第九十話 白沢病気になる【其ノ参】
予想通り長くなっちゃったので、今週の掲載は一旦終わりです。
続きは来週末ごろ更新予定となりますので、お楽しみに!
「お主、わしのことが見えるのか?」
「ええ、おかげさまで目が良いので」
相変わらず男は笑顔のままだ。
「ぬかしおる、普通の人間にわしが見えるはずが無かろう。お主何者だ?」
その男はゆっくりと九尾の狐のいる石の前まで歩いて来た。
敵意はなさそうだと感じた九尾の狐は、寝転んだ状態から体を起こし、石の上で座り直す。
「私は唐の国から来た白沢と申します。お察しのとおり人ではありません。まあ、あなたと同じような部類の生き物だと思っていただければ結構です。この日の本では大和の国で医者をしておりましたが、京の都で恐ろしい病が流行っていると聞き、やって来た次第」
「ほほう、この都を病から救いにわざわざ大和、ひいては唐から来たの申すか?」
「救えるかどうかに関しては、あなた次第ですかね」
「つくづく面白いことを言いよるのう」
九尾の狐は白沢の物言いに怒っているふうでもなく、次にこの男が何を言い出すのか楽しみにしているようだった。
「さっき、人のために働けとか言っておったな、それが今、京ではやりの病を治すことという事か?」
「その通りです。実はすでにこの病を治すための薬材料はほとんど揃っていて調合済なんですが、最後の材料が少々厄介でして……」
「ああまて、わしは勘がいいのだ。その最後の材料とやらを手に入れるためにわしの力が必要だと言いたいのじゃな」
白沢は大げさに驚いた顔をして手を叩いた。
「さすがは狐の中で最も尻尾が多いと言われるお狐様だ。ご慧眼恐れ入りました」
この頃九尾の狐は尻尾を数十本持っていた。しかし仲間にあげたりしているうちに、江戸時代には九本になっていたのだ。なのでこの頃は九尾の狐とは呼ばれていなかったが、名前を変えると訳が分からなくなるので、作者は九尾の狐と表記しているわけです。
「そうじゃろう、そうじゃろう。お主中々わかっておるではないか。しかし、わしの協力が得たければただというわけにはいかんぞ」
白沢は縦長の竹で作られた入れ物を懐から出した。途端に九尾の狐の顔色が変わる。
「それは、酒じゃな? しかも日ごろ飲んでおる酒とは香りが違う。ずっと澄んだ香りがするぞ」
平安時代の酒は現代で言う“どぶろく”で、発酵した米麹がそのまま粒で残っているような白く濁ったものであった。
しかし白沢は独自に製法を学び、濁らない透明な清酒をすでに発明していたが、作り方が難しく白沢以外の人が作ろうとしても再現できなかったので、白沢は自分が飲むものだけにとどめていた。
尚、日本において清酒の製造が始まったのはこの数百年後、室町時代ごろと言われている。
「味見しますか?」
「もちろんじゃ」
九尾の狐は舌なめずりをする。
竹の入れ物から盃に注がれた酒は、純水のように透明で、それでいてとろりとした質感があった。白沢はその盃をうやうやしく九尾の狐に渡す。
盃に注がれた酒を一口で飲み干した九尾の狐は、「ほう」と感嘆の声を漏らす。
「うまい。これまで飲んだことがない酒じゃ。帝の飲む酒を拝借したこともあったが、これほどうまい酒ではなかったぞ」
九尾の狐は再度舌なめずりをする。
「もっと飲ませよ」
「それは私の願いをかなえていただいた後でということで」
「お主ももったいぶるのう。そういえばわしに頼みたいこととは何なのじゃ?」
「先ほど申し上げた通り病に効く薬の材料はほぼ揃っています。そもそも、この病は人の中に入って免疫力を低下させる病気です」
「免疫力?」
「簡単に言うと病気と闘う力です。直すには免疫力を取り戻さねばなりません。そのため五行説に基づいた五つの薬草を調合しましたがこれだけでは力が足りません。最後の一押しが必要なのです」
「それはなんじゃ?」
「強大な霊力を持った血です」
「血?」
「血です。霊力が詰まった血を一滴混ぜることで、後は勝手に力が増殖していきます」
「まさかわしの血が必要と申すか? わしは痛いのが大嫌いなんじゃ! 断る!」
「じゃあ、この酒はいらないんですね?」
白沢が意地悪そうな笑顔で九尾の狐を見る。
九尾の狐は「むむむ」と呻いて下を向く。
「実は私の血も使いますが、どうも二種類の霊力がないとこの細菌に勝てない様なんです。指先からちょっともらうだけですから、痛くないですよ」
「本当に痛くないのか?」
「はい」
「うーむ、わかった。酒の……いや都の民の為じゃ協力しよう」
「流行り病が収束したらこの酒で乾杯しましょう」
「うむ、楽しみじゃ」
――再び江戸時代の白沢の家
「ということでな。やっとうまい酒にありつけたという訳じゃ」
「話をはしょるでない。それで都から病が去ったのか?」
お舞の言葉に九尾の狐がうなずく。
「そう、あの後白沢が作った薬を都中の庶民に配ったところ、数日で病人が回復してな、それを聞きつけた貴族連中もこぞって白沢の元を訪れて薬と買って行ったわ。白沢は庶民にはただで薬を配ったが、貴族にはかなりの高値で売ったからの。それで都の一等地に診療所を開いたという訳じゃ」
皆の目に希望の光が宿る。
「であれば、話は早い。九尾殿がまた血を差し出せば白沢は治るのじゃな?」
お舞の言葉に九尾の狐は渋い顔で首を振る。
「なぜじゃ? 同じ薬を作ればよいではないか?」
「もしかして、霊力を持った複数の血の事が心配なんか? 確かに白沢の血は自分自身にはきかへんやろけど、わしがおるから大丈夫や。わしの霊力も中々のもんやで」
麒麟が任せておけと言わんばかりに胸を張る。
「いや、それはお主の言う通り麒麟殿の血で何とかなるのじゃが、肝心の薬の元となる五行による五種類の薬草が何なのかわからん」
「え? だって薬を一緒に作ったんやろ?」
「話を聞いておらなんだか? わしの血を与える前に薬草の調合はすでに終わっておったのじゃ」
「じゃあ、その薬草が何なのかは」
「薬草の種類も、調合率も白沢にしかわからん」
部屋に重い空気が流れる。
そのとき、白沢が苦しそうに寝言を言う。
「患者が……診療所を開けなくては……」
「こんな時まで患者の心配とは、白沢殿らしいのう」
「それが白沢様の良いところです。診療所の夢でも見ているのでしょう」
お舞の言葉に影丸が同意し、小さい手で白沢の額に乗せた手拭いを替える。
思わず、白沢を囲む者たちにも笑顔が少しこぼれた。
するとふとお舞なにかを思い付いた顔で麒麟を見る。
「もし本当に白沢殿が夢を見てるとしたら、直接白沢殿から薬の作りかたを聞けるのではないか?」
それを聞いた影丸はきょとんとしたが、麒麟が思わず右手で自分の額を打つ。
「獏か!」
其の肆に続く




