04. 伝えの言
「失礼致します」
礼を送り、ルシアはゴートガード家当主の執務室を後にした。
ひっそりとした回廊に、夕日が差し込んでいた。
随分と長い時間が経っていたらしい。
「……行かなきゃ」
今日は祭典前の最終日。
式典教育係の自分が、こんなに長い間席を外してしまったのだ。きっと他の神官たちが困っているだろう。
―――早く行かなければ。
回廊を進む。
行かければと足を運ぼうとする。
だが、頭の中に残っている言葉が、それを阻む。
『―――君の方が、私より娘に親しい。君から、娘に伝えてくれ』
主であり叔父でもあるアルザスが、姪である彼女に下した命。
「……なんで」
堪らなくなって立ち止まる。
ルシアは身体をぶつけるようにして、側の壁に寄りかかった。
「なんで、私なのよ……」
自分で伝えればいい。
あの娘の親は私じゃない。
あの娘の本当の家族は私じゃない。
あの人はずるい。
いつもいつも、自分だけが逃げて。
「―――卑怯よ」
■ □ ■ □ ■
「ルカイスが屋敷に戻ることを華鏡姫に伝えるよう、ルシアに命じたのですか」
「……ああ」
窓から街を見下ろしながら、アルザスは答えた。
夕暮れの光が薄れ、夜の闇が降り始めた街並みのあちらこちらで、暖かな明かりがぽつぽつと灯りゆく。
目を閉じ、息をついたアルザスは、後ろに立つ青年に向き直った。
当主たる彼に向かい、レーナスが頭を垂れる。
「お祝い申し上げます」
「……めでたい、か。そうなのだろうな」
ルカイスが帰ってくる。もう、二度と屋敷から離れることはないだろう。
―――いや、違う。
離れることが許されなくなるのだ。
もう、二度と。
「あの時殺してしまった方が、あの子にとって良かったのやもしれぬな」
そうすれば、こんな思いをさせることはなかった。
ルカイスにも―――そして、娘にも。
そんなアルザスの独白に、レーナスは片眉を吊り上げた。
「しかし、彼は今ここにいる。四聖家の長の誰もが望む〈柱〉を手に入れたのはアルザス様、貴方です。それとも、他家が彼を手に入れ引き取ったなら、後はどうでもよかったのですか? 彼に居場所を与えたと満足できたのだと?」
「……手厳しいな、レーナス」
「後悔するのなら、なぜ連れ帰ることをお望みになったのです。彼が奥方と同様の道を歩むことになると、貴方はわかっていらっしゃったはずだ。……いや、違いますね。奥方と同じ運命を歩むことになるのは、ご令嬢の方だ。彼と結ばれることで、彼女は間違いなく――――」
「レーナス」
アルザスは続くレーナスの言を遮り、彼をまっすぐに見据えた。
「―――レーナス、お前は世界から否定されたことがあるか? すべての存在から、あってはならないと拒絶された者を目にしたことはあるか?」
「……いいえ」
「私は、二度ある」
アルザスは思う。
「例え何度こんな思いを繰り返しても、後悔しても、再びあんな人間の前に立たされれば、きっと私は同じ選択をする」
そう、それだけは絶対に変えられない。
自らの言葉に怯えるように固く瞼を閉じたアルザスに、レーナスは温度のない微笑を浮かべた。
「貴方のその選択の意志が変わらないように、彼らがただの道具として消費される事実も、変わりはしません。―――決して。そして、御自分が使う側の、その当事者に当たるのだということも、しっかりと認識してください」
拳の叩音が、部屋の空気を震わせた。
打ち付けられたアルザスの手が、机の上で小刻みに震える。
「―――言葉が過ぎました。お許しください」
引き際だと感じたレーナスは、退出の礼をとってドアに手をかけた。
そこでふと、思い出したかのように部屋の主を振り返る。
「それと、私の婚約者を泣かせるのだけはやめていただけますか?」
「………」
「彼女に、ご自分の娘の死刑宣告を告げさせることも」
そう言い残し、レーナスは部屋を去った。
両手で額を抑えたアルザスの蒼い目から、一筋、涙が流れ落ちた。