番外編。初めて君に逢った時
レン視点。
レンとシェリアの出会い。
シュトレリッツ王国一の月。
まだまだ肌に触れる外気が痛いこの季節。シネラリア養成学校では、訓練棟のそばで新入生第一回目の剣技の授業が行われようとしていた。
シュトレリッツ王国の人間のほとんどは金髪碧眼である。そうでなくても、より金に近い淡い色彩であることが多い。そのため、屋外で数百人が集まれば、その場はいっきに明るい色になる。
太陽の輝きのような金髪は、トレリの人間にとって極当たり前のものだった。
しかし、一人の少年は、その枠に入れずに多くの生徒の不躾な視線を浴びていた。
少年の髪は黒かった。
瞳の色も、黒だとよく間違われるほど深い藍色。
そしてその少年は、非常に整った顔立ちをしていた。
本人の自覚以上に、女生徒を惹きつけるそれは、彼に集まる視線の数を確実に増やしていた。
しかし、整いすぎた彼の容貌は、気軽に話しかけることを躊躇わせた。
そのため、多くの女生徒は眺めるだけに徹する。
男子生徒は、その容貌だけでなく、彼の家柄に対する嫉妬のようなものもあり、彼に進んで近づくことはなかった。
つまり少年は一人だった。しかしそれを気にしてはいなかった。
それは幼少期からずっとそうであったし、少年の中には諦めのような感情があったのだ。
授業開始まではあと五分。
それまで耐えれば、少しはみなの注意から外れられるだろう。
少年が冷静にそんなことを考えた時だった。
少年の背後で、小さなざわめきが起こる。それは少年の時とは違い、男子生徒主体のざわめきだった。
おそらく目立つ容貌の女生徒が現れたのだろう。
さして興味があったわけではない。
しかし、何気なく後ろを振り返ってみた。ただそれだけだった。
時が止まったかと思った。
一人の少女が、歩いている。その歩調に合わせて、人ごみが一気に二手に別れて道ができる。
少女の顔に浮かぶのは、笑み。しかし彼女の目は笑っていない。
美しい少女だった。
長い艶やかな髪を、高い位置で一つくくりにし、背筋を伸ばして堂々と歩いていた。
そんな彼女の髪色は黒。少年と同じものだった。
「黒……」
親戚以外で黒髪の人を見るのは初めてだった。
自分の姿は、あんな風に写っているのかもしれない。
少女を見て、そんな感想を抱いた。
彼女は自分と同じだと。
無意識にではあったが、少年は少女をずっと見ていた。
そんな少年の方を少女が一度見た。
「っ!」
少女は笑みを浮かべていた。しかしそれに感情は伴っていない。
空っぽの笑顔を向けられていた。
それは、つまり好奇心旺盛な彼らと同列に並べられたということだ。
悔しい。
そんな思いが少年の中を駆け巡った。
心の底では、きっと自分には違う反応を返すに違いないと思っていたのだ。
同じ黒髪で、同じように容姿端麗で、だれよりも目立つ存在。
しかし彼女の中では、少年はその他大勢だったのだ。それがたまらなく悔しい。
授業が始まっても、少年は少女を盗み見ていた。少女にばれないようにさりげなく。しかしそれなりの頻度で彼女のことを観ていた。
「では、はじめ」
教師の声が少年を現実に引き戻す。
まわりを見れば、五人一組になっている。自分のそばにはすでに三人集まっているので、少年のグループはここなのだと分かった。
「総当たりは、だれからする?」
グループの一人が指揮を執る。
どうやら五人で総当たり戦をするらしい。
「あれ、その前にあと一人は……?」
「あそこにいるわ。リエーソンさん!」
金色の人ごみの中で、黒がわずかにこちらを向く。
少年の心臓が早鐘を打つ。
まさか、と思った。
そんな都合の良いことがあるのだろうか。
「こっちよ!」
人垣はさっと二つに割れて、黒髪の少女が歩いてくる。
間違いない。
先ほどの少女は、どうやら同じグループであったようだ。
「ごめんなさい。見つけられなくって」
少しだけ申し訳なさそうな表情で、少女は謝罪の言葉を述べる。
しかしその表情も、どこかとってつけたようなものだ。
「じゃあ、最初にリエーソンさんと、ヴェントスさん、お願いできるかしら?」
「俺? ……いいよ」
名を呼ばれて、肯定の意を示す。
総当たりならばどうせいつかは当たるのだ。
最初は彼女の剣技を見学していようと思っていたが、ここは流れに任せて試合をしてしまった方がいい。
どうせ自分が負けることはないのだ。
それなりに試合を盛り上げて、決着をつければよい。
「いいわ」
少女も肯定の意を示した。
ほか三人は、どこかほっとしたような表情で、二人から数歩遠ざかる。
少年は少女の前に立ち、練習用の木刀を構えた。
「はじめ!」
グループの人が合図を出す。
試合開始だ。
結果的に少年は、試合前の予想をことごとく裏切られることになった。
第一打の段階で、少女の実力が予想よりはるかに高いことを認識した。
手加減するはずだったのに、終始本気で打ち合う羽目となり、余裕のない勝ち方をした。
本当にぎりぎりの試合で、表情に出さないようにはしていたものの、内心ではひやひやとしていた。
少女はと言えば、どうやら負けるはずがないと高をくくっていたようで、しばらく呆然としていた。
その表情は作りものではない。
そんなことだけが、少年にとっての救いだった。
この学校の生徒はレベルのが高いのか、と二回戦以降も警戒していた少年だったが、そんなことはなかった。
どうやら少年と少女のレベルだけが、段違いに違ったようだ。
「疲れた……」
久しぶりに緊張感のある練習をして、心身ともに疲れてしまっていた。
少女がどうしてあんなに強いのか、興味はあるものの、わざわざ話しかけに行くほどの気力はない。
こちらが余裕のないときに、作り物のあの笑みで微笑まれたら、逆上してしまいそうだ。
「ねえ」
しかしそんなときに限って、少女は少年に話しかけてきた。
先ほどまでの自分の考えとは裏腹に、体は反射的に後ろを振り返る。
反射的に振り返った少年は、思わず一歩後ろに飛びずさった。
少女の顔が、あまりにも近い位置にあったから。
「名前は?」
「はい?」
「だから、あなたの名前を教えて」
まっすぐとした力強い視線は、間違いなく少年を見ていた。
黒かと見まがうほどの、深い緑色の瞳に、自分の驚いた顔が映りこんでいる。
どうやら先ほどの練習試合で興味を持たれたらしい。
「レン・ヴェントス」
端的に答えた名前に、少女は美しい笑みを浮かべた。
それは、作り物ではない、本物の笑み。
「私はシェリア。シェリア・リエーソンよ」
少年の心が、歓喜に震える。
それは、少年がその他大勢の扱いから抜け出せたから。
「よろしく」
自然とほほが緩み、笑っているのが自分でもわかる。
「ええ。こちらこそ」
この瞬間、シェリア・リエーソンの中にレン・ヴェントスの存在は刻まれたのだ。
自分を好奇の視線で眺めてくるその他大勢ではなく、一人の個人として。
「これは……落ちたかも」
去っていく少女の後ろ姿を見送りながら、少年は一人つぶやく。
心臓が高鳴っている。
それは、剣の練習で激しく動いたからではないことを、少年は悟っていた。




