南風之宮にて④
シェシウグル王子は参拝に際して、驚いたことに親衛隊や侍従の一人も連れていなかった。エイと、アハトを加えた三人きりでの訪問である。
だが、あきれるハヅルや宮の神官たちに対して、妹であるミルハーレン王女は平然と兄を出迎えた。
この王子にはよくあることなのだ。両親である国王夫妻も、アハトが彼の守護に付いてからは、無断外出癖をあまり咎めなくなった。もはやあきらめの境地なのだろう。
並んで笑いあっていると、兄妹はよく似ていた。肌は王子の方が日に焼けているが、髪と目の色はぴったり同じだ。
むろん男女の違いはあり、王女はより繊細で王子は精悍な顔立ちではあるものの、目鼻の形や配置には血の近さを疑いようのない相似があった。
「こちらで兄上とご一緒できるとは思いませんでしたわ」
世継ぎの王子への形式的な挨拶を終えると、彼女は一変して家族らしい親しげな声音になった。
「エイ殿も。よくいらっしゃいました」
同じ調子で、王女はにっこりとエイに笑いかけた。
親しく話しかけられ、エイは顔を赤くして、どもりながら彼女に挨拶を返した。
「あ、はい…王女様」
緊張のあまりか、やや挙動不審になっている灰色の髪の友人を、王子がおかしそうに眺めていた。
「お前、ミルハの前ではどうしてそう緊張するんだ。俺相手には全然なのに」
「あなたとは違いますよ……」
「緊張なさらなくてよろしいのに。わたくし、そんなに恐ろしく見えまして?」
冗談めかした王女の言葉に、エイは慌ててかぶりを振った。
「恐ろしいなんて、とんでもない。ただ、」
「ただ?」
「ええと、その、高貴な方にお会いするのに慣れていないので」
「おい、どういう意味だ。俺は違うっていうのか?」
「えっ……」
聞きとがめた王子が口を挟む。エイは目を瞠って口ごもった。
王女の肩越しに様子をうかがっていたハヅルは、先日エイに抱いた疑念が正しかったと改めて確信していた。
どこか超然として見える白に近い灰色の両眼と、冷たく整った容姿のせいで、口数の少なさや反応の乏しさが冷静さと深慮ゆえに映る。
だがその実態は、口下手で上がり症の少年だった。
いちいち他人の言葉への対応に苦慮している様子が見てとれるのだ。不快そうというのではない。困っている、というのが正しい。不器用なのだ。
敏い王女にも、もちろんそれはわかっているのだろう。彼女は楽しそうだった。
ハヅルは少し意外に思った。
王女は、王子ほど明確に表には出さないものの、他者に対する鎧は彼以上に強固と言ってよかった。それが、王子と一緒になって、くつろいだ様子でエイをからかっている。
つまり、王女はエイを気に入っているのだ。
兄妹はひとしきりエイの反応を楽しんでから、宮の司に奥へと案内されていった。
ぞろぞろとその後ろについて歩くうちに、エイがハヅルのそばに寄ってきた。
「やあ、ハヅル」
王女の前で見せていた緊張の、すっかり解けた顔を、エイは彼女に向けた。
「エイ」
彼の親しげな態度に、ハヅルは戸惑った。
彼に対してはかなり不躾な態度をとった記憶がある。こんなふうに打ち解ける機会はなかったはずだ。少なくとも彼女の認識ではそうだったのだが、
「元気だった?」
エイはそう思っていないようだった。笑顔と判別できるほどではないが、表情がやわらかい。
「……まあ、元気」
「この間のことで、大変だったそうだね。ちゃんと謝りたかったんだけれど、顔を合わせる機会がなくて」
「その日のうちに謝られた覚えがあるぞ。まだ謝りたいのか?」
怪訝に訊いた彼女に、エイは苦笑した。
「あのときは、そんなに深刻なこととは思わなかったから」
「私だって思っていなかった。何にしろあなたに責任はないんだから、気にしなくていい」
「そう言ってくれると、気が楽になるよ」
彼は言葉どおり安堵の息をついた。
「君が神殿に発ってから、アハトがやけに僕に厳しいものだから。君たち一族にとってはずいぶん深刻なことだったんだと、実は結構悩んでいたんだ」
アハトに聞こえないようにとの配慮なのか、エイは声をひそめながら、少しかがんで彼女の耳元に顔を近づけた。
ハヅルは思わず前を歩くアハトの背を見た。ツミは聴力が常人の何倍も良いから、小声とはいえ聞こえていないはずはない。
だが彼は、名を出されたことに、まったく気付いた素振りを見せなかった。
※※※
王子が南風之宮にやってきてから三日が経った。
……の、だが。
挨拶を分担して王女の雑務を軽減するでもない。神事に参加するでもない。
王宮にいるときとまったく変わらず、本殿の外れに広がる牧草地でエイや王女の親衛隊を相手に、くる日も剣術の腕比べを楽しんでいる。
最初は本殿前の、石畳でしつらえられた広場の真ん中を陣取っていたのだが、参拝客や神官の邪魔になるからと追いやられたのだ。
王女の親衛隊がぐるりと囲む輪の中で、現在王子の試合相手をしているのはエイである。
ハヅルは少し離れた木の枝に座って観戦していた。
王女は今日一日、潔斎の儀式のために奥の院にこもらなければならず、ハヅルは例によって宮の司に追い出されたのだ。
本来ならば王子も潔斎に入らねばならないはずだが、彼はそれを雑事と言い捨てて、行事当日以外のことは省略する気満々でいる。
宮の司も王子に対してはあまり強く出る気がないようだった。世継ぎという立場もあるが……おそらくあの宮の司ですら、あきらめているのだろう。
「何しに来たんだ、王子は」
ハヅルがそうひとりごちてしまうのも、無理からぬことだった。
「そう言うな」
隣の枝で、幹にもたれたくつろいだ姿勢で観戦していたアハトが口を挟んだ。
「実はな。王都では、王が姫を疎んじて神殿に遣ってしまうつもりなのだと噂が立っている」
「え?」
ハヅルは目を瞠った。王女についてあれこれ取りざたされないためにこうして王都を離れたというのに、それでは本末転倒だ。
「誰がどういう意図で流しているか知らんが。今は、二人して王宮にいない方がいいのだろう」
「王子はそれを払拭するために……?」
信じられない思いで、ハヅルは王子に視線を映した。
遠慮も何もあったものではない本気の剣さばきで、エイに打ちかかっては軽くいなされている。
一度など隙を見て砂で目潰しという、王子様らしからぬ戦法を試したが、完全に動きを読んでいたエイに体ごとあっさりかわされた。
「……ちょっと信じられない」
「ああ見えていろいろ考えてはいるんだ、あの王子は」
アハトは珍しく王子を持ち上げるような発言をした。
本当に珍しかった。他人の評価には慎重なアハトが、唯一バカ呼ばわりしてはばからないのが王子だったのだ。むろん、口にするのはハヅルの前くらいのものだが。
「あっ」
ハヅルは思わず声を上げて、腰を浮かせた。
エイが、突きを打ち込んだ王子の剣を払い落としたのだ。鈍い金属音をたてて剣が数メートル先まで滑っていく。王子は打ちかかって無防備な体勢のまま剣を失った。
絶体絶命だ。はやし立てていた王女の親衛隊が、しんと静まり返った。
だがエイは王子を打ち据えも、剣をつきつけて降参を迫りもしなかった。
「だ、大丈夫ですか?」
彼は電光石火の速度で剣を鞘に“納め”、王子に駆け寄った。
利き手を押さえてうずくまっていた王子は、自分の前で膝をついたエイの顔をまじまじと見つめると……無言のまま、エイにガコンと頭突きを食らわせた。
「~~~!」
エイは声にならない叫びを上げて、灰色の頭を抱え込んだ。
「なんてことするんですか!」
涙目で抗議しようと頭を上げたエイが見たのは、自身も額を押さえて、涙目になっている王子の顔だった。
エイはあきれた。
「何やってるんですか、あなたは……」
「こっちのセリフだ、石頭」
王子は低い低い恨み節でそう言った。
「本気を出せと、何度言えばわかるんだ」
エイは困惑したように身を退いた。
「本気……出してますよ」
「親友に嘘をついたな。絶交してやる」
「絶交はいいですけどね……」
「いいんだな! 本気だぞ」
「はあ…」
曖昧なエイの返事に、王子は勢いよく立ち上がると、彼に背を向けてずかずかと歩きだした。
ハヅルたちのいる木に向かって。
「うわ、こっちに来た」
王子はわざわざ木の下まで来て、二人のいる枝を見上げた。
「おいアハト! お前相手しろ。エイとはもう闘ってやらん!」
「断ります」
アハトは身を起こしもせずあっさりと言い放った。
王子が薄情者だの命令だのとわめいていたが、彼は完全に無視をきめこんでいる。ハヅルはさすがに心配になった。
「いいのか?」
そう声をひそめると、
「いいんだ。あんなのをいちいち相手にしていられるか」
彼はわざわざ王子に聞こえるように大声で応えた。あんなのとはなんだ、と王子が木の根元を蹴飛ばした。
「じゃあ、ハヅル! お前はどうだ?」
「えっ」
「お前はアハトと同じくらい強いとエナガに聞いたぞ。一度手合わせしてみたかったんだ」
どう答えるべきか迷って、ハヅルは思わずアハトの方を見た。
彼は露骨に嫌そうな顔をしていた。
「ハヅルは姫に付くツミです。巻き込むのはやめてください」
「よし、あいつに許可とればいいんだな」
「そういうことでは、」
ない、と身を起こしかけたアハトだったが、駆け寄る少年の姿に口を閉ざした。
追いついてきたエイが、ため息をつきながら王子の落とした剣を差し出した。
「彼らの仕事じゃないんですよ。ほら、僕で我慢してください。今度は本気出しますから」
王子は差し出された剣の柄を、乱暴に引っ掴んで奪いとった。
「いやだ。お前とは絶交した」
「謝りますから。許してください」
相変わらず無感動な調子ではあったが、困り果てているのは傍目にもよく伝わった。
王子にもわかったのだろう。重ねて謝りにかかるエイに多少機嫌を直した風で、ぶつくさいいながらも親衛隊たちの待つ平地に向かって歩き出した。
彼について立ち去りざま、エイは苦笑らしき表情をハヅルたちに向けた。
やがて先刻と同じ対戦試合が、親衛隊の合図とともに再開された。




