ギャルウインクは二度刺す
週明けの月曜日。俺は、文字通り針のむしろの学校へと登校した。
正直なところ、学校をサボって三日三晩ほど自室に引きこもりたいレベルの心理状態だった。
だが、兄をゴミのようにバカにするわりに世間体を人一倍気にする日和のことだ。もし俺が不登校になろうものなら、今度は物理的な実力行使を持って部屋から引きずり出しに来かねない。確実にその方が怖かった。
死んだ魚のような目で校門をくぐった。
示談金を支払って流してもらった訂正LINEのおかげで、俺の噂はマイルドに修正されていた。
そのおかげで、すれ違う男子からは挨拶をすれば普通に返ってくるし、登校中の女子から露骨に悲鳴を上げて避けられるような事態は免れていた。
だが、前のような距離感が望めないのもまた事実だった。女子たちの視線には警戒が混ざっており、見えない壁がしっかりと構築されている。現金で買い戻せる信用の限界を、俺は肌で感じていた。
息を潜めるようにして学内に入ると、思わぬ人物が俺の前に立ち塞がった。
「あ……日和のお兄さん、ちょっといい?」
小声で声をかけてきたのは、日和のギャル軍団の一人で、あの日、背中に凶悪な一級怪異を取り憑かせていたユナだった。
ピンク色のカーディガンを羽織り、制服のゆるく着崩したギャル相応の格好に、高めの位置で結ばれたツインテール。その内側のひとふさだけがきれいに脱色されており、黒髪とのコントラストが絶妙に「あざとい」雰囲気を醸し出している。
ユナは視線を泳がせながら「ちょっと話がある」と告げてきた。
俺は内心で冷や汗を流しながらも、それを承諾した。ただし、彼女の後ろをついていく間も油断は一切怠らない。
万が一、スマホを掲げた日和たちが物陰から飛び出してきても直ぐに逃げ出せるよう、絶妙に無関係を装うことのできる距離をキープし続ける。
俺自身への非難の視線の背中に浴びながら、俺は人目につきにくい体育館の横へ連れていかれた。
体育館の横につくと、ユナは立ち止まり、周囲に人目がないか執拗にキョロキョロと見回し始めた。
なるほど、よく分かる。俺なんかと二人でいるところを誰かに見られたら、彼女のギャルカーストにおける立場が揺らぐ。彼女に隠密行動を強要している我が身の哀れさに、俺の心は朝一番から音を立ててえぐられた。
「……で、話って何かな、日和様のお友達さん」
俺が極力刺激しないよう問いかけると、ユナはようやく俺の方へ真っ直ぐに向き直った。
その表情にはギャル特有の軽薄な圧はなく、どこか真剣で、張り詰めた空気をまとっている。
ユナは意を決したように小さく息を吸い込み、とんでもない言葉を口にした。
「……日和のお兄さん。あのさ、もしかしてあの日……アタシのこと、助けてくれたんだよね?」
「……は?」
想定外の言葉に、俺の思考は完全に停止した。
罵詈雑言のナイフが飛んでくることしか想定していかった俺の脳内に、ユナの言葉が反響する。
「お兄さんに肩を触られたときさ……ここしばらく、ずーっとあった不快さが、すうっと抜けてく感じがあったんだよね。それに、ほら――」
ユナはブレザーの襟元を少し緩め、自分の白い首筋を俺に見せてきた。
「ここ、ずっと消えなかった変なアザも綺麗に消えてるし、今めっちゃ体も軽いし……」
さらに、ユナは声を一段と潜め、俺の顔にぐっと顔を近づけてきた。
「あと、お兄さんがアタシの肩を触った瞬間、なんか……光ったよね? 日和とあゆっちは全然気が付かなかったみたいだけど」
「っ……!」
俺は思わず息を呑んだ。
あの時、部屋の外にいた佐藤の術式が暴発させた光は俺や佐藤のような『霊感があるもの』にしか見えない光だった。
現に、霊感ゼロの日和には一切観測されていなかった。
それを、この目の前のギャルが『見えた』と言っている。
なるほど、そういうことか。
霊感百%の俺にとって『目が開けられないほどの凄まじい光の奔流』だったものが、彼女にとっては『ちょっと光った』くらいの認識。ということは――おそらくこの子には、ごく一般的なレベルよりも少し上の霊感があるのだ。
そもそも、霊感が完全にゼロの人間なら、怪異に干渉されないため霊障に遭うことすらない。だが、彼女はあの日、巨大な黒い腕に取り憑かれていた。佐藤が「放っておいたらマジでヤバい」と焦っていたのだから、彼女に霊感があるのは当然だったのだ。
「……ああ。光ったよ」
俺はわかってもらえる同士がいたのだと喜んだ。
「信じられないかもしれないけど……あの時、キミの背中には一級の怪異が取り付いていた。あのまま放置してたら、マジで命がヤバかった。だから俺は、あの時キミに接触して除霊したんだ」
自分の社会的死亡と引き換えに彼女を救った事実を、俺は飾らずに淡々と告げた。
ユナは大きな目を丸くしたあと、どこかホッとしたように小さく息を吐き出し、深く頷いた。
「……やっぱり。だって、お兄さんの言ってること全部繋がる。そっか……アタシ、そんなヤバいオバケに取り憑かれてたんだね」
ようやく、ようやく俺の無実をわかってもらえた!
これで、パトカーで連行された苦い経験も、少しは報われるというものだ。一筋の希望の光を見出した俺は、藁にもすがる思いで頼み込んでみた。
「なあ! だったらさ、その話を日和とあゆっちさんにも説明してくれない? アイツらに本当のことを話してくれたら、俺の覗き魔疑惑も完全に晴れるし――」
「あー……」
だが、俺の必死の訴えに対し、ユナはあからさまに顔をしかめ、気まずそうに視線を斜め下にそらした。
「お兄さんには悪いんだけど……それは、もう無理かな」
「……え?」
歓喜の絶頂から、俺は一瞬で奈落の底へと叩き落とされた。
「なんでだよ……! だって、キミは信じてくれたんだろ!?」
「いやー、そういう問題じゃなくてさ……。ウチらの仲間内でも、色々ポジションとかあるんだよね。……ぶっちゃけ、ひよりんには誰も逆らえないの」
「……」
「だから、今さらアタシが二人にお兄さんのフォローをしても、マジで空気悪くなるだけっていうか……。まあ、一応、これからはグループLINEとかでそれとなく、お兄さん弁護はするつもりだけど……」
申し訳なさそうに、けれどギャルコミュニティを生き抜くための絶対的な生存戦略を語るユナを見て、俺は声もなく項垂れるしかなかった。
彼女らの中では俺の妹の日和が『トップギャル』として君臨しているのだ。
「……そっか。いや、いいんだ。信じてくれただけで、十分だよ」
俺が力なく微笑むと、ユナは「じゃあ、ありがと」と小さく手を振って去っていった。
人目を気にしながら、マッハの速度で教室へと戻っていく彼女の背中を見送りながら、俺は深い深いため息をついた。
無実は証明された。ただし、体育館裏の、誰の耳にも届かない二人だけの秘密として。
俺の社会的地位は、相変わらず地べたに突っ伏したままである。
体育館横で、砕け散ったハートの破片を虚しく拾い集めながら、俺は深い深い溜め息をついた。
◇
昼休みに一人飯をすました後、がっくりと肩を落とし、教室へ戻ろうと渡り廊下を歩いていた、その時だった。
「ウチ、マジであの新作のリップ欲しいんだけどー」
「あー、それあーしも狙ってたやつー!」
前方から、香水の甘い匂いとともに、聞き覚えのあるアゲアゲな声が響いてきた。
曲がり角から現れたのは、我が校の絶対君主――実の妹の日和を筆頭とするギャル軍団。
(げっ……!)
俺が反射的に足を止めると、日和の鋭いジト目が真っ直ぐに俺を射抜いた。
日和は汚物を見るかのように露骨に顔を歪め、これ見よがしに深く、重い溜め息をつく。
その鋭い視線だけで、俺の肩がびくりと震えた。
「はぁ……。最悪、マジで視界汚されたわ。ウチらの運気一気に下がったんだけど。いこいこ、キモすぎ」
相変わらず実の兄に対して一ミリの慈悲もない。
日和があからさまに俺を避けて歩き出すと、隣のあゆっちも俺を指さしてゲラゲラと下品に笑った。
「ウケる! 犯罪者まだ学校いんだ? メンタル強すぎw」
あゆっちのえぐり込むような煽り。
そして、その最後尾。ツインテールのインナーカラーを揺らしながら歩くユナと、バッチリ目が合った。
今朝、体育館裏であれほど俺の無実を信じてくれたユナだ。
ほんの少し、ほんの少しだけでも躊躇する素振りを見せてくれるのではないかと淡い期待を抱いた。
だが、ユナは冷徹な目を俺に向けると、日和たちの歩調に完璧に合わせて、一切の迷いなく言い放った。
「ほんとだよねー。てかアタシに近づかないでくんね? お兄さんマジで陰気くさいしw」
「……っ」
グサリ、と。
わかっていた。彼女がギャルコミュニティを生き抜くための絶対的な生存戦略だと、頭では骨の髄まで理解していた。
けれど、「近づかないでくんね?」はさすがに打点が高すぎる。
実際に目の前で放たれたガチトーンの罵倒に、俺のガラスのハートは朝二番の音を立てて粉々に砕け散った。
だが、日和たちの背中が遠ざかるその去り際。
ユナは日和たちの視線から完全に隠れる角度になった一瞬、くるりと俺の方を振り返った。
そして、端正な顔立ちの片目をキュッと瞑り――パチンと、あざやかなウインクをしてみせたのだ。
(……ウインク、だと……?)
無実は共有しているという彼女なりの合図なのだろうが、――いや、いいんだけどさ。
「……ウインクじゃ、俺の全損した心は1ミリも再生しないんだが?」
廊下のど真ん中で、俺は一人、飛び散ったハートが自然治癒するのを待つしかなかった。




