└偶然の再会
先輩の口は減らない。よっぽど破狭身さんとやらの作品が好きなのだろう。
ただ、ひとつ言うならば…うるさい。
人の迷惑とか考えないのだろうか…と僕は周囲に目を向けてみる。
ほら、やっぱり白い目で見られ……、あれ?
「あの子、分かってる! やっぱり破狭身氏は神だよな!」
「女にも破狭身氏の良さが分かる者が居たのだな…」
「お、お近付きになりたい…語り合いたい……」
……え、何この空気。怖い。これがオタクの醸し出す空気って奴なのか?
このフロアには全く女性がいない(というか先輩しかいない)のに、性別的には僕は全く浮いてない筈なのに、何この疎外感。僕みたいな非オタクがいちゃいけないオーラ。
まだ他の階へは行ってないんだけど、他の階にいる人達もこんな感じなのだろうか?
僕は、周囲の人間どころかこの建物30階にいる全ての人間から存在を否定されているような気分にもなる。
…ああ、帰りたい。
先輩の語りをバックに、そう心中で呟いていると。
「明日葉!」
――…誰かの声がした。
――その声を聞いた途端、先輩はそれまでの多弁っぷりが嘘のように語るのを止めた。そして、声がした方を振り向く。
「…! 直子!」
先輩の目が相手を捉えると、その表情は見る見るうちに嬉々としたものに変わった。
直子、と声の主の名前を呼びながら駆け出す。
僕は先輩を見送りつつ、声の主に視線を送る。
女の人だ。年齢は、雰囲気からして多分先輩と同い年くらいか。少なくとも、僕と同年代には見えない。
露出は多目だけれど、いやらしさとかじゃなく健康的な溌剌さを感じる。
先輩と女の人は、珍しい女性達の存在を気にする周囲には目もくれず、会話に花を咲かせていた。
表情はとても明るい。普段僕に対してするような、意地悪い笑みは皆無だった。
…普段から、ああいう感じだったらいいのに。
「はじめまして、明日葉の後輩くん。あたしは活海直子。よろしくね」
「土浦櫂斗です。…よろしくお願いします」
適当に近場のファーストフード店に入った僕達は、ようやくお互いの名前を知る事となった。
僕は、年上の人の自己紹介という慣れないシチュエーションに、たどたどしく応える。
さっきの様子からして先輩の友人…だと思うけど、醸し出す雰囲気からはあまりそうは感じない。勿論オタク的な意味で。
でも活海さんとも出会った場所が場所だから、やっぱりこの人も先輩と同じ世界の住人なのだろうか。
……ん? 活海…って、つい最近、本当につい最近に耳にした名前のような気が…。
「ようやく気付いたようだな」
僕の様子を見て察したのか、先輩は解説を始める。
「彼女は私の数少ない友人にして、君と同い年である活海逆人君の姉だよ」
そうだ。活海、という名字はたった数時間前に聞いた名前だった。
活海君とは特に関わり合いになる未来が見えない、なんて数時間前の自分は考えていたのに。まさかいきなりお姉さんと会う事になるとは…。
「ねぇねぇ後輩くん! 後輩くんは逆人と知り合い? 友達だったりしない? 明日葉と一緒にいるのを見て、制服も同じだしもしかしたらって思ったんだけど!
逆人はあまり学校でのことを話さないから、姉であるあたしとしては心配で心配で仕方がないのよっ!
ああもうっ、ほんっとに姉泣かせの弟よね! そこも可愛いーんだけど!!」
……。前言撤回。いや、口には出してないけど。
鼻息荒く弟の事を語る活海さんの姿は、淑女ゲー話を僕に振りまく先輩の姿となんら変わりない。
自分の好きなものに対して、他人に語らずにはいられない…類は友を呼ぶ、とはまさにこの事か。
「えっと…すみません。僕は弟さんとは知り合いじゃないんです。クラスも違くて…合同授業で会った事があるような…そんな程度です。申し訳ないですが」
僕の言葉に、活海さんは明らかに残念そうな顔をした。僕が何だか悪い事をしたような気分になる。
でも、知らないのは本当だし。
「姉弟関係は相変わらず良好なようだな」
「当たり前、あたし達きょうだいはお互いのこと大好きだもん。仲が悪くなんてならないわ。ありえないって」
自信満々に言って、活海さんは胸を張る。姉弟関係にヒビが入るなど有り得ない、考えられないと体中から表していた。
「元気そうで何よりだ。…逆人君とも、さっき学校で久し振りに話せたよ。
幾分か、元気になったようだな」
「…?」
『元気そうで何より』…その言葉に何だか僕は引っかかった。
会った時の二人の様子からして、最近は会っていなかったという事なんだろうけど…それだけにしては、何か…違和感を覚える。
先輩の接し方が、僕と活海さんとで違うから? だからかもしれない。
まるで活海さん達姉弟の事を気遣うように、目を細めて微笑を浮かべる先輩。
僕にとって新鮮であるその表情は、そういえば数時間前、校舎で話していた活海君に対しても同様だった。あの時僕は、先輩はただ他人へ接する時用の仮面を被っているだけだと思っていたけれど。
よくよく思い出してみれば、あの笑顔は今と…。
「…そうね。一時期は本当に大変だったから…逆人が少しでも元気になってくれて、あたしは凄く安心したの。
…『そうさせたのがあたしじゃない』ってのは、なかなかに堪えたけどね」
さっきまでとは打って変わって、何処か哀愁を漂わせながら活海さんは言った。
…僕にはあまり話が飲み込めないけれど、それは仕方がない。
僕は今日、活海さんと初めて出会った。しかも偶然にだ。弟の活海君とも、同じ学校の同学年ではあるけれど関わりはない。
言ってしまえば、ただの部外者なのだから。
…けれど、その部外者である僕にこんな話を聞かれてもいいのだろうか。先輩が気遣ってくれたのかもしれないけれど、別にひとりで帰れない子供ではないのだし気にしなくていいのに。
…いや、寧ろ、自分から帰りますと言い出すべきだったか。先輩と活海さんが久々の再会ならば尚更、二人きりで話したい事だってあるだろうし。
「ねぇ、後輩くんはきょうだいっている?」
「え。あ、いや…いません」
突然話を振られた。驚いた僕はいつも以上にぶっきらぼうに返してしまう。
「そっか…」
活海さんは僕の答えに何を感じたのか、「あのね」と言葉を切り出す。
「きょうだいってね、切っても切れない繋がりがあるの。血は水よりも濃いって言うけどさ、ホントにそんな感じ。
一緒に育った時間があるから、少なくともあたし…あたし達にとっては親よりも近い存在なのよ」
「……」
「お互いの良いトコ、駄目なトコ。そういうの、全部知ってる。誰より近くで、お互いを見てきたから。
…だから、ね」
活海さんの声は、重い。そして何より、寂しい。
それは、兄弟がおらず活海さんの気持ちを完全には理解出来ないだろう僕にも感じられた。
「逆人が、あたしの知らないトコで…あたし以上に大切な人をつくってたなんて…正直、すんごいショックだったの。うん、ぶっちゃけさ、嫉妬しちゃったのよ。ホントにあたし、ヤな姉だなーって思うんだけどね。
自分の素直な気持ちに、ウソは吐けなかった」
言葉を挟む余地なんてある筈なかった。
「……」
隣に座る先輩も、押し黙って話を聞いている。その横顔は真剣そのものだった。
「…逆人ね」