(13)
新年が慌ただしく明け、砂の国に珍しく雪が降ったその日。
アウストラリス第十王子の結婚式がささやかに行われた。
宴の主役の一人である王子は、髪の色に合わせた銀の衣装を身に纏って微笑んでいる。その笑顔はいつもに増して柔和で、辺りの雰囲気を春色に染めるかのよう。
一方隣に座る相手の女性はジョイア風の裾の広がった雪のような純白の衣装を身に付けている。紗のベールを頭から被り、花冠を被った幻想的な姿は、まるで雪の妖精のようでもあった。
元々儚げな外見ではあったが、ふんわりとした衣装のせいで印象には拍車がかかっている。だが、夫となった王子に、吹雪のような冷たい視線を向けていて、愛らしさを台無しにしている。それを招待客がひどく残念そうな顔で見つめていた。
「こんな時でもまだ喧嘩してるのか、あの二人」
近くの席に座って酒を飲んでいた王太子ルティリクスがやれやれと呟くと、隣にいた妻が苦笑いを浮かべてため息をつく。
「まぁ、喧嘩するほど仲が良いって言うじゃない? それにしょうがないわよ、今回の事は殿下に非があるのだもの」
そう言いながらも、妻は嬉しそうだ。
「……一応牽制してたんだが、な。裏をかいたか」
「え?」
夫の言葉に妻は首を傾げるが、彼は首を振るだけでそれ以上は口にしなかった。
中央に設えられた一段高い席の上。化粧を施しても隠しきれないほどの青白い顔をしたシェリアは、目の前に置かれた豪勢な食事を見ると苦しげに胸を抑える。
「もう、だめ。早く部屋に戻りたい」
「……ごめんね。代わってあげられればいいんだけど」
口では殊勝に言うものの、先ほどの儀式で名実ともに夫となった男はニコニコと嬉しそうだ。
「一応は気を付けてはいたんだけど、まさか、そんなに簡単にできるとは思ってなくて」
「簡単?」
(できても全然おかしくないわよ! 確信犯でしょ!)
さすがに口には出せないので、心の中で叫ぶ。怒っている方が多少気が紛れるのだ。
「身内だけの小さな式だから、休憩に行っても全然問題ないよ。というか、もう皆に顔も見せたし部屋に下がろうか。ドレスも窮屈だろう?」
「いいえ。これを着るのを楽しみにしてたのよ。そんなにあっさり脱いでたまるものですか」
意図するところを察し、ぎりりと睨むと、彼はやれやれと肩をすくめた。
「今日は新婚初夜なのに?」
「今さらなにが初夜よ。それに、今は大事な時期なのよ。いっそしばらく禁止してもいいくらいでしょ」
「そんなに心配しなくても、僕はしっかり心得てるから大丈夫だよ」
ふわりと子供のように笑われ、シェリアは一瞬吐き気を忘れる。
「それに、僕に夢中になっている間は、辛いのは忘れられるだろう?」
「…………っ」
事実だったのでシェリアは反論できずに言葉を飲み込んだ。
ここのところ、ずっと気分が悪く、食欲も落ちていた。不安に思ってヨルゴスに相談したところ、それは判明した。シェリアは現在妊娠三ヶ月になろうとしている。
元々が痩せているし、まだ目立つような時期でもなかったので、ドレスの手直しもせずにすんだが、盛大になる予定だった披露宴は随分縮小されてしまった。
だが、それはシェリアにとってはありがたい事で。
父ダモンが釈放されたのはつい最近の事だし、国ではまだ口さがなく言うものも多い。
式が大きくなれば当然ジョイアからの客は増える。そういった連中に白い目で見られながらの挙式などまっぴらだったのだ。
シェリアはちらりとヨルゴスを見る。
(そこまで計算してたのかしら?)
頭の回るヨルゴスならばあり得ない事ではない。
『シェリアに負担をかけたくない』という正当な理由を別のところから持って来た夫に彼女はこっそりと感謝する。
だが――
シェリアはまだ膨らみなどまったくない自分の腹を撫でた。
(少しだけでいいから、新婚生活っていうものも楽しみたかったかも)
いろいろ順番が逆になってしまったのは元々は自分のせいなのだけれど、まさか、彼が子供までもを望んでいるとは思いもしなかったのだ。そして、彼女が妊娠について心配しはじめたのは、行為に慣れたあと――つまり結構経ってからからの事だった。
(子供好きには見えないんだけれど……意外だわ)
だが、その事を聞いて感涙に咽んだレサトを見て、柔らかく微笑んでいたヨルゴスを思い出すと、良かったと素直に思えてしまう。母の事で苦しむ彼を見なくていいのは、シェリアにとっても嬉しい事だ。
「シェリア、父が来た。公の場に顔を出す事は滅多に無いのに……珍しいな。花嫁を見に来たのかな……」
広間に広がったざわめきに目線をあげると、中央に予想外の外見をした男が立っていて、シェリアは思わず目を見張った。
多数の女性に囲まれている王兄ザウラクの鋼色の髪はヨルゴスと同じ。どんな嫌らしそうな男かと思っていたが、意外や意外、端正な顔をした、むしろ爽やかさの滲む中年男性だった。どちらかと言うと造作は王太子に似ている。だが同じく似ているラサラス王とは雰囲気が正反対だった。王や王太子にはある迫力が欠落しているのだ。にこりと笑うと目元の笑い皺が深く刻まれて、妙に感じが良く、憎めない。柔らかい雰囲気はヨルゴスも受け継いでいるような気がした。
外見は母、雰囲気は父から受け継いだのだろうか。そんな事を考えて、
「にてる、かも」
とぽろっとこぼすと、ヨルゴスは「中身は似てないよ」と口を尖らせる。
あのように周囲に女性を侍らせたヨルゴスは想像できないが、あり得ない事ではない。アウストラリスは一夫多妻制で、贔屓目かも知れないがヨルゴスはザウラクよりきっと美男だし、なんといってもシェリアは新婚早々身重になってしまったのだから。
ザウラクが妻の姉妹に手を出し、孕ませたという逸話を思い出す。ここはそれが許される国なのだと肝に銘じていたはずだけれど、覚悟ができていると言えば嘘になる。
「――君しか要らない」
ヨルゴスはシェリアの憂鬱を払うようにそう言うと、珍しく赤くなりながら彼女の手を取った。
「さて、君が誘惑される前に部屋に戻ろう」
「誘惑?」
シェリアは眉をしかめて、もう一度話題の男に目をやった。
「父の特技でね。女性が勝手にぽろぽろと落ちて行くんだ」
ある意味無理矢理なアステリオンより質が悪いかもなあとヨルゴスはぼやきつつ、王太子に目線をやる。王太子は軽く頷くと、「音楽と酒を」と式を仕切り出す。主役の不在を誤摩化してくれるつもりのようだった。
部屋に戻り、彼はシェリアを長椅子に座らせる。そして自らは床に跪くと、シェリアの腰に抱きついて膝に頭を乗せる。まるで幼子が母親に甘えるような仕草に、くすりと笑うと、彼はシェリアのお腹に頬ずりをする。
「男の子だったら、君はいずれ母后になる」
「――――え、」
彼がシェリアにくれようとしているものを知り、思わず目を丸くした。
「まさか、そのために?」
確かにこの国では王の子が王位を世襲することは珍しい。王太子の子が王位を継ぐとは限らないのだ。子は優秀でさえあれば良い。そして王位争いをするならば、歳を取っている方が多少有利だ。
兄王子たちには既に男児がいる者もいるはず。ザウラクの末王子で、いままで未婚であった彼はただでさえ数年出遅れているのだ。
彼が急いだ理由が急にしっくり来た。だが、ヨルゴスは僅かに首を横に振る。
「最初はね、そういう野心があったんだ。でも――……こんな風に授かってみて、君との子供だと思うと、純粋に嬉しくてたまらない。男の子であろうと、女の子であろうと、きっと可愛い。不思議だな」
シェリアは思わず鋼色の頭を胸に抱きしめる。温かい感情が心を支配する。この人と一緒になれて心底幸せだと思った。
だが、そのとき。お腹を撫でていた手がつ、と脇道にそれる。
「それで――ええと、本当に脱がないの? 皺になるよ」
上目遣いでねだられて、シェリアは瞬く間に感動を手放して呆れた。
できるのは皺だけでない事は今までの事でよく分かっている。この衣装だけは駄目にしたくない。それでもシェリアはつんと澄ましたまま言った。
「脱がないわ」
寂しそうに眉を寄せるヨルゴスに満足すると、そこでシェリアはにやりと笑って提案した。
「――自分では脱げないの」
*
その年の夏の終わり。シェリアは無事に一人の王子を生んだ。
皮切りに、アウストラリスでは多くの子供が生まれ、それは国の繁栄を予言するかのようだったという。
本編を綺麗にまとめたつもりだったので、蛇足かな? とも思ったのですが、
ヨルゴスの裏の顔がどうしても書きたくて書いてしまいました。
本編と同じくらい長い番外編でしたが、お付き合いくださいまして本当にありがとうございました!
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また、子世代のお話も現在まったりと連載中です。こちらも楽しんでいただけると嬉しです!




