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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第2部「裂け目」

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第35話「北の光」

――人間が人間として生きられる時間は、もう残り少ない。


第1部「黎明」では、田舎の村で静かに始まった感染が、

一つの共同体を内側から崩壊させる様を描いた。


第2部「裂け目」では、その亀裂が都市へ、社会へと広がり、

報道と政治と民衆の三者が、互いを引き裂き合いながら瓦解していく過程を追った。


藤原京は、意識を保ちながらも本能に支配される矛盾を抱え、

群れの一部として、ただ歩き続けた。


神谷刃は、戦場で感染し、覚醒の兆しを見せ始めた。


藤宮澪は、記録者として人間の終わりを見つめ続けた。


そして今——


日本政府は機能を停止し、

自衛隊の組織的抵抗は最後の輝きを失おうとしている。


人類の時代が終わる。


次に来るのは、新しい種族の夜明けだ。


第3部「蠢動」への扉が、今、開かれる。


 夜明け。


 空が、わずかに明るくなってきた。地平線が、青白く光っている。


 北方山岳のキャンプ。


 いや——キャンプだった場所。


 炎は消え、煙だけが立ち上っている。焦げた木材の匂い。血の匂い。死の匂い。


 遺体が、雪の中に転がっている。避難民の遺体。兵士の遺体。ゾンビの遺体。


 神谷刃は、その中に立っていた。


 剣を背負い、血まみれの服を着たまま。


 周囲には——生存者がいる。


 二十人ほど。


 子供が五人。女性が八人。老人が三人。兵士が四人。


 皆、疲れ切っている。絶望した顔。虚ろな目。


 刃は、彼らを見た。


 守らなければならない。


 これだけは——まだ人間だった頃の、自分の役目だ。


 刃は、口を開いた。


「行くぞ」


 低い声。かすれた声。


「北へ。峠を越える」


 生存者たちが、顔を上げた。


「峠の向こうに——避難所がある」


 刃が言う。


「そこまで、連れていく」


 一人の女性が、震える声で言った。


「本当に……あるんですか……避難所……」


 刃は、頷いた。


 嘘かもしれない。


 でも——希望を与えなければ、この人たちは動けない。


「ある。必ずある」


 刃が断言する。


 女性が、小さく頷いた。


 刃は、歩き出した。


 生存者たちが、後を追う。


 雪の中を。


 北へ。


 峠へ向かって。


-----


 峠への道は、険しかった。


 雪が深い。膝まで埋まる。一歩進むたびに、足が雪に沈む。引き抜くのに力がいる。


 風が強い。体が揺れる。横風が吹くたびに、バランスを崩しそうになる。


 斜面が急だ。滑る。足を踏み外せば、転落する。


 刃は、先頭を歩く。


 足跡をつけ、道を作る。後ろの者たちが歩きやすいように。


 時々、振り返る。


 生存者たちが、ついてきているか確認する。


 子供が、泣いている。寒さと疲労で。


 母親が、抱きかかえている。自分も疲れ切っているのに。


「もう少しよ。頑張って」


 母親が、子供に囁く。震える声で。


 老人が、よろめく。足が雪に取られる。


 兵士が、支える。


「大丈夫ですか」


「ああ……まだ、歩ける……」


 老人が、か細い声で答える。息が白い。


 別の女性が、咳をする。ゴホッ、ゴホッ。


「水……水をください……」


 兵士が、水筒を差し出す。


 女性が、飲む。わずかに残った水を。


 刃は、立ち止まった。


 後ろを振り返る。


 生存者たちが、疲れ切った顔で立っている。


「休憩するか?」


 刃が聞く。


 兵士の一人が、首を横に振る。


「いえ……止まったら、凍え死にます。進みましょう」


 刃は、頷いた。


 そして——前を見た。


 峠が——見える。


 あと、少しだ。


 あと五百メートルほど。


 でも——


 刃の感覚が、何かを捉えた。


 気配だ。


 ゾンビの気配。


 西——五百メートルほど先。


 十体ほど。


 こちらへ——向かってくる。


 刃は、立ち止まった。


 生存者たちも、止まる。


「どうしたんですか?」


 兵士の一人が聞く。


 刃は、剣に手をかけた。


「ゾンビが来る」


 生存者たちが、息を呑む。


「隠れろ。岩の陰に」


 刃が指示する。


 生存者たちが、慌てて岩の陰へ隠れる。


 刃は——一人、前に出た。


 剣を抜く。


 刃が、朝日を反射する。


 やがて——ゾンビの群れが現れた。


 十体。


 血まみれで、喉を鳴らし、這うように走ってくる。


 刃は——構えた。


 群れが、刃へ突進する。


 刃の目が——金色に光った。


 一体目が飛びかかる。


 剣を振る。


 結果。


 首が飛ぶ。


 血が雪を染める。


 二体目、三体目が同時に襲いかかる。


 刃が回転し、剣を薙ぐ。


 結果。


 二体とも、胴が裂ける。


 内臓が飛び散る。


 四体目が背後から。


 刃が振り向きもせず、背後へ突き刺す。


 結果。


 頭を貫く。


 ゾンビが倒れる。


 刃は——戦い続けた。


 五体目、六体目、七体目——


 すべて、数秒で倒した。


 八体目が、地を這うように接近する。低い姿勢。速い。


 刃が跳躍し、空中で剣を振り下ろす。


 結果。


 頭が真っ二つに割れる。脳漿が飛び散る。


 ゾンビが、ピクリとも動かなくなる。


 九体目が、叫びながら突進してくる。両腕を広げ、口を開け。


 刃が剣を構え、一歩踏み込み、胴を薙ぐ。


 結果。


 胴体が、上下に分かれる。


 上半身と下半身が、別々に倒れる。内臓が雪の上に飛び散る。


 十体目——最後の一体が、背後から襲いかかろうとする。


 刃が振り向きもせず、剣を背後へ突き出す。回転しながら。


 結果。


 ゾンビの喉を貫く。刃が首を貫通する。


 ゾンビが、血を噴き出しながら倒れる。


 すべて——終わった。


 数分だった。


 十体のゾンビを、数分で。


 刃は、剣を納めた。


 呼吸が——乱れていない。


 疲れていない。


 刃は、自分の手を見た。


 血まみれの手。


 でも——震えていない。


 これは——


 もう、人間ではない。


 でも——まだ、理性はある。


 境界の存在。


 刃は、生存者たちを振り返った。


「行くぞ」


 生存者たちが、岩の陰から出てくる。


 刃を見る目が——変わっていた。


 恐怖と、畏敬が混じった目。


 刃は——何も言わず、歩き出した。


 北へ。


-----


 同じ頃。


 雪原。


 藤宮 澪は、子供を抱えて歩いていた。


 雪が、深い。


 一歩進むたびに、足が埋まる。引き抜く。また埋まる。


 疲れた。


 体が、重い。鉛のように重い。


 子供が——重い。


 いや、子供は軽い。五歳の男の子。十キロほどだろう。


 でも、澪の体力が——限界だった。


 息が、白い。


 吐く息が、すぐに凍る。唇の周りに、霜がつく。


 唇が、乾いている。ひび割れている。


 喉が、渇いている。砂漠のように。


 いつから、水を飲んでいないのか。


 いつから、食べていないのか。


 わからない。


 時間の感覚が、ない。


 ただ——歩き続けた。


 何時間——いや、何日——


 澪は、子供を見た。


 まだ、生きている。


 小さな胸が、上下している。


 顔は青白いが——生きている。


 唇が、紫色になっている。凍傷の兆候。


 でも、呼吸している。


 守らなければ。


 この子を——


 あの女性の、最後の願いを。


 澪は、歩き続けた。


 一歩、また一歩。


 前だけを見て。


 北を見て。


 その時——


 足が、もつれた。


 雪に、足を取られた。


 バランスを崩す。


 澪は——倒れた。


 ドサリ、という音。


 雪の中に。


 子供を——落とさないように。


 抱きしめたまま。


 澪は、起き上がろうとした。


 でも——


 体が、動かない。


 力が、入らない。


 視界が、暗くなる。


 これは——


 意識が、遠のいている。


 澪は、必死に目を開けようとした。


 でも——


 瞼が、重い。


 閉じていく。


 その時——


 頭の中で、声が聞こえた。


 ——立て。


 ——まだ、終わりじゃない。


 誰の声——


 わからない。


 でも——


 澪は、唇を噛んだ。


 痛い。


 血の味。


 意識が——わずかに戻る。


 澪は、手を雪につけた。


 冷たい。


 でも——その冷たさが、意識を繋ぎ止める。


 澪は——起き上がった。


 ふらつく。


 でも、立つ。


 子供を、抱え直す。


 そして——歩き出す。


 一歩、また一歩。


 倒れそうになる。


 でも、踏ん張る。


 澪の視界が——ぼやけている。


 でも——


 前方に、何かが見える。


 光——


 いや、違う。


 建物だ。


 小屋か——


 澪は、その建物へ向かった。


 必死に。


 やがて——たどり着いた。


 古い小屋。


 壁が崩れかけている。


 でも——風を凌げる。


 澪は、扉を開けた。


 軋む音。ギィ、という音。


 中に入る。


 暗い。窓が一つだけ。割れたガラス。


 でも、外よりは暖かい。風が入ってこない。


 小屋の中には——古い家具が残っていた。


 壊れたテーブル。倒れた椅子。錆びたストーブ。


 床に、埃が積もっている。誰も、長い間、ここに来ていない。


 壁に、何か書いてある。


 チョークで書かれた文字。


《北へ行った。2024年11月5日》


 澪は、その文字を見つめた。


 誰が書いたのか。


 どこへ行ったのか。


 生きているのか——


 澪は——床に座り込んだ。


 壁に背中をつけて。


 子供を、膝に乗せる。


 子供が——目を開けた。


「……お姉ちゃん……」


 か細い声。


 澪が、微笑んだ。


「大丈夫。もう、安全よ」


 子供が、小さく頷いた。


 そして——また、目を閉じた。


 澪は、子供を抱きしめた。


 温かい。


 まだ、生きている。


 澪も——まだ、生きている。


 澪は、窓の外を見た。


 雪が、降っている。


 そして——


 遠く、北の方角に——


 光が見えた。


 オーロラのような、光。


 緑色と青色が、混じった光。


 揺らめいている。


 あれは——何だ。


 澪は——その光を見つめた。


-----


 同じ頃。


 大陸。


 海岸。


 藤原京は、歩いていた。


 集落を——離れた。


 ヤマトには、何も言わなかった。


 ただ——夜明け前に、出た。


 北へ。


 凍てつく海岸を。


 波が、打ち寄せている。


 ザザー、ザザー。


 冷たい波。


 氷が、浮いている。


 風が、強い。


 吹雪だ。


 雪が、横から叩きつけてくる。


 視界が、悪い。


 でも——京は、歩き続けた。


 北へ。


 ただ、北へ。


 あの文字が——頭から離れない。


《海の向こうで、待っている》


 誰が——待っているのか。


 何が——待っているのか。


 京は——知りたかった。


 自分が、何者なのか。


 どこから来たのか。


 どこへ行くのか。


 答えが——北にある気がした。


 京は、吹雪の中を歩き続けた。


 やがて——


 前方に、何かが見えた。


 影だ。


 人影——


 いや、違う。


 ゾンビでもない。


 何か——別の存在。


 京は、立ち止まった。


 影が——近づいてくる。


 ゆっくりと。


 まっすぐに。


 京の目が、金色に光る。


 警戒する。


 影が——雪の中から現れた。


 それは——


 人間の形をしていた。


 でも、人間ではない。


 全身が——白い。


 雪のように白い肌。


 髪も白い。


 目も——白い。


 いや——


 瞳の中に、光がある。


 金色の光。


 でも、京の金色とは違う。


 もっと強い光。


 もっと純粋な光。


 その存在が——京を見た。


 そして——口を開いた。


「……お前も、来たのか」


 声が——響いた。


 人間の声ではない。


 もっと——深い声。


 京は、警戒したまま答えた。


「お前は——誰だ」


 その存在が——微笑んだ。


 人間のような微笑み。


「俺は——覚醒種だ」


 覚醒種——


 京の胸が、ざわついた。


「お前たちとは——違う」


 その存在が言う。


「進化の、その先だ」


 京は、息を呑んだ。


 進化の——その先。


「お前も——いずれ、こうなる」


 その存在が、京に近づく。


「北へ行け」


「そこに——すべての答えがある」


 京は、その存在を見つめた。


「北に——何がある」


「お前の、起源だ」


 起源——


 京の心臓が、強く打った。


「Z-01——」


 その存在が、京の名を呼んだ。


 いや——コードネームを。


「お前は——最初から、選ばれていた」


 京は——何も言えなかった。


 その存在が——背を向けた。


「北へ行け」


「光が、見えるはずだ」


 そして——


 吹雪の中へ、消えていった。


 京は——その場に立ち尽くしていた。


 覚醒種——


 進化の、その先。


 自分も——いずれ。


 京は、北を見た。


 吹雪の向こう——


 光が見えた。


 オーロラのような、光。


 緑色と青色が、混じった光。


 揺らめいている。


 京は——歩き出した。


 その光へ向かって。


-----


 三人が——


 それぞれの場所で——


 北の光を見ていた。


 刃は、峠の上から。


 澪は、小屋の窓から。


 京は、海岸から。


 三人の視線が——


 同じ方向を向いていた。


 北。


 光が、揺らめいている。


 それは——


 呼んでいるようだった。


 来い、と。


 ここへ、と。


 答えが、ここにある、と。


 刃は、生存者たちを振り返った。


「あの光が見えるか」


 生存者たちが、光を見る。


「あそこへ行く」


 刃が言う。


「あそこに——きっと、答えがある」


 澪は、子供を抱きしめた。


「あの光——」


 澪が呟く。


「あなたは、あそこにいるの……京……」


 京は、光を見つめた。


「待っていろ」


 京が呟く。


「今、行く」


 三人が——


 北へ向かって、歩き出した。


 それぞれの道を。


 でも——やがて、交わる。


 北の光の下で。


 そこで——


 何が待っているのか。


 覚醒種と呼ばれる存在が——


 三人を、待っている。


 新たなフェーズが——


 始まろうとしていた。


-----


(了)

ゾンビサイド第2部「裂け目」は、本話をもって完結です。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


続く第3部「蠢動しゅんどう」は、2月2日 20時より公開予定です。

第3部は月・水・金/20時更新。


物語は、より深い段階へ進みます。


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