10. 山羊を狩りし者
この夜が明ければ、祭典まで、残すところあと一日。
祭が近付くにつれ、街の夜は徐々に賑やかになり、宿という宿に旅人たちが溢れ始める。
いつもは暇を持て余している小さな安宿の食堂にも、賑やかしい明かりと陽気なお客たちの声が一杯に満ちていた。
「う~ん、やっぱ、あっちの宿にすれば良かったかなあ?」
赤い丸縁眼鏡が、立ち上る湯気で曇る。
木製のスプーンを固く握り締めたまま、目の前の暖かな皿を見下ろす青年の顔は真剣そのものだ。
「この〈クズ野菜と魚のごった煮シチュー〉っていうのもまぁまぁだけど、あっちの〈キノコと野菜の激辛スープ〉ってのも気になってたんだよな………ん? 何だい、ヒース=クラウン。怖い顔して」
「……今日、一日街を歩いたけど、何も見つからなかったよね」
「何言ってるんだ! 中央通りの目ぼしい菓子屋と軽食屋は、ほぼ|舌〈した〉調べしたし。気のいい屋台のご店主から入手した情報を頼りに、ご年配のご婦人が経営なさっている人気パン屋にも行ったし?」
「………」
「〈午後のおやつに☆一日三十個限定・チョコクリロール〉なる菓子パンの味を、忘れてしまったのか? チビッコや婦女子、はては甘党の中年紳士等との、血反吐を吐くような戦いを乗り越えて、その美味さを共に分かち合ったじゃないか!」
「僕にくれたのは、ほとんどチョコとクリームが入って無い部分だったんだけど」
聞こえない振りをして、シチューにパンを浸す青年を、ヒース=クラウンは無表情に見つめる。少年は少し疲れの混ざった、低い声で言った。
「―――ウィード=セル。本当に分かってる?」
ここが自分たちにとって、どれだけ危険な場所なのか。
「なんだよ。朝は見捨てて行くー、なんて言ってたクセに」
「うるさいよ」
ぷいっと顔を背けるヒース=クラウンを、ウィード=セルはニヤニヤしながら見やる。
「わかってるさ。だから、こうやって一日観光したんだろう? お前が言ったんじゃないか。ここは場所が場所だから、今まで詳しく調査されたことは無いってね」
どこまで真剣に捉えているのか、わからない台詞。
無言のまま、不信さ満載の視線を返してきた相棒に、ウィード=セルは困ったような笑みを浮かべた。さすがに、少々悪ふざけが過ぎたかと反省したりもする。
「けどさ、ぶっちゃけ、ここを良く知っておくに越したことはないだろう? なんてったって、俺らは初めての〈生還者〉になるはずの人間だし?」
「観光は関係ないと思うけど」
「こんな所、滅多に来れるもんじゃないからね~。楽しんどかないと。―――で、姫からの連絡は? 何か言って来たりしてないのか?」
「まだ……――――あ、〈来た〉」
そう呟くと、銀髪の少年は意識を集中するように目を閉じ、額に手を当てた。パンを口元に運びかけた手を止め、ウィード=セルも彼の方へ思わず身を乗り出す。
「なんだって?」
「『〈山羊〉を見つけた』ってさ」
「ホントか!」
「うん。でも――――――『亡骸を街の路地で確認。その後、消却…』」
軽い驚き。
ウィード=セルは小さく息を呑み込み、やがて静かに呟きを洩らした。
「……なんだ。べザスタの奴、死んだのか」
―――その男は、自分たちの〈世界〉に属する人間だった。
だが、何かしらの欲に目が眩んだのだろう。
ベザスタは〈外〉の人間と手を組み、数十人もの同胞を裏切り、死に至らしめるという大罪を犯した。
裁きを下すよう命を受けた自分たちが、追手としてすぐさま差し向けられたが、仲間をも足留めの捨て駒にしたその男は、命からがらこの都へと逃げ込んだ。
それは、ベザスタにとっても最悪の選択であったはずだ。
彼が〈贖罪の山羊〉として狩られるのは時間の問題。もし捕まれば、ベザスタの未来に、先は無い。
追い詰められ、極限の状態で選んだ道だったのだろう。
まあ、その選択でさえ、ウィード=セルたちに言わせれば、愚かとしか言いようがないのだが。
―――――聖都。
そこに足を踏み入れることは、この千年間、最大の禁忌とされてきた。
いや、足を踏み入れた同胞は数多く居る。ただ、彼らが一人として帰って来なかっただけだ。ベザスタの考え通り、通常ならここで追跡は終っていただろう。
だが、べザスタは知っていただろうか?
彼が殺めた数十人の中に、自分たちの世界―――〈森〉を統べる者の、その後継となるはずだった娘と、生まれたばかりの孫が含まれていたことを。
「手間が省けて、良かったね」
何の感慨もない声音。
銀の少年のそれには、言葉以上の意味は無かった。
べザスタのような〈山羊〉―――罪人に対するヒース=クラウンの感情が、冷淡な傾向にあるのはいつものことだ。
―――だが、
「まあな」
それは、ウィード=セルとて同じ。
奴ごとき男に恵む同情は、一片もない。
それに、ここで命を失ったことは、べザスタにとって幸運なことだったろう。
もしも、彼が自分たちに捕えられ、依頼主である遺族の手に身柄を委ねられていたならば。おそらくは、ただ命を絶たれるより辛い、壮絶な報復が待っていたのであろうから。
「―――でも、なんで……」
ウィード=セルはスプーンで皿の中身を掻き混ぜながら、思案するように目を細めた。
べザスタの生を奪ったものは、何だ?
今までこの都を侵そうとした者たちと、同じ末路を辿ってしまったというのはおかしい。もしも、彼の命を絶ったのがこの町の人間なのだとしたら、死体をそのまま路地に放置したりはしない。
何故なら、ここの人間たちがウィード=セルたち一族に望むのは、ただの〈死〉ではなく、存在の〈抹消〉なのだから。
「『そちら両名を探したが見つからなかったため、現在、間抜け男の足跡を捜査中』」
「おー、姫! さすがだねぇ。で?」
「『明日の夕刻までには調べて、報告を転送する』って」
「姫、天才!」
「それと、『か弱い乙女のわたくしが、春とはいえ寒い夜空の下、独り徹夜で仕事してるのだから、あなた方、宿屋でぬくぬく食事なんかしてたら、ブッッッッ殺しますわよ』だそうだけど」
「………」
「………」
二人はそれぞれ、自分の手元に鎮座する温かな皿を、黙って見下ろした。
「―――さあ! 冷めないうちに食べろ? シチューは熱い方が美味いからねー」
「だよね」
そう答えながら、ヒース=クラウンは大きなスプーンいっぱいに、ホクホクとしたシチューをすくって、口に運んだ。
第1章、終了です!
……えー、ヒロインとヒーローが一緒に出てきた場面が、一か所しかなかったような気がするのは、私と皆さんの錯覚ということで。ゴホ、ゴフンッ!
次回は第2章に突入です。やっとです。
初っ端から、初登場のおじさんたちに頑張って貰おうと思います。
【拍手をくださったお方へ】
ありがとうございましたーーーーッ!!! めちゃめちゃに励みになりますッ☆
張り切って、この先も楽しんで頂けるように精進いたしますよッ!! どうぞ、お付き合いのほど、宜しくお願いいたします。
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