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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第6章◆ 白い花の姫君
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06. 壊れた箱庭と喪失の門

「―――だいぶ、風が収まったね」

 マーセルが暴走させた力は、徐々に沈静化している。完全に消えれば、神官(ドナク)たちが駆けつけ、あちこち傷を負ったマーセルの手当てもしてくれるだろう。

 たとえ、〈神の堕し児〉と忌まれる奏弦士(アシェス)であろうとも、マーセルは四聖家(フォン・ランス)の一人娘。命を獲られることはない。……もっとも、これまでのような待遇は補償の限りではないだろうが。

 聖地の、神殿(グレイス)の人間らが、この先彼女に何を強いてくるかは、容易に想像できる。マーセルを、何に使おうとするのかも。

 そんな真似は、絶対に許せない。


 ―――その時は、何をしてでも僕が……。


 疲労により薄く靄がかった意識の中で、ルカイスが鈍く思考していると、

「……ねえ、ルカ」

 それまで横たわる彼の胸に頭を預け、大人しく髪を梳かれていたマーセルが、ぽつりと、彼の名を呼んだ。

「涙だけじゃ、全てが赦されるわけじゃないって……さっき、言ったでしょ?」

 彼は頷きながらも、マーセルが唐突にそんなことを言い始めたことを訝しんだ。

 先を促すように髪を撫でる手を止めたが、彼女は一向に顔を上げない。

「マーセル?」

 ルカイスの呼びかけに、彼女は応えない。

 しばらくの沈黙。

 その後、唇を噛み、吐息した気配のあと、決意を感じさせる低い囁きが、胸の上で直に響きを伝えた。

「今度は、わたしの番、だよね」

「え?」

 何が?

 番、とは何か。

 震える息を懸命に整えようとしながら、彼女は続ける。

「……わたし……わたしね……」

 告げられかけた言葉。

 だが、それに被さるように、第三者の声が辺りに響いた。



「―――だったら、俺達と来ませんか?」






■ □ ■ □ ■ □





 唐突に加わった、男の声。

 ルカイスとマーセルは身を起こし、声の方向に視線を走らせた。


「―――魔導士(ウィザード)!」

「ウィード=セルさん!」


 二人は同時に声を上げ、お互いが彼を知っていたことに驚き、顔を見合わせる。

 どうやってここまで入り込んだのか。赤眼鏡の青年は、にっこり笑って手を打った。

「はいはい。お二方とも、自己紹介の手間を省いてくださって、ありがとうこざいます」

「ウィード=セルさん……あなた、魔導士だったの?」

 呆けたようなマーセルに向けて、ウィード=セルはにっこりと笑んだ。

「やっぱり、貴女だったんですね、マーセルさん。彼が呼んだのが同じ名前だったから、もしかして、と思ったんだけど」

 思った通りでしたね、と親しげに話しかける低い声に、ルカイスは鋭く舌を打った。

  気に入らない。

 相手は、先ほどやり合ったばかりの魔導士だ。しかも、自分の知らない所で知り合っていただけでなく、彼女を真っ直ぐに見つめながら、名まで呼んだ。そんな青年の態度に、苛立ちを隠せない。

「……何しに来た。僕は、行かないって言っただろう」

 睨み付けるルカイスに対し、魔導士は余裕気に、軽く肩を竦めて見せる。

「分かってますよ。ま、惜しいとは思いますがね。でも、あれだけキッパリ振られたんだから、君にはもう付き纏ったりしませんよ。―――それに、今の言葉をちゃんと聞いていただけてないみたいですね。言ったでしょう? 『だったら』、と」

「……何?」

 そう問い返しながらも、予断なく殺気を込めた眼で睨むのは止めない。

 そんなルカイスを面白がるように、魔導士は笑みを深めた。その表情がそのまま、マーセルの方へと流される。

 今、俺がね―――と、愉快そうに置かれた前置き。

「お誘いしてるのはね、彼女の方です」

「―――わたし?」

 急に視線を向けられたマーセルは、びくりと肩を揺らした。

 フム、と青年は頷く。

「奇跡の〈白花の姫君(レイファーシャ)〉と謳われるほどの錬祈力(デュース)を有しながら、奏弦(アシェス)の才をも持ち合わせる。マーセルさん、貴女は御自分がどれだけ稀有な存在なのか、理解してます? そこの彼以上に、貴女は興味深い―――!」

「―――黙れ」

「永きに渡り、貴方たち〈白銀の背徳者〉は迫害されてきた。でも、それは何故? その力について識ろうとした者は、未だかつて存在しない。謎を混沌から掬い出すことなく、混沌のまま忌避し続ける。それが、どんなに愚かなことか。マーセルさん、貴女には分かりますか?」

「…………」

「それに、このままこの地に残っても、いいように政治に利用されるだけですよ? だから、俺たちと一緒に、ここを出ましょう」

「黙れと言っている!」

 黙ったまま俯くマーセルを庇うように、ルカイスは身を乗り出した。そんな彼の様子に、腕を組んだ魔導士が、やれやれと言わんばかりに盛大な溜息を吐いた。

「あー、君。さっきから煩いですねぇ。俺は彼女に話をしているんです。もう君には用はないから、少々黙っていてくれませんかね」

 大体、と青年は続ける。

「君、彼女が先ほど何を言いかけたのか、全然察することが出来ていないんじゃないですか?」

「……何?」

「マーセルさんがおっしゃっていたでしょう。“次はご自分の番”だとね。彼女は自らが犯した罪を自覚し、またそれに対する贖罪を望んでいる。そういうことですよ」

「なんだよ、それ……」

 マーセルが犯した罪?

 ちらりと彼女の方を横目で窺ったが、変わらず俯けられた面からは、何の答えも得られなかった。

「―――でも! だからといって、マーセルがこの都を去らなければいけない理由にはならない!」

「そうでしょうかね? もしも、それがご自分の願望から縋っているものでなく、思考した末の解であるならば、俺は、君が本当に愚かしい人間だと評さねばならない」

「っ!」

 ウィード=セルの言葉を止めようと、ルカイスは左手を振り翳した。破壊の力、白銀の光を、指先に集中させ始める。

 だが、その手を、背後から伸びた細い腕が抱き抱えるように押さえた。

「マーセル?」

 視線を上げた少女の横顔。

 こちらではなく、魔導師へと向けられた輪郭の中で、未だ星水(セーラ)に濡れている花弁色の唇が、その一言をはっきりと紡いだ。



「行きます」



 驚愕に眼を見開く。

 そんなルカイスに面し、マーセルは今にも泣き出しそうな顔で微笑んだ。

「――――――ルカ。……わたし、行くね」

 信じられない言葉。

 己を為す底部までが凍り、全身の血が足元まで流れ落ちてしまったかのような、絶望の音を聴く。

「どうして!」

「だって……もうここには居られないよ」

 震える瞼を降ろした彼女は、微かに開いた眼の先を辺りに巡らせた。

「神官や兵士の人達を、大勢傷つけちゃったもの…………ルシアのことも」

「それは……」

 君のせいじゃない。

 そう言いたいが、出来なかった。

 力の暴発は、本人の意思に共会わぬ、一種の災害のようなもの。ましてや、今回はルカイスが捕えそこなった過去の意思の残滓―――亡霊たちにより引き起こされたのだ。罪はむしろ自分にあるのだと、彼は自身を責めていた。

 でも、それを口にしたところで、何になる? 

 たぶん彼女は悲しそうな顔をするだけだ。彼女は、己のせいではないと言う、ルカイスの言葉を鵜呑みにしたりしない。―――出来ないのだ。

 そして、この先ずっと、事あるごとに今日のことを思い出し、悔恨と悲しみの悲鳴を心の内で悲痛なまでに上げ続けるのだろう。

 ルカイスだからこそ、わかる。

 同じ背徳の力を持つ、彼だからこそ。

 言いあぐねたまま、縋るような眼で見つめるしかない。それだけでは、彼女を引き止められないのだと知っていても、他にどうしようもなかった。

 そんな彼に、マーセルは小さく首を傾け、淡く優しげな声音で囁く。

 それにね―――と、その先に続けられた言葉が、ルカイスを更なる焦燥と後悔へ突き落した。

「それにね、夕べからずっと考えてたの。どうしたら、この先、ルカが幸せでいられるのかなって」


 ……君に出会わなきゃ良かったって、これまで、ずっとずっと思ってたよ――――。


 思わず吐いてしまった、そんな台詞。

 その言葉は、紛れもなくルカイスの本心。だが、あれに込めたのは言葉通りの意味ではない。

 マーセルのせいじゃない、彼自身の問題なのだ―――そう伝えるため、焦って口を開こうとする。

 しかし、それを察したのか、彼が意思を言葉にする前に、マーセルは首を横に振って遮った。

「わかってるよ。でもね、わたしじゃ、やっぱりルカは幸せになれない。理由はわからないけど……そうなんでしょ?」

 ―――何も返せなかった。

 彼女の言う通り、このまま傍に居続けることが出来たとしても、ルカイスの中で彼女を失うかもしれない恐怖と、それによる罪悪感は消えることはないだろう。

 正直、今この瞬間に、そのことを考えるだけでも恐ろしい。きっと将来、現実にマーセルが命を落したとき……しかも、それが自分という存在のせいであったならば、確実に、自分は狂う。


 ―――だが、もし彼女が隣から居なくなってしまうのならば、その杞憂に、一体何の意味がある?


「ルカ、最後に一つだけ、お願いしてもいい?」

 間近で笑んだ蒼い双眸が、涙に揺れる。

 今にも崩れそうな微笑なのに、その瞳の中には、彼女の決意がはっきりと刻まれて見えた。

「……マーセル」

 ―――行ってしまう。

 居なくなってしまう、彼女が。

 行かないでくれ、そう懇願しかけたルカイスの肩に、正面からふわりと両手が乗せられた。

 シャラ、とたくさんの小さな飾り細工が鳴る音。

 呼吸をする間も無く、唇に柔らかい感触が重ねられる。

「―――ねえ、ルカ。……もう二度と、僕なんか、って、言ったりしないでね?」

 拙い口付けは、一瞬のこと。


「お願いだから、もう二度と――――――わたしの好きな人を、悪く言わないで」


 ルカイスにしか届かないほど小さな、祈りにも似た甘やかな囁き。

 柔らかい手の平が、血に汚れた手に重ねられた。そして何かをルカイスの手に握らせて、彼女は素早く身を引いた。

 温かな気配が遠ざかる。

 湿った髪が、頬を掠める。

 立ち上がる彼女を引き留めようと伸ばした両腕が、宙を掻いた。

 足に力が入らない。血を流し過ぎたために引き起こされた眩暈。ルカイスはまだ、立ち上がることが出来なかった。


「―――ようこそ」


 淑女を迎えるように差し出された、魔導士(ウィザード)の手。

 マーセルは細やかな手を伸ばし、それに応える。

 長い栗色の髪をくるりと舞わせ、マーセルはもう一度、ルカイスを振り返った。

「――ありがとう、ルカ」


“幸せに”。


 声無く、そう一言。

 涙が残る頬と、微笑を作る横顔――――そして、向けられた背。

 彼女は青年に手を引かれ、歩き始めた。

 入口からの逆光をベールのように引くその後姿に向け、何度も名を呼び続けたが、彼女が振り返ることはなく……………。






 ――――蒼い月が輝く夜。


 少年は、一番大切な少女を、蒼闇の帳の中に見失った。



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