第一話 薬泥棒(前編)
新連載は初の時代物です。「猫も化ければ~」の白沢先生がチワワに生まれ変わるだいぶ前の話(猫も化ければ~を読んだ人にしかわからない話ですみません)。
白沢先生が江戸の町で活躍する姿をお楽しみください。
時は江戸時代中期、徳川将軍五代目綱吉が世を治めていた時代、今でいう東京の神田に名医がいることで名高い診療所があった。なんせ人間はもちろん、犬や猫、果ては鳥の病気まで治してしまうと評判の医者なのだ。
そしてもうひとつ評判なのは失せものを探す事。物はもちろん、行方不明の人を探したり出来るものだから江戸の町民や商人はだけでなく、奉行所までもこの医者に助けを求める程である。
この医者、名は三沢と名乗っているのだが、何でも知っているという中国起源の神獣「白沢」のようだと評判になり、白沢先生と呼ばれるようになっていた。
しかし実際、この医者の正体は本物の神獣白沢だったりする。元々は唐(当時の中国)にいたが日本の遣唐使が来た際、帰りの船に忍び込んで日本に旅行に来て以来日本が気に入り、人間に成りすまして住み着いているのだ。
それにしても正体を明かしていないのに白沢と呼ばれることは不思議な気持ちだが、本物の白沢だと言ったところで誰も信じぬので、まあいいかと達観して過ごしている白沢先生なのであった。
そんな白沢のもとになじみの岡っ引きが顔を出す。
白沢先生のいる診療所は神田にある小さな診療所だ。普段からたくさんの人でにぎわっているが、今日の診療は終わっており、白沢先生は患者の病状について書き記した書類、今でいうカルテをチェックしていた。
「白沢先生いるかい?」
「これは日本橋の親分、風邪でもひきましたか?」
横を向いて何やら書き物をしている白沢先生に親分は少し照れたような顔をし、
「やめてくれよ、俺がここに来るときの用事は大体わかってるだろう?」
「てことはまた人探しですね」
白沢はまだカルテ見ながら答える。
親分は日本橋辺りを拠点とする岡っ引きで北町奉行所から十手を預かっている。この親分人情に厚く、人のいい親分ではあるが能力の方は優れているとはいいがたく、中々手柄を立てられなかった折、たまたま事件現場に居合わせた白沢先生に犯人を見つけてもらって以来ことあるごとに犯人捜しを頼るようになったのだ。
なので、白沢がよそ見しながら会話していることにも怒れるわけがない。
「今回は何ですか? あまり血なまぐさい事件はごめんですよ。飯がまずくなります」
白沢はやっと書き物を辞め、親分の方を向いて言った。
「そういう意味では大丈夫だ、盗みの犯人探しなんでね」
「なにを盗まれたんですか?」
「薬だよ、江戸でも有数の薬種問屋から、滋養強壮に効果があるという高麗人参を盗んで逃げたらしい」
白沢は少し意外そうな顔をした。素人が高麗人参を盗んでも売りさばくのは難しいし、わざわざお金に換えにくい代物を盗む意味が分からなかったからだ。
「日本橋で有名と言うと、黒丸屋さんですか?」
「さすが、白沢先生はご存じだね。中々大きな店で高級な薬を扱っているから幕府の家老なんかも使っている店だ」
白沢先生も医者なので当然江戸の薬種問屋はほとんど知っている。一番よく使うのは長崎屋でここも高級な薬や漢方の素材を売っているが、値段はほどほどに抑えられており、いいお店だと白沢は思っている。
しかし、黒丸屋についてはあまりいい印象を持っていなかった。確かに良い薬も扱っているが、明らに人を見て商売しており、薬に詳しくない人間に薬を高く売りつけたり、ひと月飲まないと効果がないとか言って必要以上に薬を買わせたりもしていた。
そのくせ、幕府の重鎮や役人にはただで薬を回していたため、目を付けられることもなくのうのうと商売をしているのだ。
「あんまり、いいうわさを聞かない店だということは承知しているよ。とはいえ盗人は盗人だからな」
親分は白沢心を読んだように言った。この親分相手の気持ちをおもんばかること(だけ)は得意なのだ。
「で、その犯人を見つけて欲しいと?」
「その通りだ」
(わかりました。親分の頼みとあらばやりましょう)
「被害者が黒丸屋か、やる気でないなあ」
「ちょっと、白沢先生、心の声と口から出た言葉が逆になってるぜ」
「おっと失礼、つい」
白沢は苦笑いする。
「手掛かりはあるんですか?」
「高級な薬なので屋敷の敷地内にある蔵にしまってあったらしいんだけど、錠前は鍵で開けられていたらしい。先に屋敷の母屋に忍び込んで盗んだことになるが、誰も気づかなかったそうだ」
「ふうん?」
白沢はなにか考えていたようだが、とりあえず現場に向かうことにした。
今回被害を受けた日本橋の薬種問屋である黒丸屋に白沢がついたのはもう日もだいぶ傾いたころだった。親分も一緒だ。
「黒丸屋さん、俺だよ」
親分が声をかけると、いかにも悪いことしてそうな人相の店主が店の奥から顔を出した。
人間というものは生き方が顔に出るから、業の深さが一目でわかる。こんなやつの店で何かを買おうっていう奴の気持ちがわかんないね。白沢はそう思いながら店主に軽く頭を下げた。
「おやおやこれは、白沢先生、長崎屋ばかりに入り浸ってうちの店にはまるで来て下さらなかったのに、こんなことで来ていただけるなんて不思議なもんですな」
店主は親分が白沢を連れてくることを知っていて、皮肉めいた事を言ったようだが白沢は歯牙にもかけない。
「早速だが、当時の状況を白沢先生にもう一度説明してもらえるかい?」
「そういう事であれば番頭から説明させましょう。おい! 弥平」
すると店頭にいた細面で眼鏡をかけた番頭が盗みがあった夜のことを親分と白沢に語った。
「あれは一昨日のことで、私はこの屋敷の離れで寝起きしているのですが、真夜中に厠に行きたくなって起きた所、蔵の方で物音がするのを聞きまして、庭に降りて蔵の方に向かうと、蔵から真っ黒なものが飛び出してそのまま塀をかけ登って逃げて行ったんです」
「真っ黒なものって……って昨日もそんなこと言ってたけど、人なんだろう?」
親分がいぶかしげに聞く。
「だと……思うのですが、大人にしては小さくて猿のようでもあり、すばしっこくてなんだかよくわかりませんでした」
「猿が薬を盗みに入るわけないだろう! しっかりしとくれよ!」
店主がイラついたように番頭を叱る、番頭はきゅっと身を縮めて、
「すみません、なんせ夜ですし、私は目も悪いもので……」
「まったく頼りにならないね!」
また店主が番頭を睨む。
「まあまあ、それで盗まれたものは高麗人参一本だけで良かったかい?」
すると黒丸屋の店主は怒ったように反論する。
「一本だけって言いますけどね! 親分さん、あれはたいそう高い……」
「ああ、わかった、わかった」
親分はまあまあ店主をとなだめているが、白沢も不思議に思っていた。蔵まで破って入り込んだのになぜ根こそぎ持って行かなかったのか? いくら番頭さんの気配がしたからって他にも高そうな薬をいくらか持ち出せただろうに。
「とりあえず、その蔵を見せてもらえますか?」
番頭に案内され、白沢は蔵の中を覗いたが、高麗人参もまだたくさん残っているし、他にも高そうな薬や薬の素材が置いてある。どう売りさばくかは別として、盗人にとっては宝の山のように見えるが盗んだのは結局一本の高麗人参だけ。
まあ、逃げるのに必死だった可能性もあるが……白沢先生は一旦考えるのをやめ、
「ま、動機は後回しにして、犯人の痕跡を見てみましょうか」
そう言って、白沢先生は蔵の扉のあたりを探るように見る。実際は匂いやそこに残った思念と言うか気配と言うか、今風に言うとオーラのようなものを感じ取っているのだが、周りの人間には理解できないことなので、白沢はいつも足跡や手形を見ていると周りには言っている。
白沢は蔵の出入り口から黒いものが駆け上がったとされる塀までを丹念に調べ、ふーっ、と息をついた。
「大体状況はわかったので、今日の所はこれで失礼します。犯人の目星がついたら親分にお知らせしますんで」
白沢はぽかんとする親分を置いてけぼりにして足早に黒丸屋を後にした。
「さて、問題は動機だな。どうしたもんかな、いずれにせよ明日にするか」
そう呟きながら、白沢は神田の診療所に帰って行った。
後編に続く
この話の後編は本日0時更新です。




