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2/22

怪異にはお札が効くが、ギャルには数珠すら通じない

四時間目の数学。


つまらない授業の最中、俺はなんとなく教室の天井を見上げて――。


(……ウソだろ、おい)


天井の隅、ちょうど蛍光灯の影になる部分。

そこに、赤黒い血を滴らせながら、逆さにへばりついている男がいた。


ぼろぼろの鎧。むき出しの頭皮から垂れ下がる、落ち武者の髪。

何より恐ろしかったのは、その顔だ。漆黒の眼窩が、教室の生徒たちを値踏みするように見下ろしている。


(やばい、目が、いや目が無いけど、こっち見てる……!)


冷や汗が背中を伝う。あまりの恐怖に一人で抱えきれなくなった俺は、たまらず前席の男子の背中をペン先でつついた。


「なぁ、おい、前田……! あそこ、あそこにいるよな? 鎧着たお化け、お前も見えてるよな!?」


「は? 何が?」


前田は迷惑そうに振り返り、俺が指さす天井を一瞬だけ見て、すぐに白けた顔に戻った。


「何もいねーよ。授業集中しろよ」


「嘘だろ!? ほら、あそこだって!」


今度は通路を挟んだ隣の席の女子に、声をひそめて必死に呼びかける。


「なぁ、高橋! あそこ、蛍光灯の横! なんか血ぃ垂らしてる奴がいるんだって! なぁ!?」


高橋は俺の尋常じゃない怯え方に引き気味の視線を向け、そっと机を数センチ遠ざけた。


「……何言ってるの? マジでキモい」


(誰も、見えてない……!?)


周囲からの冷たい視線と、天井からのネットリとした怪異の視線。

板挟みになった俺が絶望の淵に立たされた、その時だった。


「――臨(りん)、兵(ぴょう)、闘(とう)、者(しゃ)……」


斜め後ろから、蚊の鳴くような、しかしハッキリとした呟きが聞こえた。


見れば、クラスメイトの佐藤だった。きっちり第一ボタンまで留めた制服に、知的で細分化されたメタルフレームの眼鏡。どこからどう見てもお堅い学級委員長。

その彼が、教科書の陰で素早く印を結んでいる。


その視線は、眼鏡の奥で鋭く光り、真っ直ぐに天井の落ち武者を射抜いていた。


(佐藤……お前、見えてるのか!?)


二人の視線が交錯する。佐藤は小さく頷いた。

そして、懐から一枚の古びた呪符を取り出した。


その瞬間、天井の落ち武者が二人の「視線」を察知した。


『み……みぃ、ぃ、つぅ、けぇ……たぁなぁぁぁ……!』


鼓膜を泥でなすりつけられるような、不快な声。

落ち武者は天井を引き裂くような爪の音を立てて、猛烈な勢いで佐藤の頭上へと這い寄ってくる。


「皆の者、退(すさ)れッッ!!」


佐藤がガタッと椅子を蹴立てて立ち上がった。

学級委員長らしからぬ大声に、チョークを持った先生と、俺に引いていたクラスメイト全員の視線が今度は佐藤に集まる。


「おい委員長、授業中だぞ」


「先生!今それどころじゃありません!下がってください!」


佐藤は叫びながら、凄まじい踏み込みで机の上に飛び乗った。

激しい動きで眼鏡が少しズレるのも構わず、信じられない跳躍力で天井へ手を伸ばし、迫り来る落ち武者の額へ、容赦なく呪符を叩きつける!


「急々如律令《きゅうきゅうにょりつりょう》――ッッ!!は――ッッ!!」


バチィィィン!!


俺には肉を焦がすような臭いと激しい破裂音が響いた。

落ち武者は悲鳴を上げる間もなく、煙となって消え去っていく。


静まり返る教室。

机の上に立ち尽くす佐藤は、人差し指で静かに眼鏡の位置を直した。


「皆の者、もう安全です」


……数秒の沈黙の後、先生の冷たい声が響いた。


「委員長。あとで職員室に来い。……あと一ノ瀬、お前もさっきから前や横にキョロキョロうるさい。お前も職員室だ」


「えぇっ!? 俺も!?」


放課後。

たっぷり油を搾られてぐったりした二人は、夕暮れの渡り廊下を並んで歩いていた。


俺が恐る恐る声をかける。


「なぁ、佐藤。お前、本当に見えて……」


すると佐藤は、俺の手をガシッと力強く握りしめた。


夕日に反射して眼鏡のレンズが真っ白に光る。


「ああ、そうだよ……!一ノ瀬君。僕たち、同志だ!」


「あ、あぁ……同志だな!」


そうして固い握手を交わした。


俺はついに、同じ高校で「霊感がある仲間」を見つけ出した。


「これで俺の無実が証明できる……!」


歓喜した俺は、その日の放課後、佐藤を自宅へと招いた。


俺は、日和に向かって胸を張った。


「日和、佐藤も俺と同じ霊感を持つ!怪異の対策もできる凄い奴だ!ほら、これで俺の頭がおかしいわけじゃないって証明されただろ!?」


日和は値踏みするような沈黙のあと、すぅっと息を吸い込んだ。

手で髪をかき上げ、無言のまま佐藤へと一歩歩み寄り、下から鋭く睨みつけた。


「……まじ? いんの? そーゆーの」


低くドスの利いた、地を這うようなギャル特有の圧。


日和の視線に射抜かれた佐藤は、直立不動の姿勢のまま、涙目で絶叫した。


「は、はいぃっ!!いませんッッ!!霊なんてこの世に一切存在しませんッッ!!」


「ちょ、おまっ!?」


俺の裏返った悲鳴がリビングに響き渡る。

日和は鼻でフッと笑うと、兄をゴミを見るような目で見下げた。


「ほら見なさいよ。あんたの妄想に友達を巻き込むの、マジでやめてくんない? キモさ倍増なんだけど」


ピシャリ、とリビングの扉が冷たく閉まる。


静まり返った部屋。俺は佐藤の胸ぐらに掴みかかって詰め寄った。


「おい佐藤!なんで嘘つくんだよ!」


すると佐藤は、恐怖のあまり青ざめていた顔を一変させ、涙目で俺を激しく睨み返した。


「一ノ瀬君……君の妹、ギャルって聞いてなかったぞッッ!!」


「はぁ!?」


「僕はこの世で一番ギャルが怖いんだ! あんな最凶生物の前でオカルトトークができるわけないだろ!殺す気か!責任取りたまえ!!」


「何が最凶生物だ! お前のせいで俺の怪しさが倍増しただけになっただろうが!」


「無理に決まってるだろ! ギャルにはお札も数珠も効かないんだぞッッ!!」


「怪異には精神的、物理的に殺されかけるんだぞ!?」


「ギャルには社会的に殺されるんだッッ!!」


互いの顔を真っ赤にしながら怒鳴り合う男子高校生二人。


――タカタカタカタカタカ。


そんな二人の足元で、軽快な爪の音が響いていた。

見れば、クッションから起き上がった柴犬のコテツが、俺と佐藤の脚の間を、楽しそうにグルグルと回り続けている。


右足の後ろをすり抜け、左足の前を回り、また戻ってくる。

尻尾をブンブンと力強く振りながら、嬉々として無限の無限軌道を描く愛犬。


「おいコテツ、今それどころじゃ……」


「一ノ瀬君、君の犬、ステップのキレが良すぎないか……?」


日和への恐怖も、怪異への絶望も、すべてがコテツの放つ圧倒的なマイペースさの前に霧散していく。


窓の外では、すっかり日が落ちた夕闇が広がっていた。


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