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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第2部「裂け目」

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第32話「変異」

この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。

ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。

どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。

 森の中。


 神谷刃は、目を覚ました。


 冷たい土の感触。背中に、湿った落ち葉が張り付いている。ひんやりとした感触。湿った空気が、肺に入る。木々の匂い。土の匂い。腐葉土の匂い。そして——わずかに、血の匂い。


 空を見上げる。枝の隙間から、朝日が差し込んでいる。木漏れ日が、顔を照らす。暖かい。鳥が鳴いている。チチチ、という声。遠くで、カラスが鳴く。カァ、カァ。


 刃は、体を起こした。


 背中が痛い。服が破れている。泥と血で汚れている。血が滲んでいる。自分の血か、それとも——


 でも——生きている。


 心臓が打っている。肺が動いている。血が流れている。


 刃は、左腕を見た。


 包帯が、ボロボロだ。ほどける。


 傷が、露出する。


 紫色の筋が——止まっていた。


 首まで達していた筋が、そこで止まっている。広がっていない。


 刃は、息を呑んだ。


 なぜ——


 感染は、進行するはずだ。止まることはない。必ず、全身に広がり、脳に達し、発症する。


 でも——止まっている。


 刃は、手を握った。開いた。拳を作った。


 力が、ある。


 昨日よりも、強い。


 視界が、クリアだ。


 音が、よく聞こえる。


 遠くで枝が折れる音。葉が揺れる音。小動物が駆ける音。


 匂いが、わかる。


 土の匂い。木の匂い。そして——


 血の匂い。


 ゾンビの匂い。


 刃は、立ち上がった。


 ゾンビが——近くにいる。


 どこだ。


 刃は、剣を抜いた。


 刃が、朝日を反射する。


 気配を探る。


 東——いや、北東だ。


 三百メートルほど先。


 五体。


 刃は、走り出した。


 木々の間を抜け、枝を避け、岩を飛び越える。


 速い。


 人間の走りではない。


 いや——まだ人間だ。


 でも、違う。


 何かが——変わった。


 刃は、ゾンビの群れを見つけた。


 五体。


 崩れた服を着て、血まみれで、喉を鳴らしている。グゥ、グゥ、という音。獣のような音。


 その中の一体が、刃に気づいた。濁った目が、刃を捉える。


 刃を見て——襲いかかってきた。


 他の四体も、続く。


 刃は、剣を構えた。


 溜め。


 一体目が飛びかかる。両腕を広げ、口を開け、牙を剥く。


 刃が剣を振る。横一閃。刃が、空気を切る音。


 結果。


 首が飛ぶ。綺麗に切断される。



 血が噴き出し、体が崩れ落ちる。ドサリ、という音。首が地面を転がる。


 二体目が腕を伸ばす。爪が伸びている。鋭い爪。刃の顔を狙う。


 刃が身を捻り、剣を横薙ぎに振る。


 結果。


 腕が切断される。肘から先が飛ぶ。


 ゾンビが、バランスを崩す。よろめく。


 刃が踏み込む。一歩、二歩。距離を詰める。


 剣を突き刺す。額へ。


 結果。


 頭を貫く。刃が、頭蓋骨を突き破る。ズブリ、という音。


 ゾンビが、動かなくなる。刃が剣を引き抜く。血が滴る。


 三体目が、背後から襲いかかる。刃は振り向きもせず、気配だけで感知する。


 剣を背後へ突き出す。回転しながら。


 結果。


 ゾンビの喉を貫く。


 ゾンビが、倒れる。喉から血を噴き出しながら。


 四体目が、地を這うように接近する。低い姿勢。速い。


 刃が跳躍し、空中で剣を振り下ろす。


 結果。


 頭が真っ二つに割れる。


 ゾンビが、ピクリとも動かなくなる。


 五体目——最後の一体が、叫びながら突進してくる。


 刃が剣を構え、一歩踏み込み、胴を薙ぐ。


 結果。


 胴体が、上下に分かれる。


 上半身と下半身が、別々に倒れる。内臓が飛び散る。


 残り三体。


 刃は、息も切らさず戦い続けた。


 速く、正確に。


 やがて——すべてのゾンビが、倒れた。


 刃は、剣を納めた。


 手が、震えていない。


 呼吸が、乱れていない。


 疲れていない。


 刃は、自分の呼吸を確かめた。


 速い。だが苦しくない。


 血の巡りが異様に早い。脈が、心臓ではなく全身で打っているように感じる。ドクン、ドクン、ドクン。体中が、生きている。


 皮膚の下を、何かが這っている。熱い光が脈動しているようだった。紫の筋が、血管の中で蠢いている。


 森の匂いが、異様に鮮明だ。腐肉と土と血の層が、色彩のように脳に焼きつく。一つ一つの匂いが、分離して認識できる。


 ——俺は、生きている。


 いや、違う。


 生きている”つもり”でしかないのかもしれない。


 これは——


 刃は、自分の手を見た。


 人間の手だ。


 でも——何かが違う。


 境界の存在。


 人間でもなく、ゾンビでもない。


 その間に——いる。


 刃は、空を見上げた。


 青い空。白い雲。


 俺は——何になったんだ。


-----


 同じ頃。


 海沿いのキャンプ地。


 感染者処理班のテント。


 藤宮澪は、そこにいた。


 テントの中は、暗い。ランプの明かりだけが、辺りを照らしている。


 澪の前には——また感染者がいた。


 今度は、女性だ。


 二十代後半。痩せた体、青白い顔、震える唇。


 腕に、噛み跡がある。


 発症は、まだだ。


 でも——時間の問題だ。


 女性は、椅子に縛られている。ロープで、手首と足首を。


 澪は、ライフルを構えていた。


 銃口が、女性の額を向いている。


 引き金に、指がかかっている。


 でも——


 撃てない。


「お願い……」


 女性が、か細い声で言う。


「私を……助けて……」


 澪は、唇を噛んだ。


 助けられない。


 感染したら——もう、終わりだ。


 治療法は、ない。


 ワクチンも、ない。


 できることは——殺すことだけだ。


「お願い……」


 女性が、涙を流す。


「私には……子供がいるの……」


 澪の手が、震えた。


「まだ……会いたい……」


 澪は、目を閉じた。


 深く息をする。


 そして——


 銃を下ろした。


「できない……」


 澪が、呟く。


「私には……できない……」


 その時、テントの入口が開いた。


 将校が入ってくる。冷たい目をした男。


「藤宮軍曹。なぜ撃たない」


 澪は、振り返った。


「この人は……まだ人間です」


「感染者だ」


 将校が、冷たく言う。


「人間ではない」


「でも——」


「命令だ」


 将校が、拳銃を抜く。


 女性に向ける。


「撃て。それができないなら——」


 パン。


 銃声が、テントに響いた。


 女性の頭に、穴が開く。


 動きが、止まる。


 澪は、息を呑んだ。


「次は、お前が撃て」


 将校が、澪を見る。


「拒否すれば——お前も、処分される」


 澪は、何も言えなかった。


 将校が、去る。


 テントに、澪だけが残された。


 死体と、二人きり。


 澤は、拳を握りしめた。


 これ以上——できない。


 この任務を、続けられない。


 澪は、ライフルを置いた。


 テントの外に出ると、空は灰色だった。


 遠くの海面に、薄い光が揺れている。朝日が、雲の間から覗いている。


 風が冷たい。肌を刺す。


 澪は、拳を握った。


 あの少年の声が、耳の奥でこだまする。


 「早く殺してくれ——」


 唇を噛む。血の味。鉄の味。


 軍服の袖に、涙が落ちる。染みが広がる。


 逃げれば、すべてを失う。


 軍人としての誇り。仲間。立場。


 でも、残れば、自分が壊れる。


 人間として、何かが——取り返しがつかないほど壊れる。


 その境界で、澪は一歩を踏み出した。


 外は、明るい。


 朝日が、キャンプ地を照らしている。


 兵士たちが、動いている。


 澪は、キャンプ地の端へ向かった。


 誰にも気づかれないように。


 フェンスがある。


 澪は、フェンスを越えた。


 そして——走り出した。


 北へ。


 どこへ行くのか、わからない。


 でも——ここにはいられない。


 罪悪感が、澪を押し潰す。


 恐怖が、澪を追いかける。


 でも——止まれない。


 澪は、走り続けた。


-----


 同じ頃。


 海の向こう。


 小さな島。


 藤原京は、研究施設の中を歩いていた。


 廊下が続いている。長い廊下。両側に、扉が並んでいる。


 暗い。窓がない。光が入らない。


 でも、京の目には見える。金色の瞳が、暗闇を見通す。


 壁が、錆びている。ペンキが剥がれている。床に、埃が積もっている。誰も、長い間、ここに来ていない。


 空気が、淀んでいる。カビの匂い。錆の匂い。そして——死の匂い。


 京は、施設の奥へ進んだ。


 一つ目の部屋を覗く。


 実験室だった。


 機材が散乱している。顕微鏡が倒れ、試験管が割れ、書類が床に散らばっている。


 京は、次の部屋へ。


 そこには——檻があった。


 鉄の檻。錆びている。


 中に——骨がある。


 人間の骨だ。


 いや、違う。


 人間の骨と——何か別の骨が、混ざっている。


 変形している。異常に長い腕の骨。指が六本ある手の骨。巨大な頭蓋骨。鋭い牙が生えている顎。


 これは——


 実験の失敗作だ。


 京は、檻から離れた。


 次の部屋へ。


 水槽の部屋。


 巨大な水槽。ガラスが割れ、中の水は抜けている。床が濡れている。


 底に——何かがあった。


 人間の形をしていた。


 いや、していない。


 半分、人間で、半分——ゾンビだ。


 右半身は、人間の肌。白い肌。


 左半身は、腐った肌。緑色の肌。


 顔も、半分だけ人間。目が開いている。虚ろな目。


 半分は、ゾンビ。目が濁っている。


 死んでいる。


 動かない。


 でも——その姿は、京に何かを語りかけていた。


 これが——融合の結果だ。


 成功ではない。


 失敗だ。


 京は、扉を見つけた。


 鉄の扉。


 施錠されている。頑丈な鍵。


 京は、扉を蹴った。


 ガン。


 扉が、歪む。金属が軋む。


 もう一度。


 ガン。


 扉が、外れる。蝶番が壊れる。


 中に——部屋がある。


 広い部屋。天井が高い。


 中央に、巨大なコンピュータがある。


 古い機械。埃をかぶっている。


 京は、コンピュータに近づいた。


 画面が、薄っすらと光っている。


 まだ、電源が入っている。


 京は、キーボードを叩いた。


 画面が、明るくなる。


 文字が、表示される。


《感染進化体プロジェクト》


《責任者:橘 悠二》


《目的:感染体の進化促進および制御》


《実験段階:第七段階》


《成功例:ゼロ》


《失敗例:四十七体》


 京は、画面を見つめた。


 感染進化体——


 それが、このプロジェクトの名前だ。


 京は、次のページを開いた。


《実験概要》


《感染体は、人肉を摂取することで進化する》


《しかし、その進化は制御不能である》


《我々は、進化を制御し、理性を保ったまま強化された個体を作ることを目指した》


《だが——》


《すべて、失敗した》


 京は、さらにページをめくる。


《実験記録 第一段階》


《被験者A:男性、三十歳》


《感染後、人肉を与える》


《結果:進化せず、通常のゾンビ化》


《実験記録 第二段階》


《被験者B:女性、二十五歳》


《感染後、大量の人肉を与える》


《結果:進化を確認。身体能力向上》


《しかし、理性を失い、凶暴化》


《処分》


 京は、読み続けた。


 何十ものページ。


 何十もの実験。


 そして——すべて、失敗だった。


 やがて——最後のページに、たどり着いた。


《実験記録 最終段階》


《被験者Z:性別不明、年齢不明》


《感染後、特殊な処置を施す》


《結果:進化を確認。身体能力向上。理性保持》


《成功——か?》


《だが、被験者は施設から逃亡》


《現在、行方不明》


《追記:この実験は、失敗である》


《我々は、神を作ろうとした》


《だが、作られたのは——悪魔だった》


 京は、画面を見つめた。


 被験者Z——


 それは、誰だ。


 そして——どこへ行ったのか。


 京の胸の奥で、何かが反応する。


 あの文字と——同じだ。


《海の向こうで、待っている》


 京は、コンピュータから離れた。


 部屋を出る。


 廊下を歩く。


 その時——足を止めた。


 壁の金属板に、文字が刻まれている。


 錆びた金属。削られた文字。


《Z-01:試験体登録名——KYO》


 息が止まる。


 自分の名前。


 偶然なのか、それとも——


 頭の奥で、誰かの声が響いた。


 ——“お前は最初から、選ばれていた”


 京は、拳を握った。


 心臓が、強く打つ。


 これは——記憶なのか。幻聴なのか。


 わからない。


 でも——確かに聞こえた。


 京は、金属板を見つめた。


 KYO。


 自分は——ここで生まれたのか。


 それとも——


 京は、施設を出た。


 波が、足元を洗う。冷たい水。


 目の奥が、金色に燃える。


 外は、明るい。


 太陽が、空を照らしている。


 海が、広がっている。


 京は、海を見つめた。


 波が、打ち寄せている。


 その向こうに——何かがある。


 被験者Z。


 成功した実験体。


 悪魔。


 京は、再び海へ入った。


 泳ぎ始める。


 金色の瞳が、輝く。


 海の向こうへ。


-----


 北方の森。


 刃は、歩いていた。


 避難所へは——戻らない。


 もう、人間ではない。


 境界の存在だ。


 人々の中にいることは——できない。


 刃は、木々の間を抜け、道なき道を進む。


 どこへ行くのか、わからない。


 でも——前へ進む。


 それしか、できない。


 刃の感覚が、研ぎ澄まされている。


 遠くで、何かが動く。


 ゾンビだ。


 十体ほど。


 群れている。


 刃は、そちらへ向かった。


 戦うために。


 それが——今の自分にできることだ。


-----


 海沿いのキャンプ地。


 処理班のテントに、兵士が駆け込んできた。


「藤宮軍曹が、逃亡しました!」


 将校が、顔を歪める。


「追え。捕らえろ。脱走兵は——銃殺だ」


 兵士たちが、走り出す。


 澪を追って。


 北へ。


-----


 澪は、森の中を走っていた。


 息が上がる。喉が焼けるように痛い。


 足が痛い。ブーツが足首に食い込む。


 でも——止まれない。


 木々の間を抜ける。枝が顔を掠める。痛い。頬が切れる。


 根っこに躓きそうになる。バランスを取り直す。


 背後から、足音が聞こえる。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 複数の足音。


 追っ手だ。


 兵士たちが、追ってくる。


「藤宮軍曹! 止まれ!」


 声が響く。


 澪は、振り返らない。


 ただ、走る。


 森が深くなる。木が密集し、光が届かなくなる。薄暗い。


 足元が見えにくい。でも、止まれない。


 澪は、必死に走る。


 木々の間を抜け、枝を避け、岩を飛び越える。


 肺が悲鳴を上げる。心臓が激しく打つ。


 足音が——近づいてくる。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 もっと速く。


 もっと遠くへ。


 澪は、斜面を駆け下りた。滑りそうになる。木に手をつき、バランスを取る。


 小川がある。水が流れている。冷たい水。


 澪は、川に飛び込んだ。水しぶきが上がる。


 冷たい。足が痺れる。


 でも、止まらない。


 川を渡り、対岸へ。


 這い上がる。泥が手につく。


 そして——また走る。


 足音が——遠ざかっている。


 少しだけ。


 でも、まだ追ってくる。


 どこまで——逃げられるのか。


 わからない。


 でも——


 澪の頭に、一つの顔が浮かんだ。


 金色の瞳の男。


 藤原京。


 彼は——どこにいるのか。


 まだ、生きているのか。


 澪は、走り続けた。


-----


 海の上。


 京は、泳いでいた。


 波が、京を押す。


 風が、京を運ぶ。


 太陽が、京を照らす。


 金色の瞳が、前を見つめる。


 海の向こうに——陸地が見える。


 大きな陸地。


 大陸だ。


 京は、そこを目指す。


 泳ぎ続ける。


 止まらない。


 疲れない。


 ただ、進む。


-----


 三人の変異が、進行していた。


 刃は、境界の存在として。


 澪は、逃亡者として。


 京は、進化体として。


 それぞれが、違う道を歩いている。


 でも——やがて、再び交わる。


 その時——


 何が起きるのか。


 誰にも、わからない。


 国家は、崩壊した。


 人類は、滅びつつある。


 そして——新たなフェーズが、開かれようとしていた。


 人間と、ゾンビと、その境界にいる者たちの——物語が。


-----


(了)

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。

また次の物語で、お会いできる日を願っています。


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