短編「さくらさくーる」
先日までの冷たい空気は朝と夜だけ顔を覗かせ、日中はうららかな春の陽気を感じさせる3月の下旬。
父親から譲り受けたカメラを肩にかけ、かつて城が建っていたと言われている跡地へと自転車を進ませていた。
その場所は小高い位置にあり、少し坂を登っていかなければならず、あまり人が訪れる事のない場所だった。
そんな場所へなぜ向かっているのかと言うと、この季節限定のとっておきの場所を数年前に見つけ、以来この季節になると毎年やって来ていた。
掘りがあったとされる場所から裏手側へと回ると、表側からでは見えない位置に満開の桜の木が爛漫と咲き誇っていた。
「今年も綺麗に咲いてる」
カメラを構え、まずは絞りを開放し桜の木全体へとピントを合わせる。
パシャリと軽快な音を響かせシャッターを切る。
「綺麗に撮れたかい?」
桜の木から良く通る声がした。
「桜の木が喋った?!」
桜の木からした声に素直に驚きの声を上げてしまった。
「そうだよ。私は桜の木さ」
そう言いながら、桜の木の裏から同い年くらいの女の子が顔を出した。
「なんてね。ごめんよ撮影の邪魔をしてしまって」
少しはにかんだような表情で姿を見せたのは、高い位置で髪を結び、枝垂桜の様に風に流れる長い黒髪を持つ乙女だった。
さくら色の淡いキュロットから伸びるニーハイに包まれたスラリと長い脚に目が行ってしまいそうになるが、コートのポケットに無造作に突っ込まれた手が、パタパタと不思議な動きをしており目線は誤魔化せていたはずだった。
「そんなにも熱心に見つめられると照れるのだが」
残念ながら、完全に熱い視線を送っていることがばれていたらしい。
「ごめん、ちょっと驚いていて」
とりあえず、驚いて声も出なかったことにしておく。
「誰も来ないと思っていたところに、突然人が来たから、つい隠れてしまって驚かすつもりは無かったんだ」
誰もいないと思っていた場所でつい隠れてしまう気持ちはなんとなく分からなくもなかった。
「こちらこそ、誰も居ないと思っていたから、勝手に写したりして悪かったよ」
「多分、木の陰で写っていないだろうし、気にする必要は無いさ。それより、良ければ今撮った写真を見せて貰っても良いかな?」
「えっと……」
「すまない不躾に、嫌なら良いんだこんな初対面相手に」
「いや、ちょっとあんまり人に見せた事が無かったから恥ずかしかっただけで、見ても大丈夫」
そばに寄ってくる彼女からふわりと香る良い香りは、僕の顔を熱くさせた。
動きが固まっていた僕に、彼女はカメラを覗き込むため、慌ててプレビューを開きさっき撮影した桜を見せる。
「一眼レフだとスマホなんかよりよっぽど綺麗に撮れるんだな。それにとっても春らしくて好きだ」
裏表を感じさせない物言いで、褒められ少し照れ臭い。
「僕なんてまだまだだよ。世の中には写真1枚で息飲むほどその風景や瞬間を感じさせてくれる物があるんだ」
「君は写真が好きなんだな。他のも見て良いかな?」
カメラの操作方法を教え、写真を切り替えていく。
一枚一枚丁寧に眺めていく彼女の横顔は涼やかで、面白い写真には顔を綻ばせ、夜空の写真には目を輝かせていた。
しばらく写真を眺めていると「私でもこんな風に撮れるのかな?」とこちらを向いた。
「良ければ撮ってみる?」
「大丈夫か?壊したりしないか?」
「落とさなければ大丈夫だよ」
冗談めかしく彼女へカメラを手渡す。
「今日は天気も良いし、まずはオートで撮ってみようか」
手渡したカメラのつまみを回転させる。
「ファインダーを覗いて撮りたい風景を決めたら、ココを半押ししてみて、勝手にピントが合うから」
桜の木へ向いた彼女は、指先に軽く力を込めるとピピッという電子音と共にピントが合い「おぉ」と小さく感動を表す。
「その風景で良ければ、そのままボタンを押し込むと撮れるよ」
パシャリと小気味の良い音が響く。
「どう?」
プレビューを開き撮れた写真を確認する。
「こんなにも簡単に綺麗に撮れてしまうんだな。楽しいかもしれない」
「それは何より」
彼女は自分で撮れた写真を食い入るように眺めると、ふわりと微笑む。
その笑顔は桜のように綺麗で思わず見惚れてしまう。
彼女の喜ぶ顔が見たくて別の撮り方を教える。
「ちょっと別の雰囲気を出すために、ここのつまみを回してと」
絞りを変更できる半自動モードに変更し、絞り値を低くする。
「さぁ、この状態で少し桜の花に近づいて撮ってみてごらん」
彼女は言われるがままに手元まで伸びてきている桜の枝に咲く花へとカメラを向ける。
パシャリ
撮れた写真を見せると彼女はまた目を輝かせた。
「良い雰囲気でしょ?」
「すごい。桜の花の周りだけぼやけて、淡い桜色と青空の背景がピントの合った中心を際立たせているみたいだ」
少しはしゃいだ様子の彼女を見ているだけで自分まで嬉しくなっていく。
そんな彼女を撮りたくて、残して置きたくてお願いする。
「良ければ君を撮らせて欲しい」
彼女は一瞬だけ悩み「いいよ。その代わり私からもお願いしても良いかな?」と条件を提示する。
その条件を僕は了承し、彼女の写真を夢中で撮っていた。
その日の夜、僕は写真の整理を終えるとトークアプリを起動し、目的の名前を探す。
「す……すな…お…、あった。」
お願いされていた写真をトーク画面に貼り付け、一言だけ添える。
『今日はありがとう!』
スマホの振動に気がつき彼女は手に取る。
メッセージ画面を開くと数枚の写真と共にお礼が書かれていた。
最後にお願いしていた写真の1枚を開くと、満開の桜の木の下で2人並んでいた。
わざわざ三脚を用意してもらい、拳1つ分の距離がとても近くに感じたあの瞬間を思い出し彼女は頬を緩める。
今日の楽しかった思い出と初めて感じる気持ちの整理をしつつ、彼女は文字を打つ。
『今日はとても楽しかったです。良ければまた会えませんか?』
自分の中に咲く気持ちは、きっと淡い桜色をした暖かい春の様だった。




