。


「それでも、生きろ」


「最後の一人になっても、生き延びろ」


「それが、人間の責務だ」



北条は、一息つく。


そして、最後の言葉。


「これより、この司令部も放棄する」


部屋が、ざわめく。


将校たちが、顔を上げる。


「我々は、避難民と共に北へ向かう」


「もう、軍ではない」


「ただの、生存者だ」


北条は、マイクを置く。


もう、言うことはない。


全てを、伝えた。



通信士が、報告する。


「送信、完了しました」


「誰か、応答は?」


「……ありません」


静寂。


誰も、聞いていなかった。


いや――


聞いていても、応答する余裕がなかった。


それでも、いい。


記録は、残った。


電波は、飛んだ。


どこかで、誰かが。


録音しているかもしれない。


それが、希望だ。


最後の、希望。



北条は、将校たちを見回す。


「全員、撤退準備だ」


北条の声は、落ち着いていた。


もう、迷いはない。


決めたのだ。


生き延びると。


最後まで、戦うと。


「はい」


みんなが、動き出す。


荷物をまとめる。


衣類。


食料。


水。


医薬品。


最低限のものだけ。


機器の電源を落とす。


モニターが、一つずつ消えていく。


真っ黒になる。


もう、二度と点くことはない。


重要書類を、持ち出す。


作戦記録。


通信記録。


感染データ。


これらは、後世のために。


いや――


後世があれば、の話だが。


司令室が、慌ただしくなる。


足音。


物音。


声。


だが――


その動きには、活気がない。


ただ、機械的に動いているだけ。


希望のない、撤退。


敗北の、行軍。



吉田が、北条に近づく。


「総監。これを」


手渡されたのは、拳銃だった。


「……何のためだ」


「万が一のためです」


吉田の顔は、真剣だ。


「もし、感染したら……自決を」


北条は、拳銃を受け取る。


冷たい。


重い。


これが、最後の選択肢。


人間として、死ぬための。


「……ありがとう」


北条が、腰に拳銃を差す。


そして、歩き出す。


司令室を、後にする。


振り返らない。


もう、戻ることはない。



廊下を歩く。


足音が、響く。


コンクリートの壁が、冷たい。


蛍光灯が、点滅している。


電力も、もう限界だ。


北条は、地上へ向かう。


階段を上る。


一段。


また一段。


重い足取りで。


やがて、地上への扉に辿り着く。


北条は、扉を開ける。



外は、曇っていた。


灰色の空。


冷たい風。


もう冬が近い。


北条は、空を見上げる。


(……これが、最後か)


司令部として、機能した最後の日。


軍として、存在した最後の日。


そして――


国家として、終わった日。


北条は、深呼吸する。


冷たい空気が、肺を満たす。


生きている。


まだ、生きている。


それだけで、十分だ。



背後から、将校たちが出てくる。


二十名ほど。


それが、最後の軍人だ。


北条は、彼らを見た。


疲れた顔。


だが、諦めていない顔。


まだ、戦える顔。


「行くぞ」


北条が言う。


「北へ。生き延びるために」


「はい」


全員が、敬礼する。


最後の、敬礼。


そして――


彼らは歩き出した。


北へ。


希望のない、行軍。


だが、それでも進む。


生きるために。



司令部の扉が、閉まる。


ガシャン、と重い音。


もう、開くことはない。


施設は、放棄された。


機器は、停止した。


全てが、沈黙した。


ただ、風だけが吹いている。


冷たく。


虚しく。


そして――


遠く、南の空。


黒い雲が、近づいていた。


いや、雲ではない。


群れだ。


数万のゾンビが、北上している。


二人の王を先頭に。


金色と紅色の、瞳を持つ王を。


人類最後の砦も、やがて陥ちる。


それは、時間の問題だった。



無線は、もう聞こえない。


誰も、送信しない。


誰も、応答しない。


ただ、ノイズだけが流れている。


ザーッ、ザーッ、と。


それが、人類の最後の声。


文明の、最後の音。


やがて、それも消える。


完全な、沈黙が訪れる。


新しい時代の、静けさ。



(了)

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