第26話 ほろ苦い新生アイリス(1)
新しい《アイリス》として、初めて受ける討伐依頼。
俺たちが選んだのは――レッドボアだった。
「またこいつか」
ギルドの依頼書を見ながら、俺は呟いた。
赤茶色の毛を持つ大型の猪型魔物。
以前、リリィと二人で討伐したことがある。
強力な突進を持つが、基本的な動きは直線的。正面からまともに受けなければ対処できる相手だ。
「知ってる相手の方がいいでしょ?」
隣でリリィが言った。
「そうだな。今回は新しい四人での連携確認が目的だし」
「エマは初めて見るっす!」
「わ、わたくしもですです」
エマは楽しそうだが、アーチェは少し緊張している。
『私も以前の戦闘記録を保有しています。新編成の実戦確認としては、妥当な選択だと考えます』
俺もそう思う。
未知の強敵に挑むわけじゃない。
リリィと俺には討伐経験があり、エーアイにもそのときの情報が残っている。
そこへエマとアーチェが加わった。
単純な戦力だけを考えれば、以前より明らかに上だ。
「よし。これにしよう」
こうして、新生最初の討伐依頼が決まった。
◇
街を出る前。
アーチェが杖を両手で握った。
「それじゃあ、いきますですです」
まずは昨日決めた通り、《キャリーサポート》。
安全な場所で詠唱版を使っておけば、目的地へ向かっている間にクールタイムは終わる。
アーチェが静かに息を吸った。
「長き道を歩む、その足取りに軽やかさを。
重き荷を背負う、その肩に安らぎを。
積み重なる疲れを和らげ、歩みを支え、
旅路の果てまで、その歩みを支えよ。
いきます!――《キャリーサポート》!」
身体がふっと軽くなる。
もちろん、背負っている荷物そのものが軽くなったわけじゃない。
それでも肩や腰にかかる負担は明らかに減った。
「やっぱり便利だな、これ」
「よかったですです」
アーチェが嬉しそうに笑う。
『予定通りです。目的地へ到着する頃にはクールタイムも終了しているでしょう』
「出発っす!」
エマが先頭へ飛び出しかける。
「エマ」
「はいっす?」
「今日は遊びじゃないぞ」
「分かってるっす!」
本当に分かってるのかな。
まあ、元気があるのは悪いことじゃない。
俺たちは街道を進み、途中から森へ入った。
木々の間を進みながら、エマが時々先行する。
しばらくすると戻ってくる。
「前方、異常なしっす!」
『エマさん。次回から、可能であれば地形についても報告してください』
「地形っすか?」
『見通し、足場、遮蔽物などです。敵がいないという情報だけでなく、戦闘が発生した場合に利用できる情報になります』
「なるほどっす。了解っす!」
エマが再び走っていく。
「便利ね」
リリィが小さく笑った。
「エマ?」
「エーアイさんも」
「ああ」
二人だった頃とは、集まってくる情報量が違う。
エマが前を見る。
リリィが周囲を警戒する。
アーチェは魔法で俺たちを支援できる。
エーアイが集まった情報を整理する。
そして俺が、それを使って判断する。
悪くない。
むしろ、かなりいい。
そんなことを考えていた。
◇
「いたっす」
先行していたエマが戻ってきた。
さっきまでとは違い、声が小さい。
「レッドボア一体っす。ここから少し先。木が少なくなってる場所にいるっす」
「こっちには?」
「気づいてないっす」
「周囲は?」
「見える範囲では他の魔物はいなかったっす。足場も悪くないっすよ。右側に大きな木が何本かあるっす」
さっそく報告内容が増えている。
『過去の情報と照合します。単独個体であれば、現在の《アイリス》の戦力で討伐可能と推定します』
「よし」
予定通りだ。
「アーチェ。《ブレッシング》を頼む。詠唱版で」
「はいですです」
まだ敵には気づかれていない。
時間は十分にある。
アーチェが杖を構える。
「その身に宿りし力よ、さらなる剛勇を。
その足に疾風を、その動きに軽やかさを。
その身に堅牢なる守りを、揺るがぬ強さを。
その叡智に澄み渡る光を、思考に冴えを与えよ。
いきます!――《ブレッシング》!」
身体に力が満ちる。
「これで準備完了っす!」
「まだ」
リリィがエマを止めた。
「アーチェのクールタイムが残ってるでしょ」
「あ」
『リリィさんの指摘が正しいです』
「忘れてたっす……」
エマが頭を掻く。
小さなミスだ。
まだ戦闘は始まっていない。
クールタイムが終わるまで待てばいい。
やがてアーチェが頷いた。
「魔法、使えるようになりましたですです」
『こちらでも確認しました』
「じゃあ行こう」
リリィが盾を構える。
エマは短剣に手を添える。
アーチェは杖を握る。
俺も腰の短剣を確認した。
「新生、初仕事だな」
「行くわよ」
「了解っす!」
「はいですです!」
このときの俺は。
正直、かなり余裕があると思っていた。
◇
「ブオオオッ!」
レッドボアが俺たちに気づいた。
『敵対行動を確認』
「来る!」
リリィが前へ出る。
地面を蹴り、巨体が突っ込んでくる。
「《シールドウォール》!」
盾とレッドボアが激突する。
鈍い音が響いた。
「くっ……!」
それでもリリィは倒れない。
正面から突進を受け止めた。
「すごいっす!」
「エマ、今だ!」
「了解っす!」
エマが横へ回り込む。
レッドボアの意識はリリィへ向いている。
短剣を構え、一気に距離を詰め――。
「ブオッ!」
「うわっ!」
レッドボアが突然、大きく頭を振った。
牙がエマの目の前を通過する。
エマが慌てて飛び退いた。
「エマ!」
「大丈夫っす!」
『レッドボアはリリィさんだけを認識しているわけではありません。接近するエマさんを察知した可能性があります』
「《不意打ち》にならなかったっす……」
エマが距離を取る。
訓練では成功した。
俺がリリィの注意を引き、その隙にエマが死角へ入った。
でも。
魔物は訓練相手じゃない。
こっちの予定通りに動いてくれるわけじゃない。
「リリィ、もう一度引きつけて!」
「分かった!」
リリィが剣を振る。
レッドボアの意識が戻る。
「エマ、今度はすぐ近づくな!」
「了解っす!」
『マスター。レッドボアの突進後を狙うことを推奨します。過去の戦闘では、突進後に大きな隙が発生しました』
「それでいこう!」
以前も見た。
突進させる。
かわす。
止まったところを叩く。
「リリィ!」
「分かってる!」
レッドボアが向きを変えた。
「ブオオオオッ!」
突進。
直前でリリィが横へ飛ぶ。
巨体が通過した。
「エマ!」
「今度こそっす!」
エマが走る。
ところが。
レッドボアが予想より早く足を止めた。
「え?」
地面を削りながら、強引に身体をひねる。
『予測より制動距離が短いです』
「エマ、止まれ!」
「うわっ!」
牙が振り回される。
エマが地面を転がった。
「エマ!」
「だ、大丈夫っす!」
すぐに立ち上がる。
怪我はない。
でも。
『申し訳ありません。過去の個体情報から制動距離を推定しましたが、今回の個体には適合しませんでした』
「今はいい!」
謝るのは後だ。
俺だって、その提案でいけると思った。
レッドボアが再びリリィへ向く。
倒せない相手じゃない。
だけど。
思ったほど簡単じゃない。
「アーチェ、まだ魔法は使うな!」
「はいですです!」
攻撃に使えば、その後は《ヒール》も使えなくなる。
まだ誰も怪我をしていない。
ここで切る手札じゃない。
そう判断した。
そのときだった。
「……リーダー」
エマの声が変わった。
「どうした?」
エマは俺たちではなく、森の奥を見ていた。
「何か来るっす」
「何?」
『私には確認できません』
当然だ。
エーアイが見ているのは、俺たちから送られる情報だけ。
俺も目を凝らす。
木々の向こう。
茂みが大きく揺れた。
そして。
「ブオオオオオッ!」
聞き覚えのある鳴き声。
赤茶色の巨体が、森の中から姿を現した。
「嘘……」
リリィが呟く。
「二体目っす!」
『状況を更新。レッドボア二体との同時戦闘です』
「周囲にはいなかったっす! 本当っす!」
「分かってる!」
エマを責めている暇なんてない。
偵察したときにはいなかったのかもしれない。
戦闘音を聞いて寄ってきた可能性だってある。
そんなことは後で考えればいい。
一体目はリリィの目の前。
二体目は森からこちらへ向かっている。
アーチェ。
後衛。
エマ。
機動力がある。
「エマ!」
「はいっす!」
「二体目を引きつけてくれ!」
「エマ一人でっすか!?」
「倒さなくていい! 時間を稼ぐだけでいい!」
一瞬だけエマの顔から笑みが消えた。
それでも。
「……了解っす!」
短剣を握り直す。
「すぐにこっちを片づける!」
「信じるっすよ、リーダー!」
エマが駆け出した。
四人で一体を倒すはずだった。
その予定は。
もう完全に崩れていた。




