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第6話 インタビュアーと婚約者

放課後の新聞部室…とは名ばかりの階段裏の打ちっぱなしの空間は、今日も相変わらず蒸し暑く、湿った埃と古い紙の匂いが充満していた。パイプ椅子の錆びた脚が床を擦る嫌な音を立てて、司馬こふでは前のめりに身を乗り出した。手元には先ほどから全く書かれていないメモ帳と、電池残量が怪しいボイスレコーダー。




「……で、魔界の死の霧の島の特産品が、その……嘆きの果実? それを食べるとどうなるんですか? 幻覚を見るとか? それとも物理的に内臓が裏返るとか、そういう刺激的な?」




 わざとらしいほど身を乗り出し、黒縁メガネを光らせるこふで。その声はやや上擦り、上履きの先は砂っぽい床を叩いている。目の前の悪魔、黒森まどいは、相変わらず猫背でボサボサの頭をいじりながら、おずおずと口を開いた。




「えっと……なんだっけ、あんまり地元に詳しくなくて……多分、普通の果物、です……。フヒっ、あ、それよりこふでさんっ!」




 まどいが、両手を胸の前で組んで、目を輝かせる。こふでの眉間に、一瞬わずかに皺がよった。




「こふでさんは、休日は何をしてるんですか?どっ、どこかよく行く場所教えてください…!フヒヒッ、デ、デートプランの参考にっ」




 こふでが密かに奥歯を噛み締める。先ほどからずっと、二人の会話はこの調子だった。まどいが自分と婚約関係にあると勝手に思い込んでいるのを利用して、次なる新聞のネタを見つけてやろうと画策したところまではよかったのだが…この悪魔はこふでの想像以上に押しが強く、なかなかまともに情報を引き出せないのだ。それどころか、嬉々としてこふでの趣味やら家族構成やら好きな食べ物やらについて聞いてくる。ボイスレコーダーの「録音中」を示す赤いランプの点滅さえ、今のこふでを苛立たせた。




「え、あ〜……まあ普通に動画見たりとか、ですかね。それよりも!私はまどいさんのことに興味が…」




「フヒヒっ、そうなんですねっ!!どっ、どんなジャンルなんですか!?魔界にはまだブラウン管しかなくて…気になりますっ!!」




やっと出てきた未知の情報にこふでの目に少し生気が戻った。




「ほう!ブラウン管!じゃあスマホもまだ無いんですか?魔界ではどんな番組が?」




「なんか料理とか?です!そんなことよりこふでさんっ、私こふでさんのことが知りたいですっ!!わ、私のことは取材でいっぱいお話しましたしっ、ヒヒッ、こ、婚約者として、お互いについて知りたいっていうかっ!」




 こふではつい出そうになったため息を噛み殺し、はぐらかすようにガリガリとメモ帳に『ブラウン管 料理とか』と書き殴った。いつもなら、自分のペースで質問を畳み掛け、相手をネタとして解体していくはずなのに。まどいの視線には、運命の相手である司馬こふでという人間を理解しようという、無邪気な好奇心が宿っていた。




「あ〜…私の話したってつまらないですよ!あっそうだ、黒森さんの地元についてですが…」




 背後で来週の新聞のレイアウトを詰めていた鄙寺すすきがちらりと振り返り、また机に向かってクスクスと喉を鳴らす音が聞こえた。すすきがまどいを一瞥したその視線には、抑えきれない優越感が滲んでいる。

すすきは手元のカッターナイフを置き、細い指先で自分の唇をなぞった。背後からはまどいの無邪気で熱烈なラブコールが聞こえてくる。




「つ、つまらなくないですよ!こふでさんはっ、私の運命の人ですからっ!!真名を知ってるだけじゃなく…私に真っ先に声をかけて、話を聞いてくれてっ!」




運命の人。婚約者。その響きの空虚さに、すすきは思わず口角を上げてしまった。

──────こふでがそんな存在になれるわけないのに

こふでという人間は、『記者』というペルソナなしでは世界と関われないと、ススキはよく知っていた。こふでにとって、まどいのように取材対象の垣根を超えてくる存在は何よりも不安を煽る天敵であった。




「そ、そうですか…何よりです、え〜っと…」




 こふでがぐちゃぐちゃとメモを丸める音がした。すすきは熱っぽく、それでいて呆れを含んだように、細いため息をつく。まどいが新聞部に入部すると聞いて心穏やかでなかったすすきだが、二人の空回る会話を聞き、今や心底安心していた。じきにこふでに拒絶されていることを悟って、新聞部の扉を開くこともなくなるだろう。新聞部はこれからも、永遠に二人の聖域だ。まどいの、婚約者という華やかな称号よりも、新聞部副部長という一見無味乾燥な肩書きの方が、すすきにとっては遥かに価値があるものだった。

「それより、魔界の風習とかを……」




 こふでの声が、さらに一段上擦る。




「こふでさん、こふでさん」  




まどいが、さらに距離を詰めた。ギザギザの歯が、親愛の情を込めて剥き出しになる。




「私っ、こふでさんのこと知りたいんです!すっ、好きな食べ物とかっ」




思うようにいかない会話に限界を迎えかけていたこふでは、叫ぶように返事をした。




「……菓子パン!理由は歩きながら食べられるから!ほらっ、次で質問は最後!あと一個質問したら私の質問に…」




「あ、じゃあ……こふでさんって、お友達、いるんですか?」




 部室の音が、ふっと消えた。窓の外を走るトラックの排気音も、遠くの運動部の掛け声も、すべてが真空に吸い込まれたかのように静まり返る。




 まどいの瞳には、一欠片の悪意もなかった。ただ、自分を「新聞部員」として受け入れ、名前を呼び、真っ直ぐに見てくれた「初めての人間」に対する、純粋すぎる問いかけ。

すすきは勝利を悟って薄い唇の端をわずかに持ち上げると、机に置かれたこふでの飲みかけの水筒へ、無造作に手を伸ばした。自分のものと間違えるはずのないスポーティなデザインのそれを、当然のような顔で引き寄せ、唇を湿らせる。




「…………は?」  




こふでは、引き攣った笑いを顔に張り付けた。いつの間にか脇の下が汗でじっとり湿っていることに気づく。




「な、何を言ってるんですか、まどいさん。まどいさんもすすきも新聞部員、つまり私の……」




「えっと、すすきさんの他に……新聞部以外で、しゅ、取材とか、新聞とか、そういうのを抜きにして……ただ一緒にカエルを食べたり、お墓を見に行ったりする……そういうお友達、です」




 こふでは、手元にあったボイスレコーダーの停止ボタンを、叩きつけるように押した。




「……今日はここまで!このあと取材があるので!!じゃあ!!」




 こふでは椅子を蹴るようにして立ち上がり、鞄をひったくった。逃げるように部室のドアを開け、廊下へ飛び出す。背後でまどいが「あ、さよならです、フヒっ」と手を振る気配がしたが、振り返る余裕はなかった。

 夕暮れの校舎。誰もいない渡り廊下で、こふではふと足を止めた。心臓がまだ、喉の奥でうるさく鳴っている。




(お友達……?)




 まどいに尋ねられた瞬間を思い出すと、再び責められているような嫌な感覚を覚えた。真夏にも関わらず、指の先が冷たい。視界の端で自分の影が長く伸びているのが見える。




「……友人なんか作って、誰かに肩入れしてしまったら、面白い記事が書けませんからね!」




無理やりに口角をあげ、影に向かって日頃反芻している言葉をかけてみる。

震え声は放課後の校舎に吸い込まれ、すぐに元の静寂につつまれた。こふでの表情が、ふっと消える。いつもの威勢のいい笑顔を失った顔は、十四歳の少女にしてはやや幼く、まつ毛が頼りなげに震えていた。




ぱた、ぱた、と背後から規則正しい靴音が近づいてくる。振り返らなくてもわかる足音、優秀な右腕の気配。




「カフェで打ち合わせしてから帰ろ。部長」




 すすきの、いつもの低くて無気力な声。立ち尽くしていたこふでの数歩後ろで、彼女もまた歩みを止めた。

 こふでは、一度だけ深く息を吐き出すと、軽く頷き、また早足で歩き出した。  すすきは満足げに微笑んだのち、その歩幅に合わせ、影を重ねるようにしてついて行った。



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