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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第2部「裂け目」

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第33話「北方行軍」

 雪が、降り始めていた。


 白い雪。小さな雪。ひらひらと、空から舞い落ちる。


 北方の山岳地帯。


 避難民の列が、山道を登っていた。


 百人ほど。老人、子供、女性、男性。疲れ切った顔。青白い顔。誰もが、限界だった。


 荷物を背負い、杖をつき、子供を抱え、一歩、また一歩。


 足音が、雪に吸い込まれる。ザクッ、ザクッ。


 風が吹く。冷たい風。体温を奪う風。


 誰かが、咳をする。ゴホッ、ゴホッ。


 誰かが、倒れる。ドサリ、という音。


 列が、止まる。


「大丈夫か!」


 兵士が駆け寄る。


 倒れたのは、老人だった。


 七十代くらい。痩せた体。白い髪。閉じた目。


 呼吸が——していない。


 兵士が、老人の首に手を当てる。


 脈が——ない。


 死んでいる。


 兵士は、目を伏せた。


「……行こう」


 兵士が立ち上がる。


「置いていくのか!」


 避難民の一人が叫ぶ。


「埋葬しないのか!」


「時間がない」


 兵士が答える。


「このままでは、全員が凍死する」


 避難民は、何も言えなかった。


 列が、再び動き出す。


 老人の遺体を、残して。


 雪が、遺体を覆い始める。


 白い雪。静かな雪。


-----


 同じ頃。


 森の中。


 藤宮澪は、走っていた。


 息が白い。吐く息が、白く凍る。


 足が冷たい。ブーツの中まで、冷気が入り込んでいる。


 手が悴む。指が動かしにくい。


 でも——止まれない。


 背後から、まだ追われている。


 足音が、聞こえる。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 兵士たちだ。


 澪は、木の陰に隠れた。


 呼吸を整える。肩で息をする。


 足音が、近づいてくる。


「この辺りにいるはずだ!」


 声が響く。


「見つけ次第、射殺しろ!」


 澪は、唇を噛んだ。


 射殺——


 もう、捕まえる気はないのか。


 澪は、腰のナイフを握った。


 戦うのか——


 いや、勝てない。


 相手は五人。こちらは一人。しかも、武器はナイフだけ。


 澪は、木の陰から覗いた。


 兵士たちが、散開している。


 一人、二人、三人——


 五人全員が、見える。


 その中の一人が、こちらを向いた。


 目が合う。


 しまった——


「いたぞ!」


 兵士が叫ぶ。


 銃を構える。


 澪は、走り出した。


 パン。


 銃声が響く。


 木の幹に、弾が当たる。バキン、という音。木片が飛び散る。


 澪は、ジグザグに走る。


 木から木へ。


 パン、パン。


 銃声が続く。


 澪の横を、弾が掠める。


 耳元で、ヒュン、という音。


 近い。


 澪は、斜面を滑り降りた。


 雪が積もっている。滑る。


 体が傾く。バランスを取る。


 転びそうになる。でも、踏ん張る。


 斜面の下——川がある。


 凍っている。


 澪は、氷の上に飛び降りた。


 着地。


 氷が軋む。ミシミシ、という音。


 割れる——


 澪は、走った。


 対岸へ。


 氷の上を。


 ミシミシ、ミシミシ。


 氷が、割れ始める。


 ヒビが入る。


 澪は、必死に走る。


 あと少し——


 対岸に、たどり着いた。


 振り返る。


 兵士たちが、川の向こう岸にいる。


 一人が、氷の上に足を踏み出そうとする——


 バキン。


 氷が割れる。


 兵士が、水に落ちる。


 悲鳴が響く。


「助けろ!」


 他の兵士たちが、慌てる。


 澪は——その隙に、走り去った。


 北へ。


-----


 同じ頃。


 森の奥。


 神谷刃は、ゾンビを狩っていた。


 剣を振るい、一体、また一体。


 血が飛び散る。


 首が転がる。


 刃の服は、血で染まっている。


 顔にも、血がついている。


 でも——止まらない。


 次のゾンビを探す。


 気配を感じる。


 東——二百メートル。


 三体。


 刃は、そちらへ向かった。


 走る。


 木々の間を抜け、雪を踏み、岩を飛び越える。


 速い。


 人間の速さではない。


 やがて——ゾンビが見える。


 三体。


 血まみれで、喉を鳴らしている。


 刃を見て——襲いかかってきた。


 刃は、剣を抜いた。


 一閃。


 一体目の首が飛ぶ。


 二閃。


 二体目の胴が裂ける。


 三閃。


 三体目の頭が割れる。


 すべて——数秒だった。


 刃は、剣を納めた。


 呼吸が——乱れていない。


 疲れていない。


 力が、溢れている。


 刃は、自分の手を見た。


 血まみれの手。


 震えていない。


 これは——


 人間の手なのか。


 それとも——


 刃の頭に、声が響いた。


 ——殺せ。


 ——もっと殺せ。


 ——それが、お前の役目だ。


 刃は、頭を振った。


 違う。


 俺は、人を守るために戦っている。


 ゾンビを倒すために——


 でも——


 本当にそうか。


 刃は、自分の胸に手を当てた。


 心臓が、激しく打っている。


 ドクン、ドクン、ドクン。


 血が、沸き立っている。


 これは——


 戦いの高揚か。


 それとも——


 刃の中で、何かが変わり始めている。


 理性と、衝動の境界。


 その境界が——曖昧になっている。


 刃は、空を見上げた。


 雪が、降っている。


 白い雪。


 静かな雪。


 その雪が——血で汚れた地面を、覆い隠していく。


-----


 同じ頃。


 海の向こう。


 大陸。


 藤原京は、砂浜に立っていた。


 波が、足元を洗う。


 ザザー、ザザー。


 京は、ようやく——陸地にたどり着いた。


 長い泳ぎだった。


 何日——いや、何週間泳いだのか。


 わからない。


 時間の感覚が、ない。


 ただ、泳ぎ続けた。


 そして——ここに、たどり着いた。


 京は、砂浜を歩いた。


 足跡が、砂についていく。


 周囲を見渡す。


 木が生い茂り、岩が転がり、鳥が鳴いている。


 そして——


 何か、建物がある。


 いや——建物ではない。


 集落だ。


 京は、その集落へ向かった。


 近づくと——わかった。


 これは——


 人間の集落ではない。


 建物は、崩れかけている。


 壁に、爪痕がある。


 地面に、血痕がある。


 そして——


 人影が、見える。


 いや——人間ではない。


 ゾンビだ。


 でも——普通のゾンビではない。


 動きが、違う。


 ふらついていない。


 這っていない。


 まっすぐに、歩いている。


 人間のように。


 京は、一人の——いや、一体のゾンビに近づいた。


 男性のゾンビ。


 三十代くらいだろうか。


 服を着ている。ボロボロだが、着ている。


 顔は——人間に近い。


 目が、濁っていない。


 いや——金色だ。


 京と同じ、金色の瞳。


 そのゾンビが、京を見た。


 そして——口を開いた。


「……お前も、か」


 言葉だ。


 ゾンビが——喋った。


 京は、息を呑んだ。


「お前も——進化したのか」


 そのゾンビが、京に近づく。


 敵意は、ない。


 ただ、興味深そうに見ている。


「俺は、ヤマト」


 ゾンビが、自己紹介した。


「お前は?」


 京は、しばらく黙っていた。


 そして——


「……京」


 答えた。


 ヤマトが、頷いた。


「京、か。いい名だ」


 ヤマトが、集落を指す。


「ここは、俺たちの集落だ」


「俺たち——?」


「ああ」


 ヤマトが、笑った。


 人間のような笑顔。


「進化した感染体の集落だ」


 京は、集落を見渡した。


 他にも——進化したゾンビがいる。


 十人——いや、二十人以上。


 皆、金色の瞳をしている。


 皆、言葉を話している。


 皆、理性を保っている。


 これは——


 新しい種族だ。


 人間でもなく、ゾンビでもなく——


 何か、別の存在。


 ヤマトが、京の肩に手を置いた。


「ようこそ、京」


 ヤマトが言う。


「お前は、もう一人じゃない」


 京は——何も言えなかった。


 ただ、集落を見つめていた。


 金色の瞳をした者たちを。


 自分と同じ、境界の存在たちを。


-----


 北方の山岳地帯。


 避難民の列は、まだ進んでいた。


 雪の中を。


 寒さの中を。


 死の影を背負いながら。


 兵士の一人が、地図を見ている。


「あと、どれくらいだ?」


 隣の兵士が聞く。


「……わからない」


 地図を見ている兵士が答える。


「この先に、避難所があるはずだが——」


「はず、か」


 隣の兵士が、苦笑する。


「もう、何も確かなことはないんだな」


 二人は、黙った。


 列が、進む。


 北へ。


 ただ、北へ。


-----


 森の中。


 澪は、走っていた。


 まだ、追われている。


 でも——距離が開いた。


 少しだけ。


 澪は、立ち止まった。


 木に背中をつけ、息を整える。


 肺が痛い。


 足が痛い。


 全身が、痛い。


 でも——生きている。


 澪は、北を見た。


 雪が、降っている。


 この先に——何があるのか。


 わからない。


 でも——


 澪の脳裏に、金の瞳がちらついた。


 藤原京。


 彼は——北にいるのか。


 それとも——


 澪は、再び走り出した。


 北へ。


-----


 森の奥。


 刃は、剣を背負い、歩いていた。


 ゾンビを狩り終えた。


 この周辺には——もういない。


 刃は、北を見た。


 雪が、降っている。


 この先に——


 避難所があるはずだ。


 人々がいるはずだ。


 守るべき者が、いるはずだ。


 でも——


 刃は、自分の手を見た。


 血まみれの手。


 これで——人を守れるのか。


 それとも——


 刃は、拳を握った。


 まだ、人間だ。


 まだ、理性がある。


 それを、信じる。


 刃は、歩き出した。


 北へ。


-----


 大陸の集落。


 京は、ヤマトに案内されていた。


 集落の中を。


 建物の中には、進化したゾンビたちが住んでいる。


 火を焚いている者もいる。


 食事をしている者もいる。


 人間と——変わらない。


 いや、違う。


 彼らが食べているのは——


 人肉だった。


 京は、目を逸らした。


 ヤマトが、京を見る。


「嫌悪するか?」


「……いや」


 京が答える。


「ただ——」


「ただ?」


「人間だった頃を、思い出した」


 ヤマトが、頷いた。


「俺もだ」


 ヤマトが、空を見上げる。


「俺たちは、人間じゃない」


 ヤマトが言う。


「でも、ゾンビでもない」


「じゃあ——何だ」


「新しい種族だ」


 ヤマトが、京を見る。


「進化した存在だ」


 京は、黙っていた。


 進化——


 それが、正しいのか。


 わからない。


 でも——


 京は、この集落で——


 何かを学べるかもしれない。


 自分が、何者なのか。


 どこへ向かうべきなのか。


 京は、ヤマトに聞いた。


「ここには——何人いる?」


「三十人ほど」


 ヤマトが答える。


「皆、お前と同じだ」


「北から来た者は?」


「北?」


 ヤマトが首を傾げる。


「北から来た者は——いない」


「そうか」


 京は、北を見た。


 雪が——降っていない。


 ここは、暖かい。


 でも——


 京の心は、北を向いている。


 あの島で見た文字。


《海の向こうで、待っている》


 あれは——


 誰が書いたのか。


 何を待っているのか。


 京は——知りたかった。


-----


 三者が、それぞれ北へ進んでいた。


 刃は、森を抜け、山を登る。


 澪は、追手を逃れ、雪の中を走る。


 京は——大陸から、さらに北を目指す決意をする。


 三人の道は、まだ交わらない。


 でも——やがて、交わる。


 その時——


 何が起きるのか。


 終末の行軍が、始まっていた。


 人類の終わりと——


 新しい種族の始まりの、狭間で。


-----


(了)

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