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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第3章◆ 月と涙と壊れた鳥籠
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03. 在り処

 我ら人の仔。

 いと高き者より生み落とされた、小さき仔。 



 世における最大の禁忌、最悪の罪とは何ぞや。



 それは、神が作り賜うたこの世界(トワ)の律―――在り方を乱せしことなり。








 ――――今より千年前。


 聖母神(トゥリアナ)リタ=ミリア=リアを主神とする聖セルゼニザス神教は、太古よりあらゆる神を冒涜せしめてきた其の一族に対し、大粛清を行った。

 神に祈りを捧げることで初めて、その御力の恩恵を授かることができるとする神殿(グレイス)に対し、彼の一族は、神に許しを請う行為に否を唱え、神に対する畏敬の念を欠いた。

 当時の古文書に拠れば、彼らは己が欲望のために穢れた知識を思うままに行使し、邪法により異界から導き込んだ暗黒の力を思うがままに揮ったという。

 世界各地で繰り返された幾度もの聖戦。

 それを経て遂に、神殿は一族をこのイゲーア大陸の北西に位置する、ケルトリアと呼ばれる大陸にまで追いやった。

 闇と呼ばれたその一族は退くことを余儀なくされ、ケルトリア中央に位置する、大陸の大部分を占める広大な森林地帯〈黒い森(シュワルツ・ワルド)〉に消えたという。

 千年前とはいえ、この一連の偉業を緻密に記した聖典は数多く残存している。過去・現在に渡る時の中、それらの書物の上で、彼の一族を示す単語は一様に、こう綴られてきた。




 ――――〈魔導士(ウィザード)〉、と。






■ □ ■ □ ■ □ 







異端審問官(フォロ・ジェイダ)、ね」


 頬杖をつき、無機質な声でその単語をなぞったウィード=セルに、マーセルは「そうです」と大きく頷いてみせた。

「千年経った今でも、異端審問官はいろんな所にいるんだもの。捕まえた人を拷問にかけることだってあるっていいますし」

「そうらしいですね。酷い話だ」

「ほんと」

 二人の言葉にマーセルは表情を曇らせた。申し訳なさそうに俯き、言葉を落とす。

「……ごめんなさい」

「なんで、君が謝るの?」

「わたしが、四聖家(フォン・ランス)の人間だから」

 神殿の中心にいるのに、何にも出来ていない。それは、恥ずべきことだ。

 そう視線を伏せるマーセルの耳に、嗤いを含んだ吐息が届く。

「貴女が神殿の人間だから……で、それが何なんですか?」

「え?」

 顔を上げた先で、紅いガラス越しに送られる凪ぎの視線に捕らわれた。

 椅子に背を預ける金色の髪をした青年は、身の前で長い指を組み、軽く首を傾けて言を繋げる。

「そう、貴女は神殿の人間だ。神子姫と呼ばれ、人々に崇められる地位に身を置く、ね。でも、だからとって俺たちに詫びるのは何故です。異端審問も、彼らの行き過ぎた尋問も、貴女には何ら関わりのないことなはずでしょう」

「でも……四聖家がもっとしっかりしていれば、神殿の在り方を正せるはずだわ」

「この大陸東部一帯に限定すれば、それも可能でしょうがね。だが、貴女は知らない。言葉は悪いが、貴女は世間知らずだ。イゲーア、イレニアド、セルド=ファグニ、バラグーズ、そしてケルトリア。文献をなぞって得た知識のみで、これだけの大陸を散りばめた世界を解することは出来ません。現に先ほどの口振りでは、このエルヴェルクの権威が通じるのはごく限られた地域のみだということを、御存じないでしょう」

「………」

「自分の力が及ばない、そんな領域の事柄にまで謝罪し続けて、我が身を貶めることが何になると? 一言の謝罪で贖えるほど、人の命や尊厳は軽くない。細い両肩に背負えるほど、簡単なものじゃないんですよ」

 たった一つの言葉を吐くだけで赦されると思うのは、傲慢だ。

 暗に、そう言われた。

 からかうような口調だが、ウィード=セルの声音はどこか冷たい軽蔑を含んでいる。

 それが分からないほど、愚かではないつもりだ。――――だけれど……、

「それでも……」

 曲げたくないことがある。

「それでも、わたしが……わたし自身が謝り続けたいと思うのは、いけないことですか?」

 膝の上で整えた両手を握り、前を見据える。

 注がれる蒼を湛えた視線に、ウィード=セルは開きかけた唇を閉じた。

「自分が無力だって、そんなこと嫌っていうほど解ってます。だけど、諦めたくないんです」

 候補者だった頃を含めれば、もう何年も神子姫を演ってきた。だから知っている。

 これだけ賛じられていながら、マーセルに神殿の方向性を変える力はない。

 神子姫と崇められていても、所詮は神殿のお飾り。当代の四聖家とて、世の現状を正そうという意思を持ってなどいないだろう。

 だが――――だからどうしようもないのだとその立場に甘えている現状は、きっと罪に値する。

「他の人が本当はどう考えて生きているのかなんて、わたしには分からない。わたしは、神ではないもの。でも、それで諦めなくちゃいけませんか? いけないことはいけないと、声にしたいんです。ちゃんと、ごめんなさいって自分の口で伝えたいんです。もしかしたら、その言葉を聞いて同じように感じて、一緒に正していこうと考えてくれる人がいるかもしれない。外に想いを伝えるために声が与えられているのなら、わたしは言葉にすることを止めたくないんです」

 謝罪することで赦されたいわけじゃない。

 だけれど、保ちたいのだ。

 間違っていることは間違っている。そう、思い続けることを。

 背を伸ばし、両足で立ち、自ら考え続けることを忘れたくない。

 嫌なことは嫌だと、そう口にすることを止めたくない。

「だから……ごめんなさい」

 改めて頭を下げるその姿を、ウィード=セルは面白がるように見つめた。

「神殿の神子姫が、そんなこと口にしていいのかい?」

「いいんです。わたしの居場所は神殿に在るけど、わたし自身の意志が神殿の意向と同じ場所にあるわけじゃないもの。わたしは、他の何かで在る前にわたしだから。―――だから、考えなきゃいけないんです」

 拗ねているのでも、自嘲しているのでもなく、真摯な目ではっきりとそう告げたマーセルに、ウィード=セルは笑んだ。からかいではなく、好もしく思うような光を湛えた瞳で。

「……世が貴女のようであれば、いつか夜を抜け、再び昼に身を置ける日が来るのでしょうかね」

「―――夜?」

 言葉を反復させながら首を傾げたが、異国の青年はその問いを流し、姿勢を正して再びマーセルを見据えた。

「だけど、覚えておいてください。貴女は神殿の中心に立つ者。人々は女神を崇め、その意思の代行者たる貴女を奉る。異端を狩り、流血のみでもって断罪を下す行為は、正直狂っていると思いますがね。皆にとっては、いかに残虐なことであれそれこそが正義であり、女神に対する愛の示し方なんですよ」

「………」

「―――だから、貴女は簡単に謝罪してはいけない。貴女は、貴女の在り方に責任を持ってください」

「……はい」

「ん、素直で宜しい。……って、何だかお説教みたいになっちゃったな、申し訳ない。一介の旅人の分際で、天下の神子姫にこんな口を叩いたと知れたら、聖都中の人間の手で袋叩き間違いなしですよ。なので、この会話はどうか内密に」

 そう言って口元に人差し指を当ててみせた青年の仕草に、緊張を解いたマーセルも頬を緩めた。

 肩の力を解いて笑うウィード=セルの横で、銀色の少年が頭を振りながら呆れたように嘆息する。

「はーい、はい。めでたく話が落ちて良かったね、っと」

 そう言うと、彼はふいに、ぱんッ、とテーブルの下で手を打った。

 その一瞬。

 マーセルの背筋にぞくりと奇妙な気配が走る。

 思わず、両手で腕を擦った。

 全身の産毛が立つようなその感覚が何なのか、マーセルはまだ知らない。

 何だろうと思い、テーブルの下に目をやったが、クロスで中は見えなかった。

 ―――虫でもいたのだろうか?

 暢気にそう考え、顔を上げたマーセルの目の前に、にゅっと包みが差し出された。

「お土産にあげるよ」

 そう言って、ヒース=クラウンから手渡されたのは、ウィード=セルの分の焼き林檎。

 勝手に、自分のおやつをお土産にされてしまった青年も笑って肩を竦めたので、マーセルは礼を言って受け取ることにした。

「じゃあ、またね。レイファー……じゃなくて、えーと」

 上げかけた左手をへにゃりと曲げ、気まずそうに青年の口元が歪められる。そこで初めて、マーセルはまだ二人に名乗っていなかったと思い至った。

「マーセルよ。またね、魔法使いさんと王子サマ」

 二人に大きく手を振り、帰り道を走る。そこでふと、手に触れる林檎菓子の包みがまだ熱いのに気が付き、マーセルは首を捻った。

 祈光石(トルク)が入っているわけでもないのだから、もうとっくに冷めてしまっているはずなのに。







「―――お前、実は結構バカだろう? こんなところで〈(サークル)〉出したりして」

 ウィードセルが、面白がるように言った。

 彼は、ヒース=クラウンがテーブルの下で何をしたのかを知っている。本来なら、決して笑いごとではないのだが、この冷静・冷淡極まりない少年がこんなことを仕出かすとは、めずらし興味深いという一言に尽きる。

「知らないの? あのお菓子は、冷めたら不味いんだよ」

「ヤバイんじゃないのかなあ? 異端審問官が近くにいたらさー」

「その時は、あんたが僕の盾になってくれるって言ってたよね?」

 気のない仕草、覚めた表情で飲み物を啜る少年の様子に、青年はクッと喉で笑った。

 可笑しさを堪えながら、少し(ぬる)くなってしまった飲み物の器を取り、軽く口を付けて問う。


「……彼女のこと、気にいったのかい?」

「ウィード=セルだって」




 そっぽを向いたままの少年の言葉に、ウィード=セルは何も言わず、春の果実の香りを口に含んだ。



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