39話 悪魔王子
――貴族たちの間に、とある噂が広まっていた。
その噂は密やかに、しかし確実に、そこかしこで囁かれていた。
「王妃様とルシアン殿下のお噂、お聞きになりまして?」
「悪魔のお話ですか?」
舞踏会の休憩室で、夜会の片隅で、サロンの一角で。
貴族たちはその噂を囁き合った。
「悪魔が憑いたというお話は、さすがに突拍子もなくて信じ難いことですが……」
「でも王妃様もルシアン殿下も、急にお変わりになったのよね」
「お二人ともご聡明だった以前とは、まるで別人ですわ」
「あれほどご優秀だったルシアン殿下が、最近は失言ばかりだ」
「急に頭が悪くなったな……」
「しぃ……! 声が高い!」
「ついに陛下は、ルシアン殿下を会議から追い出したそうですぞ」
「毎度、毎度、馬鹿々々しい発言で会議を中断されたそうですからな」
「悪魔が憑いたという話は眉唾ですが、まあ、入れ知恵していた者が逃げたのでしょう」
「ルシアン殿下は、婚約者をモンフォール公爵令嬢からラルベル公爵令嬢に交換してから、急に能力が低下しましたね」
「ラルベル公爵令嬢がルシアン殿下に悪影響をおよぼしているのでしょうか」
「今までルシアン殿下の後ろ盾だったモンフォール公爵が知恵者だったのかしら?」
「まさか」
「モンフォール公爵には政治の才能などありませんことよ。学生時代の成績順位も芳しくないお方でしたわ」
「そうなのですか? ご令嬢はたしかご優秀でしたわよね?」
「先代は切れ者だったと聞いております。ご令嬢は先代に似たのかもしれませんね」
教養のある貴族たちは、悪魔の話については懐疑的だった。
しかし政治の才能があると思われていたルシアン王子の能力が、急に失せ、人が変わったように愚かになったことは事実だった。
「悪魔はともかくとして、ルシアン殿下が即位したらどうなることか……」
「以前の冴えは、どこへいったのやら」
「もう別人ですな」
「ルシアン殿下が国王となれば、会議から追い出すことは不可能となります」
「時間の無駄が増える」
「時間の無駄どころの話ではない。デタラメな命令がまかり通ってしまうことが問題だ」
「ルシアン殿下が即位なさったら、国が滅茶苦茶になるでしょうな」
貴族たちが言う『会議』とは、王宮で行われる会議のことだ。
宰相が主催する政策会議で、大臣や貴族の重鎮たちが集められ国策について話し合う会議だ。
会議で決定したことは、国王の承認を得て実行される。
「ルシアン殿下は今はまだ学生だから会議から追い出せる。しかし学院を卒業したら、王太子を会議に呼ばないわけにはいかないぞ」
「どうなることやら」
「いっそ本当に悪魔憑きであれば、追い出せますな」
「それだ!」
好都合なことに、悪魔がいないことは証明ができない。
王宮の悪魔の噂は、様々な思惑によりさらに沸騰した。
◆
――王都に暮らす庶民たちの間にも、悪魔の噂が広まっていた。
「聞いたか? 王太子が悪魔憑きだという話」
「悪魔?!」
裕福な庶民であれば貴族と同等の教育を受けている。
しかしそれはほんの一握りの上澄みだ。
庶民たちの大半は貧しい労働者で、学がなかった。
そして学の無い者ほど迷信深く、神や悪魔の存在を信じていた。
「ご優秀だった王太子は、悪魔に取り憑かれて急に頭がおかしくなったそうだ」
「国を滅茶苦茶にする命令を出しているらしい」
「お付きの従者たちは逃げ出したらしいよ」
「王太子が悪魔に取り憑かれているのに、教会は何をしているのか」
「悪魔祓いができないほど、すごい悪魔なのかね?」
「国王が我が子可愛さに、庇っているのかもな」
「国王も悪魔の僕になったのか」
ルシアン王子が悪魔憑きだという、この怪談は、庶民たちの間に燎原の火のごとく広まった。
「王子が悪魔憑き?!」
「どうしてそんな恐ろしいことに……」
「王妃が美貌を維持しようとして黒魔術に手を出したんだと。それで呼び出された悪魔が王子に取り憑いたらしい」
「婚約者だった公爵令嬢は、王子が悪魔だと気付いて逃げ出したそうだ」
ルシアン王子が悪魔憑きだという怪談は、今や小さな子供でも知っていた。
「早く寝ないと悪魔王子が来るよ!」
「うわーん! 怖いよぉー!」




