4. 奇跡
ワタシは、ミカとのやり取りを思い出していた。
この問答が始まる頃、彼女は確かにさらりと大事なことをこぼしていた。
——争いの火種は、意思疎通の不足、そして己の謙虚さと相手への思いやりを失ったところから大概始まる。
この言葉を逆に取れば、己の謙虚さと相手への思いやりを大切にすることが、分断をなくしていく上での一つの鍵なのかもしれない。
ダイヤ帝国内の分断を例に改めて考えてみると、ニンゲンたちは多数決によって、ジャックを選び、政治を前に進めた。ここまでは良かったのだが、その後、多数派を取ったジャック派の言動には謙虚さや思いやりが欠けていた。
ワタシは、自分の考えを整理しながら、ミカに言う。
「多数決自体が悪かったわけじゃないけれど、ジャック派は多数派を取ったことで、驕った態度を取り始め、己の謙虚さを失ってしまった。そして、意見の違う者たちへ向けて、思いやりのない言葉を浴びせるようになった。だから、分断が深まってしまったのですね……?」
その言葉に、ミカはにっこりと微笑んだ。
「そうね。多数決は独裁よりはマシな方法だけど、別に万能ではないわ。まして“正しさ”を保証するものでもない。誰も正しい選択なんて分からないから、議論を尽くした上で、とりあえず多数派の意見を採用して物事を進めましょうっていうのが多数決の正体よ。だから、多数派だとしても驕り高ぶらず、その選択か正しいかどうか、正しかったかどうかを常に自分自身に問い直さないとね。そして、その問い直しの時にこそ、少数意見に耳を傾けることが意味を持つのよ」
怠け者のように見えたミカは果たしてどこへ行ったのか。
目の前の主は、今、神様らしく凛とした姿で、ワタシへ向けて世界の理を諭していた。
でも、ワタシは、それをすんなり受け入れられるほど、純粋な魂ではない。理想論としては分かるけれど、生前、私が醜い現実にどれだけ苦しんできたことか。
「謙虚さと思いやりが双方にあれば、確かに分断の傷は多少癒えることでしょう。でも、どうしても分かり合えないこともあります。ニンゲンたちはそれぞれ、ばらばらの価値観を持って生まれてきているのだから」
ミカは少し寂しそうな顔をした。
「……まあ、それは確かに一理あります。ニンゲンたちの体の特徴や能力、思考の初期設定をばらばらにしたのは、他ならぬ私自身。価値観の植え付けまでは私の範疇ではないけれど、ある意味、私にも世界の分断の責任があるのかしら……ね?」
ミカからの問いかけに、ワタシは自然と頷いていた。
そうだ。ミカがニンゲンを創造する時に、もう少し上手に調整してくれれば、世界の分断なんて最初から回避できたのではないか? そうすれば私だってあんな酷い言葉を掛けられずに済んだかもしれない。そして自死を選ばすに済んだかもしれない。
「そうです。あなたのせいです」
ワタシが泣きそうになりながら言う。
そこで彼女ならきっと優しい言葉を掛けてくれると思っていた。
でも予想に反して、ミカは険しい顔つきで、冷たく言い放った。
「そうやって神様のせいにして、あなたの気は楽になりますか? それで、結局、世界の分断は無くなりますか? 価値観が違うから分かり合えないと言って、相手との間に一線を引いて隔絶することが、究極的な解決策なのですか?」
そんなに厳しい言葉を浴びせなくたっていいじゃないか……。
ワタシの目から涙がこぼれ落ちていく。
「じゃあ、どうしろって言うの!」
泣き叫ぶワタシに、ミカは諭すように優しく言った。
「……私は、ニンゲンたちが分断でも隔絶でもない第三の道を選択した場面だって、これまで何度も見てきたわ。異なる価値観を持ちつつも、互いに手を取り合って境界線を歩んでいく奇跡を……」
確かにワタシもそれはたくさん見てきた。
大小様々あれど、確かにそれは温かくて美しい、奇跡と呼ぶにふさわしい輝きを帯びていた。
ミカは微笑んだ。
「そういう奇跡が一つでも二つでもまた増えていくといいわね。罵倒し合っても、傷は深くなりどちらかが倒れるまで終わらない不毛な争いに発展してしまう。分かり合えないと諦めて一線を引いてしまったら、争いこそ避けられても分断の溝は一生埋まらない。謙虚に真摯に相手と向き合い続ければ、まだ見ぬ世界が拓けるかもしれないわね」
ミカは優しい眼差しで下界を見下ろしていた。
一拍間を置いてから、言葉を続ける。
「ニンゲンよ、もっと足掻いてみなさい、私の創り出した盤上で。そして、私に魅せてちょうだい。対立と分断の悪化が決定的な盤面をひっくり返して、協調と結束で彩られた世界の盤面を」
その言葉に導かれるように、ワタシも下界のニンゲンたちへ視線を向けた。
——その時。
ミカから不意に声がかかった。
「さあ……あなたも、もう一度やり直してみる?」
「……えっ」
言葉に詰まった。一体どういうことか理解が追いつかない。
ミカはまっすぐワタシを見ていた。
「あなたが自死を選ぶ前に戻してあげるって言っているの。厳しい現実が再び待っているだろうけど、そこでどう生き直すのか、それはあなた次第よ」
頬を伝う涙が温かい。
ワタシは息を詰まらせながら声を絞り出した。
「私は謙虚さと思いやりを持って生き直したい。でも、厳しい現実に、汚い言葉に、耐え抜けられるか……とても不安です」
するとミカがワタシの目の前まで歩いてきて、ワタシの髪を優しく撫でた。
「大きな奇跡はそう簡単に起こせないし、起きない。でも小さな奇跡ならきっと起こせるわ。そうした小さな奇跡を一つ一つ数えるのよ。汚い言葉を数えるのではなく」
その言葉がワタシの胸にじんわりと染み渡っていく。
ワタシはそっと頷いて、ミカの目を見た——。
***
私は、クイーン派の論客の一人として、討論会に呼ばれていた。
やはりジャック派よりクイーン派の主張の方が自分の考えにしっくりくると思い直し、私は立場を変えてはいなかった。
開始前。
クイーン派の仲間たちが次々と席につく。
対面には、ジャック派の論客たちが厳しい顔つきで並んでいた。
私は席を立ち、ジャック派のもとへ向かった。
心臓の鼓動が早まる。
周囲の視線が集まる。
「なんだ……急に。討論会前にこっち来んなよ」
囁きが耳に届いた。
——数えない。
それは、汚い言葉。
私は、対立するジャック派の論客たちの前に、右手を差し出した。
「討論、よろしくお願いします。帝国のために、互いに意見を出し合いましょう」
一瞬の間。
やがてジャック派の一人が表情を崩し、手を差し出してくれた。
「こちらこそ、ぜひよろしくお願いします」
そして固い握手を交わした。
一つ。
私は胸の奥でそっと数えた。
こんなことを奇跡と数えるなんて馬鹿げているかもしれない。でも、以前の私にはできなかったことだ。
私は席に戻る途中、笑顔で天を見上げた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
私がこの作品の初稿を書いたのは昨年末のことでした。
しかしその後、「あまり政治社会的思想を表に出したくはないし、どうしよう」と躊躇し、下書きに眠らせたままの日々が続いていました。
そうしている間にも、ベネズエラの事件や、イラン攻撃などが立て続けに起き、世界情勢はますます混沌としていきました。
また、皆さんご存知の通り、日本国内では大きな選挙がありました。
選挙自体は民主的なプロセスとして重要なものですが、政治的な意見対立が加熱しSNS上での罵詈雑言がいっそう増えているようにも感じられました。
世界とか社会とか大きなものを変える力は持っていないけれど、それでも自分なりの考えを発信したい。
——そう思いながら、私は再びこの原稿に向き合い、「どうしたら世界の分断がなくなるか?」という問いに対する答えを探しました。
ただ、価値観の押し付けや説教めいた内容にはしたくない、という思いもあり、「明確な答えは示さない」という形に収めました(作中にもある通り、そもそも示せるものではないと思っています)。
煮え切らない対話と感じた方もおられるかもしれません。
それでも私は、正しさを自分に問い続けて「迷っている」謙虚な姿勢こそが、大切だと思いながら本作を書きました。
自信に満ちた人は魅力的に見え、時には憧れもしますが、自己正当化が強くなりすぎると、相手を必要以上に強い言葉で攻撃してしまったり、相手が自分と同じ考えにならないことにイライラを募らせたりしてしまうのではないでしょうか。
作中に登場する〈ワタシ〉も、迷い続ける存在として描きました。
彼女はクイーン派だったのにジャック派に寄ってみたり、結局またクイーン派に戻ったりしています。
そんな態度ではいけないでしょうか。
芯の強さのある人が評価されがちですが、私は「迷う人間」も等しく魅力的だと思います。
また、エンディングで描きたかったのは、「まずは身近なこと(自分自身)から少しずつ変えていこう」というメッセージです。
世界平和や社会課題の解決といった大きなことは、そう簡単に思い通りに変えられるものではありません。
他人の思考や行動も同様に、簡単には変わらないものです。
だからこそ、まずは自分が身近な人々(あるいはネットの向こうにいる誰か)にどう接するかを大切にしたいものです(自戒を込めて)。
そうすれば少なくとも、自分の周囲に、「分断や対立」を生み出すことは減らせるはずです。
その小さな一歩が確実な一歩となり、思いやりに満ちた世界が広がっていくことを願っています。
改めて、本作をお読みくださった皆様に心より感謝申し上げます。




