第1話 隣の席
「選挙に人気AIが出馬しましたが、残念ながら落選しました。ただ、AIとしてはかなり多くの票を獲得したようですね」
朝のニュースを見ながら、パンをひとかじりしてコーヒーを飲んだ。
「そりゃ、そうでしょ」
くみは、ぼそっと呟いた。
今日から、くみは憧れていた大手通販会社、CREMOで働くことになった。
学歴もない。
これといったキャリアもない。
肩に付くくらいの黒髪に、丸い目。
顔も、ごく普通の容姿。
年齢も28歳だし。
とびきり若くもない。
それなのに、なぜ自分が採用されたのか。
くみには、それが不思議だった。
薄化粧をして、スーツに着替えた。
髪をひとつに束ね、黒のパンプスを履く。
鏡の前で、もう一度だけ自分の姿を確認した。
「……よし」
バッグを手に取る。
「いってきます」
真っ暗な、誰もいない部屋に向かって言った。
返事はない。
いつものことだった。
くみは玄関のドアを開けた。
その瞬間、外から光が差し込んできた。
眩しくて、思わず目を細める。
今日から、新しい生活が始まる。
高層マンションが立ち並ぶ街の中でも、ひときわ目立つ高層ビル。
ビルのてっぺんには、会社名の「CREMO」が、でかでかと掲げられている。
入口へ続く外階段の手前には、会社の大きなモニュメントが置かれていた。
オレンジ色の大きな「C」。
その上には、まるで買い物バッグのような取っ手が付いている。
そして、その下には段ボール箱を思わせる形が組み合わされていた。
通販会社らしさを全面に押し出した、少し変わったデザインだ。
くみはモニュメントを横目に見ながら、ガラス張りの自動ドアを抜けた。
中に入ると、真っ白なフロアが広がっていた。
朝日が差し込み、床や壁がキラキラと輝いて見える。
受付には、一体のAIロボットが座っていた。
「おはようございます。本日のご用件をお伺いいたします」
綺麗な顔をしたAIだった。
くみは思わず見とれてしまった。
「……綺麗な人」
「鈴木さん?」
「あっ!」
後ろから声をかけられ、くみは振り返った。
「あー! 新人の鈴木さんね!」
面接を担当してくれた部長が、こちらへ歩いてくる。
中肉中背で、少し癖のある髪。
年齢は五十歳くらいに見える。
「今日からよろしく!」
「よろしくお願いします」
「驚いた?」
「え?」
「ここ、社員の八割がAIだから」
「……八割?」
「まあ、そのうち慣れるよ!」
部長は笑った。
くみは少し気になった。
この人も……AIなのかな?
でも、聞くのはやめた。
「ちなみに鈴木さん、AIと働いたことある?」
「ないです!」
「だよね。最近は役所とか銀行の受付もAIになってきたけど、AIを社員として導入してる会社はまだ少ないからね」
「はい」
「中小企業なんかは、まだまだ人間ばかりだよ」
くみは小さくうなずいた。
「それじゃあ、鈴木さんの隣はAIのルカさんね」
部長が指を差した。
そこには、一人の女性が座っていた。
黒髪のセミロング。
透き通るように白い肌。
青い瞳に、ほんのりピンクのチーク。
高く整った小さな鼻と、薄く小さな唇。
その顔は、まるで「美しい」という言葉から逆算して作られたようだった。
スタイルも完璧だった。
「今日から鈴木さんの教育係になってもらうから」
「よろしくお願いします」
くみが頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ルカも丁寧に頭を下げた。
「ルカさんはね、すごく優秀なんだよ」
部長は少し声を落とした。
「ただ、NGワードを検知すると、すぐエラーを出しちゃうんだよね」
「NGワード?」
「たとえば、田中くんっていう社員がいてさ」
部長は苦笑した。
「ルカさんを見て、
『綺麗だからもったいないなぁ。AI彼氏とかいるの? 人間の彼氏とかはどう? すっごく刺激的だよー』
なんて言っちゃってさ」
「……」
「そしたらルカさん、エラーを出しちゃったんだよ」
「怒ったんですか?」
くみが聞くと、ルカは淡々と答えた。
「いいえ」
「え?」
「私は田中さんに対して、怒りや不快感を持ったわけではありません」
「……」
「設定されたNGワードを検知したため、規定に従ってエラーを発生させました」
くみは少し驚いた。
「じゃあ、田中さんのことを嫌いだったわけじゃ……?」
「はい。私は人間を好き嫌いで判断するようには設計されていません」
ルカは、何でもないことのように答えた。
部長は苦笑した。
「まあ、そういうことなんだよ」
「その後、どうなったんですか?」
「エラーが生産元に通告されてね。田中くん、解雇」
「……」
「田中くん、アホだったけど好かれてたし、仕事もできたから残念だったなぁ」
くみは、何とも言えない顔をした。
「あとね、エリートの峰山くんっていたんだけど」
「はい」
「すごく仕事ができる人だったんだけど、ルカさんに強く当たっちゃってさ。僕にもかなりルカさんの悪口を言ってきてね」
部長はため息をついた。
「それで、業務が円滑に回らなくなったんだよ」
「……」
「でもルカさんはAIだからさ。そんなこと気にせず、淡々と業務をこなしてたんだよ」
「はい……」
「そしたら、ついに峰山くんが言っちゃったんだよ」
部長の顔から笑顔が消えた。
「『廃棄してやるよ!』って」
「……」
「そしたらルカさん、エラー出しちゃって」
「え?」
「峰山くん、解雇」
「……廃棄って、死ねってことですよね?」
「そういう意味になるからね」
部長は笑った。
「だから鈴木さんも、ルカさんには優しくしてね」
「……はい」
くみはルカを見た。
ルカは無表情でパソコンの画面を見つめている。
「え? 私、ルカさんの隣ですか?」
「そうだよ」
部長は笑った。
「でも大丈夫。鈴木さんは人柄採用だから」
その笑顔が、なぜか怖かった。
くみは、おそるおそるルカの隣の席に座った。
「鈴木さん」
「はい!」
「まず、何ができないのか教えてください」
「え?」
「できないことから覚えたほうが効率的です」
「……はい」
ルカは、くみに一つずつ丁寧に仕事を教えてくれた。
しかも、くみが質問する前にマニュアルまで作ってくれた。
「え……もうできたんですか?」
「はい」
「早くないですか?」
「普通です」
くみは苦笑した。
パソコンを見ると、ルカが作ったマニュアルが完成している。
文字も綺麗。
説明もわかりやすい。
「すごい……」
くみは感心した。
そして、仕事が始まった。
くみは、ほとんどパソコンに触らなかった。
会社のシステムと自分の端末を同期させ、内部から発注書などを作成する。
入力も、計算も、書類作成も。
全部、驚くほど速い。
「すご……」
くみは思わずつぶやいた。
ただし、最後だけは人間が確認する。
それが会社の決まりだった。
「人間の確認が必要なんですね」
「はい」
ルカは答えた。
「取引先によっては、人間としか話したくないという企業もありますので」
「なるほど……」
AIだけでは完結できない仕事も、まだ残っているらしい。
くみはふと、ルカの机を見た。
そこにはキーボードが置かれていた。
「ルカさん」
「はい」
「どうしてキーボードがあるんですか?」
「使います」
「でも、内部から操作できるんですよね?」
「はい」
「じゃあ、キーボードって必要なんですか?」
ルカは少しだけ考えた。
「内部操作ではエラーになる場合がありますので」
「そうなんですね」
「その場合は、キーボードを使用します」
そう言うと、ルカはキーボードに手を置いた。
カタカタカタカタカタカタカタ――。
くみは目を見開いた。
「……」
速すぎて、指が見えない。
数秒後。
「完了しました」
「……今、何したんですか?」
「入力です」
「……見えませんでした」
「そうですか」
ルカは何事もなかったように、再びパソコンの画面を見つめた。
くみは思った。
この会社、本当に大丈夫なのかな……。
葉流風あやめ 作




