20話:かぶりついた瞬間。
エール学園祭1年A組の出し物『パン食い競争』のデモンストレーションがスタートしてしまった。五名のデモンストレーターの一人はヒロインのアナで、彼女がかぶりつくのはジャムパンではない。ホースラディッシュという西洋わさび入りのパンだ。
こんな悪戯をしたのは他でもない。
シナリオの強制力で動かされた私、悪役令嬢のエマだ。
ここはもうアナがかぶりついた瞬間、反動でパンが口から落下するとか、走り出した瞬間にパンを落としてしまうとか、“パン食い競争あるある”が発動することを願うばかりだった。
「おおお、アナ・ココ・ディアス男爵令嬢、速い! イートン令息やカール令息を押え、一番乗りでジャムパンのところへやって来ました!」
パン食い競争のパンは、一本のロープに五本の糸が吊るされ、その糸とジャムパンがつながっている。一人の時はパンをがっちり口でホールドして引っ張ればとれやすい。だが横並びで他の参加者がパンにかぶりつくと、揺れが起き、パンを糸から引き離しにくくなる。
でも今、アナは一人独走状態。
この脚力はヒロインチート!? それともヒロインのラッキー設定のせい!?
ともかくこのままでは、呆気なくホースラディッシュ入りパンにかぶりつくことになってしまう……!
そうだ!
ここで変な応援をすれば、驚いてかぶりついたパンを、口からポロっとしてくれるかもしれない!
アナがホースラディッシュ入りパンにかぶりついた瞬間。
「アナー、大好き! 愛している! 1位でゴールして! 速く!」
私のこの大音量の声援には、周囲の人々がドッと沸く。
近くにいたセシリオとヴェルナーも笑っている。
そしてジャレッドがずっこけ、大きく後れをとり、アナは――。
ホースラディッシュ入りパンにかぶりついているが、表情に変化はない!
しかもそのまま独走状態で、1位ゴール!
さらにゴールすると、笑顔でホースラディッシュ入りパンをパクパク食べている!
その表情は幸せそうで、ギャラリーは「美味しそうだ。パン食い競争、挑戦しよう!」と次々と受付へ向かってくれる。
つまりデモンストレーションは大成功。
「これから忙しくなるね」
セシリオの言葉にハッとする。
セシリオとヴェルナーそして私と後二人の令嬢と令息は、パンの補充係。
ジャムパンの入った木箱と脚立を抱え、すぐに補充へ向かった。
◇
「はぁ、ようやく休憩ですね。遅くなりましたがランチ、一緒に行きませんか、キャンデル伯爵令嬢?」
「ホルス第二皇子殿下、それは僕もお供しても?」
こうしてセシリオとヴェルナーと三人。
朝から五時間、パンの補充を続け、ようやく昼休みとなった。
パン食い競争は大成功。
デモンストレーションも上手くいった。
出場するだけで、イルハーネのジャムパンも食べられる。
一位になれば、イルハーネのシュトーレンハーフサイズが手に入るとなると、お客さんも殺到した。
よってパンの補充も、大忙しだった。
「三年C組で販売している、五種類のキノコとチキンのホワイトシチュー。これが人気だと、さっきすれ違ったお客さんが言っていた。行ってみる?」
セシリオの提案でC組へ向かう。
お昼の時間帯からずれているが、C組のシチューは大人気。十分程、行列に並び、シチューと白パンを手に入れた。
C組の教室内に用意されている椅子は満席だったので、隣室のフリースペースへ移動。
用意されているベンチに座り、シチューをいただくことにした。
「沢山の種類のキノコが入っており、歯応えもいいですね」
ヴェルナーが笑顔になり、セシリオもそれに応じる。
「チキンにも味が染み込み、とても美味しい。具沢山なのもポイントだね」
「白パンをつけながらいただくと最高です!」
私の言葉に二人とも同意する。
そして……あっという間に食べ終えてしまう。
「2年B組で今年はパンプキンパイを販売しています。エール学園祭の名物と言えば、パンプキンパイ。毎年、一クラスしか販売を認められていません。勿論、食べますよね?」
ヴェルナーの提案に「「食べます!」」とセシリオと声を揃え、答えてしまう。
「では行きましょう、キャンデル伯爵令嬢、エール王太子殿下!」
こちらもまた大行列。
「最後尾はこちら」なんて看板を持っている人がいるところは、まるで前世みたいだ。
「あ! キャンデル伯爵令嬢! エール王太子殿下、ホルス第二皇子殿下もいらっしゃるじゃないですか!」
最後尾にいたのは、アナとジャレッドとリベルタスだ。リベルタスはアナの従者兼護衛だが、どうやらパンプキンパイを一緒に楽しむようだ。行列に並んでいる。セシリオとヴェルナーの護衛は、離れた場所で二人を見守っていた。それを思うとリベルタスとアナは、年齢も近いし、仲が良いようだ。
「ディアス男爵令嬢、デモンストレーション、素晴らしかったです。ゴールの後の食べっぷりのおかげで、お客さんが沢山来場したと思いますよ」
ヴェルナーがそう伝えると、セシリオも同意を示す。
「今回、学園祭用に用意されたジャムパン、実は食べていないんだ。でも王宮では毎朝のように、イルハーネのパンを食べている。きっとジャムパンは、美味しかったのだろうね」
「実は、あれ、ジャムパンではなかったのです。多分、ですが、ホースラディッシュ入りパン! 鼻に抜けるツンとした辛さが、予想以上にパンともあっていて、パクパクいけました!」
アナのこの言葉に私は、パンプキンパイを吹き出しそうになる。
まさかホースラディッシュ入りパンを、美味しくいただいていたの!?
「お嬢様は幼少期より辛いものがお好きで。スパイシーラムシチューやチョリソーが好物なのです」
従者兼護衛のリベルタスの言葉に、そうなのか!と唸るしかない。スパイシーラムシチューには、粉末の唐辛子や沢山のブラックペッパーが使われ、かなり辛めとのこと。
この世界では、まだ辛い料理はポピュラーではなく、王侯貴族だけ楽しんでいた。香辛料は高級品だから。高級であるのに、辛い料理を食べているということは……本当に辛いもの好きなんだ。
ホースラディッシュ入りパンを食べさせることに、申し訳ない気持ちが募っていた。だが好きだったのなら、救いもあるというもの。
経験値も魅力も上昇したのでは? その確認は、攻略対象であるジャレッドの好感度が上がっているかどうかで判断できる。
「アナ、辛いものが好きなら、その手のスパイスを用意させ、プレゼントするよ!」
ヒロインであるアナの好物を知ることができ、ジャレッドは喜んでいる。間違いなく、アナの魅力も上がり、好感度もアップしたようだ。
こうして二日間に渡るエール学園祭は無事終わり、後夜祭を迎える。