近付くも届かず
身体の内で、アッシュはもどかしい気持ちを必死に押さえ込んでいた。
ほんの僅かなアッシュの発信を、果たしてレンベーレは気付いてくれただろうか。
この身体を奪ったアイツを出し抜き、必ず取り戻すと誓ってから、アッシュはまず五感を共有することに専念した。
悔しいことだが、いきなり全てを取り戻すことが不可能なのは分かっている。
だから、段階的に進めることにしたのだ。
自分が身体を動かして感じるのではなく、ザムリがこの身体で見聞きしていること、触れて嗅いで感じることを、共に感じる。
それは意外にも、特に難しいことではなかった。
元々自分の身体だ。
この身体が感じる刺激を受け取ろうと思えば、徐々にではあるが、アッシュはザムリに気付かれることなく、その感覚を取り戻すことができた。
次に、ザムリの記憶を見ることにした。
記憶を見ることで、身体を取り戻す為の手掛かりを得られるかもしれないと考えたからだ。
自分の大切な記憶を暴かれたことへの、仕返しのような気持ちもあった。
しかし、始めてすぐに困惑する。
ザムリの記憶は恐ろしく膨大で果てがなく、しかも、明らかにザムリではない者の記憶が混じるのだ。
おそらく、アッシュと同様に、過去に身体を奪われた竜人の記憶ではないかと予想がついた。
そして、このまま見続ければ逆に自分が何者か分からなくなりそうで、危険を感じて断念した。
見るのは、身体を奪われてからの記憶だけに留める。
ザムリは若い竜人の身体を乗っ取り、奪い続けて、長い年月を生きている。
それは間違いない。
この歪な内側は、その為だ。
ザムリの中には、多くの細かなざらつきがあった。
例えるなら、微妙に違う材質を繋ぎ合わせ、重ね合わせた為にできた繋ぎ目のようなもの。
まるで、継ぎ接ぎの化け物のようだ。
アッシュは薄ら寒いような気分で考える。
普通の生物ならば、こんなことは有り得ない気がする。
一体、このザムリはどういう竜人なのだろうか。
その答えは、思わぬ形で得ることとなった。
父であるハドシュが猫の使い魔の姿で現れ、ザムリと会話をしたのだ。
アッシュはそこで初めて、ザムリが始祖七人の内の一人、第六首ザムリドゥアであることを知る。
そして、ザムリドゥアがフラウレティアを己の目的の為に使おうとしていることを。
ふざけんなっ!
許さねぇぞそんなこと!
アッシュは堪えきれずにとうとう動いた。
いや、動こうとしたが、ほとんど動けなかった。
アッシュの身体中を満たす濃い魔力、そして溢れ出てこの場を支配した魔力圧に、太刀打ちできなかったのだ。
ただ、見つけたざらつきの部分に干渉し、ほんの僅か、一瞬だけザムリドゥアが猫に掛けた魔力圧を弱めることに成功したのだった―――。
アッシュ悔しさに千切れそうになる心を抱えながら、それでも努めて冷静になろうとして、四肢と思える部分に力を込める。
今、レンベーレに一言発することにも成功した。
やはり、内からノイズに干渉は出来るのだ。
そして、ノイズ部分に干渉されても、ザムリドゥアは気付かない。
だが、果たしてそれで、この身体を取り戻すことが出来るだろうか?
アッシュがまだ意識を保っていて、抵抗しようとしていることに気付かれてしまえば、ザムリドゥアは今度こそ放置しないだろう。
必ず消されるはずだ。
だから、行動するなら、機会は一度きり。
その一度で、アッシュは全てを奪い返し、逆にザムリドゥアを葬らなければならないのだ。
その一度はどこだ。
機会は、いつ!
そして、それは一人で成し得るのか?
焦りと苛立ちで爆発しそうになった時、広間の扉が開き、会いたくて会いたくて堪らなかった少女の姿が視界に入った。
フラウレティアは、ホルドーに渡された灰色のローブを着て、王宮を奥へと歩いた。
フードを深く被っていれば魔術士に見えるらしく、魔術師長が連れて歩いていれば、途中ですれ違った衛兵や侍女達は突然のように挨拶するだけだった。
奥へ進むにつれ、明らかに表とは違う雰囲気に変わっていく。
奥は王族の居住区だと教えられていたフラウレティアは、こんな所で王族の誰かにばったり会ったりしたら大変だと思った。
しかし、幸いと言うべきか、誰にも会うことはなった。
まるで、人が近付かないように何かの力が働いているかのようだ。
いや、途中から不自然なほどに人気を感じなくなったのだから、実際にザムリがそうしているのだろう。
最奥に辿り着き、両開きの扉を前にしてフラウレティアはゴクリと喉を鳴らした。
浅い共鳴で見た場所。
間違いない。
この扉の向こうに、あの魔術士が、アッシュがいる。
ホルドーが扉を開き、フラウレティアを顎で促した。
指示されるまま、フラウレティアは室内に足を踏み入れる。
途端に感じる魔力圧。
空気が密になったような息苦しさ。
しかしフラウレティアは、一瞬にしてそんなことを感じなくなった。
部屋の中央に、アッシュが立っていた。
重く垂れ下がる濃灰色の髪、鈍く光る白い鱗肌、表情のないのっぺりとした顔には、見慣れた深紅の瞳。
身に付けたところを見たことがない魔術士のローブ姿ではあるが、そこに立っているのは、紛れもなくアッシュだ。
フラウレティアはよろけるように数歩前へ歩き、そのまま駆け出してアッシュに飛び付こうとした。
しかし、後ろからホルドーに肩を掴まれる。
「おっとお嬢さん、ちょっと待っ、あだっ、えっ…!」
肩を払おうとしたフラウレティアよりも早く、いつの間に近付いたのか、アッシュがホルドーの手首を捻り上げて払った。
竜人の力でそうされれば、ホルドーの身体は軽々と浮き、次の瞬間には床に腰を打ち付ける。
「誰が触れて良いと言った」
間近で聞こえたアッシュの声。
見開いたフラウレティアの瞳に涙が盛り上がった。
例え姿はアッシュでも、今その身体を支配しているのは始祖なのだと理解していたはずだった。
しかし、瞬間的にそんなものは吹っ飛んでしまった。
「アッシュ!」
フラウレティアは、アッシュの身体を抱き締めるように縋り付く。
しかし、触れたところから全く覚えのない魔力、―――それも、冷たくぞわりと絡みつくような魔力を感じて、反射的に飛び退いた。
心臓が早鐘を打つ。
側で見下ろす竜人は確かにアッシュであるのに、その血色の瞳には少しも温もりを感じられなかった。




