05. 狂気の魔女
透き通るような白銀の光と共に、夢の波が引いていく。
星を内包した水が割れ、泉の外へ大量に散った。
全身から力が抜け、浅くなった泉の底で、マーセルは膝をつく。
濡れた髪と衣装が、肌に張り付いて重い。疲労で肩を上下させるマーセルは、咽ながら、なんとか飲み込んだ水を吐き出した。
震える手で、頬に掛かる髪を払い除け、ユイシェルの姿を探す。
碧髪の麗人たる少女は、泉の縁に倒れていた。ぐったりと横たわったその身体は、動く気配を見せない。
「誰か、誰かユイシェルを――!」
一向に、誰もユイシェルを助けに来ないことを不信に思い、マーセルは周りの人間を見廻しながら叫ぶ。
だが、それでも誰一人、ユイシェルの元へ駆け寄ろうとする者はない。
それどころか――――――……、
「…………何?」
その時初めて、マーセルは、周りの異様な空気に気が付いた。
――――白い視線。
怯えるような……中には、嫌悪するような冷たい目を、マーセルに注ぐ神官たち。
背筋が、凍る。
寒さを感じるのは、水に濡れているせいだけじゃない。
ポツリと、誰かが呟いた。
「―――――失敗作だ」
沈黙の中に、痛いほど響いたその言葉。
それに続き、他の神官たちの囁きが、さわさわと波打つように広がり始めた。
「〈狂気の魔女〉。……よもや、四聖家の神子姫から出ようとは」
「おぞましいことよ……」
〝おぞましい〟
その言葉が自分のことを指しているのだと、一瞬、理解することが出来なかった。
マーセルは立ち上がり、ぐるりと周りを見回す。おびただしい数の目は、その全てが嫌悪と侮蔑の冷淡な視線を返してきた。
立っていられないほどの震えが、全身を襲う。
―――――怖い。
マーセルの胸に、この場に来て初めて、恐怖という感情が湧き出した。
先ほどまでは何も分からす、恐ろしいと思う余裕すらなかった。だが、今は……。
『―――ほら、みんな言っているわ。貴女にも聞こえるでしょう?』
凍る、声。
冷たい指先で首筋をなぞるようなその声に、マーセルは振り返った。
倒れたままのユイシェルの身体。
その隣に陽炎のように佇む、紅にまみれた白い衣装を身に纏い、不揃いな栗色の髪を揺らして嗤う女の姿。
明らかに、現世のものとは異なる異質な存在感。
その姿は、曇った硝子を通して見ているかのように、はっきりしない。
それでも、彼女は確かに存在するモノとして、マーセルの眼の上で像を結んでいる。
なのに、何故?
他の誰一人として、女に目を向ける者はない。
〈―――――ありもしないものを目にし、声を耳にすることは、狂気の始まりである〉
ふと、マーセルの脳裏に、そんな言い伝えが浮かんだ。
『皆、貴女のことを、何て言っているか分かる?』
愉しそうに問う女の声。
彼女の、その曇った姿の向こう側に立つのは――――――ルシア。
ルシアとマーセルの視線が絡む。
両手で口元を覆うルシアは、小さく息を呑むと、怯えたようにビクリと身体を震わせた。
『ほら、私だけじゃないわ。皆―――――――……』
――――――やめて。
聴きたくない。
神官たちのざわめきや、女の声を防ぐようにマーセルは耳を塞ぎ、その場に蹲る。
しかし……、
「失敗作」
「汚らわしい」
「一族の汚点だ」
「早く、捕えて―――」
『――――貴女なんて、いらないのよ』
少女の無駄な抵抗を嘲笑うかのような、宣告。
女の言葉は、マーセルの頭に直接囁き掛け、その心を犯す。
ドクリと身の内で波打つ、心音ではない、鼓動。
「―――――――もぉ、やめてぇえっ!!」
壊れた叫び。
瞬間、
ひび割れた白銀の閃光が稲妻のように大気を走り、狂った風が儀式の間を満たした。
自分の世界が、脆く崩れ逝く音を、マーセルは聴いた。