余談:一瞬の刻、永遠の幸福・後
傭兵らの目の前をかすめるように、巨大な戦鎚が振り下ろされた。
「ひぃっ!」
ドカン!と目の前の石畳が土ごとえぐられた。
目の前に現れた一ツ目の巨人の迫力は、彼らを恐怖に陥れるには十分だった。
「我が主に仇なす者は誰であろうと許さぬ」
ラセツは大きな声で叫ぶと戦鎚を構え、まるでゴルフの素振りのようにスイングすると、すさまじい風と共に衝撃波を起こした。
その風に大勢の傭兵たちが巻き上げられ、空高く吹き飛ばされた。
「後退だ!逃げろ!」
懸命にも傭兵のリーダーは仲間にそう命じた。
「くそっ、なんとか外の仲間に作戦が失敗だと伝えねば…」
傭兵のリーダーは焦っていた。
ラセツの登場、魔族の包囲、聖魔の不在、なにもかもが計算外のことだった。
黒翼の魔族は羽ばたいて、一ツ目の巨人の肩に腰掛けた。
「ラセツ、<遠見>で見ていてくれたかい?」
「無論だ、ウルク殿。市内に潜伏していた賊共は、全員ここに集まっていることを確認している」
「よーし、それじゃあ、サクッと片付けちゃおっか。いいよね?アルシエル」
ラセツの肩に乗っている黒翼の魔族は聖魔騎士団のウルクだった。
彼は目の前にいるアルシエルに同意を求めた。
「いいよ。市民の避難も完了してるしね。ああ、そこのリーダーっぽい奴と何人かは生かしたまま捕えてくれ。いろいろ聞きたいこともあるし」
「了解~!」
そう云うと、ウルクは黒い翼を広げて上空へと飛び、広場を包囲している魔王軍へ伝令に向かった。
同時に、アルシエルは空間移動で、逃げ出そうとしていた傭兵たちの前に先回りした。
突然行く手を塞がれ立ち止まった傭兵たちの頭上に、巨大な戦鎚が振り下ろされた。
一方、傭兵たちが到着を待っていた本隊約5000は、ゴラクドールから南西30キロの地点に待機していた。
仲間の狼煙を確認した彼らは、騎馬でゴラクドールを目指して移動を開始した。
だが、そこで彼らが目にしたものは、空を飛んで向かってくる巨大なドラゴンだった。
ドラゴンは彼らに、口から火球を吐いて攻撃を仕掛けてきた。
突然のことに傭兵たちは狼狽えた。
ゴラクドールは警備が手薄のはずで、ドラゴンが出現するなんて、聞いていなかった。
火球爆撃により馬ごと爆ぜる者や、ドラゴンの羽ばたきが巻き起こす突風にさらわれて落馬する者が相次ぎ、隊列は著しく乱れた。
それでも訓練された傭兵たちは、作戦目的を果たすため、火球を躱しながらゴラクドールを目指して馬を走らせた。
「とにかくゴラクドールに入って仲間と合流しろ!都市の中ならドラゴンは攻撃して来ないはずだ!」
先頭を走る傭兵のリーダーがそう叫ぶと、全員が馬の腹を蹴ってスピードを上げた。
ところが、その彼らの行く手を阻む者たちが現れた。
それはゼフォン率いる魔王軍の精鋭3000だった。
その中にはアスタリスもいて、敵の動きはすべて感知されていたのだった。
「一人たりともゴラクドールに入れるな!」
ゼフォンが叫ぶと、「おおー!」と雄たけびを上げながら魔王軍の魔族たちは傭兵たちに突進していった。
経験の少ない若い傭兵たちは、当初は数の上で上回る自軍に自信を見せていたが、魔王軍の精鋭たちと実際交戦してみると、その圧倒的な強さに太刀打ちできず、瞬く間に劣勢に陥ってしまった。
上級魔族で構成された魔王軍は、個人個人の力量が段違いに強かった。
傭兵らは魔族とまともに戦ったのは初めてであり、舐めてかかっていたことを後悔した。
広場にいた傭兵部隊は全滅し、アルシエルが傭兵部隊の指示役数名を絞り上げた。
傭兵たちは簡単に口を割った。
彼らの雇い主は、ゴラクドールの元領主で今は亡きエドワルズ・ヒースの子孫たちだったと白状した。
ヒース一族はエドワルズの死後も、ゴラクドールを取り戻そうと機会を伺っていたのだ。
実は、その事は聖魔軍の諜報部隊がとっくに掴んでいたのだが、実際にヒース一族が動いたという証拠が掴めなかったため、泳がせていたのだ。そこへ、偶然繁殖期という好機が訪れたので、これを利用してゴラクドールの警備が手薄になると嘘の情報を流し、まんまとヒース一派を誘い出すことに成功したのである。
「腐った木は根っこから抜かないと、始末しきれないのよねえ」
この作戦を指揮した聖魔軍諜報部隊の指揮官である魔王護衛将カラヴィアはそう云った。
自らも変身能力で傭兵たちを誘惑し、聖魔府から注意を逸らせるなど作戦に加わった。
ゼフォンたち魔王軍と交戦した傭兵部隊はあっという間に全滅した。
彼らの目的が聖魔を人質に取ることだったことから、魔王の怒りを買い、見せしめのため容赦のない攻撃を加えよと命じられていたのだ。
命からがら逃げ延びた傭兵たちは100人にも満たなかった。彼らは這う這うの体でキュロスへ逃げ帰ったが、魔王軍は追撃してこなかった。
それはキュロス政府から、魔王府宛に傭兵たちの助命の嘆願が寄せられていたからだった。
年配の傭兵らが政府に掛け合い、今回の件は若い傭兵らが金に釣られて雇われただけであり、ヒース一族の計画には加担していないと直訴したのだった。
諜報部隊の情報から、すでに聖魔騎士団の一部が動いていたのだが、傭兵たちの言質を得たことで、ジュスターは正式にヒース一派への捕縛命令を出した。
計画が失敗したと知ったヒース一族は逃亡を図ったが、どこへ逃げても諜報部隊の情報網から逃れることはできず、追撃を受けて一網打尽にされた。
彼らは魔王の前に引っ立てられ、必死で言い訳と命乞いをした。
だが彼らを待っていたのは、死よりも残酷とされる<次元牢獄>の刑だった。時間の概念のない異次元の小さな牢獄の中で、彼らは思考を奪われて永遠に暮らすのだ。それは、生きながら死ぬようなもので、大抵の者は正気を失ってしまう。
この事件は、改めて魔王と魔族の恐ろしさを世界にアピールする形になり、これ以降、繁殖期を狙って襲ってくる者はいなくなった。
私がこの事実を知ったのは、この一件が終わってからだった。
この作戦の間、私は魔王の勧めで、聖魔府に勤務する者たち全員を連れて、オーウェン王国郊外に新たにできた『オーウェン温泉』という保養地に慰安旅行に出かけていたのだった。
そこは以前、私がルキウスに連れて行かれた地下王国と温泉をベースに、様々な娯楽施設が作られ、観光地として新たに開発された場所だ。
私は、ベルや女官たちと貸し切り温泉旅行を暢気に楽しんでいた。
後で知ったことだったけど、護衛として同行していたセレスとテスカはこのことを知っていたらしい。
旅行から戻った私の元へ、ジュスターがやってきて、事情を話してくれた。
人間たちが私を人質にして魔王を脅し、ゴラクドールを取り戻そうと計画していたことを知って、多少なりともショックを受けた。魔族と人間の距離はかなり近くなったと思っていたのに、まだそんな人間がいると知って、ガッカリしたのだ。
そしてこの旅行が、襲撃事件から私たちを避難させるためだったと知って、驚いた。
一言云ってくれれば良かったのに、と私が文句を云うと、ジュスターは真顔で云った。
「私が魔王様でも同じことをしたでしょう。大切な人を不安にさせたくはありませんから」
そう云われてしまうと黙るしかなかった。
ジュスターの首にかかっているネックレスからは、不機嫌そうな声が聞こえた。
『おまえは私が傍にいて守るべきなのに、魔王め…』
魔王の命でジュスターに預けられていたカイザーは、私と引き離されたことに不満を露わにした。
今もまだ、カイザーの変身能力が潜入捜査に必要なのだとかで、ヒース一派の残党狩りに駆り出されている。今回の襲撃計画に金を出したり、間接的に関与した者たちまで追っているというから、魔王の徹底ぶりが良くわかる。
そんなカイザーは、毎日ジュスターに愚痴を云っているみたいだけど、聖魔騎士団のメンバーに云わせると、結構いいコンビになっているらしい。
ともかくも、こうして後顧の憂いなく、魔族たちは繁殖期を迎えることになったのだ。
繁殖期に入ると、治療院を訪れる者も少なくなって、かなり余裕ができた。
診療を終えた私は、聖魔府の離宮のサロンで、一息ついていた。
「案外、残っている人も多いのね」
ゴラクドールから繁殖期のために魔族の国へ戻ったのは、既にパートナーのいる3割程度の魔族だけだった。正直、ゴラクドールがからっぽになるんじゃないかっていうくらいもっと大勢の魔族が繁殖期を迎えると思っていたのだ。
「ゴラクドールにいる者たちは、魔王様直属で、どこの陣営にも所属していない者たちばかりですからね。自由意志が尊重されている証ですよ」
私の前のテーブルにお茶菓子を置きながら、そう云ったのはテスカだった。
『聖魔府治療院』で助手になったテスカは薬師として治療院の中の薬局の責任者になってもらっている。
彼は有用な薬を多く開発して、魔王からたくさん勲章をもらっている世界的にも有名な薬学博士なのだ。
ポーションの件で物言いのついたザグレム陣営とは、テスカの薬を提供することで和解している。
その取引条件の1つに、テスカがポーションの材料を仕入れることを挙げたので、この薬局でもポーションを作れるようになり、安価でのポーションの販売が可能になった。
ザグレムがポーションの代わりに仕入れたテスカの薬というのは、今世間で評判になっている『延命薬』だ。これを買うのに城を一つ手放した貴族がいるというのは有名な話だ。
これは無効化したテュポーンの毒から有効成分を抽出し精製したもので、これを飲むと人間なら最低でも10年は若返るという貴重な薬だ。将やエリアナにも治験に協力してもらったのだけど、100歳近くになった今でも元気なのはこの薬のおかげだと言われている。ちなみに魔族に対してはおそらく100年単位で長生きできるだろうとの予測をしている。ただし、魔族の治験の結果が出るのは数百年後だろうけど。
「魔貴族の各陣営は、自陣の人数を増やすことに熱心で、繁殖期には絶対に子供を作らないといけないみたいですよ。特に盟主の血族は本人の意思は無視で、能力重視で相手を決められたりするので、気の毒ですよ」
「そういやイヴリスもそれで家出したんだっけ」
「そんなこともありましたね」
そのイヴリスは、意外にもエルドランと意気投合し、そのままパートナーになった。どうやらゼフォンが二人の仲を取り持ったようだ。マクスウェルの了承も得て、彼女たちも繁殖期のため、故郷に戻っている。
「そういうテスカはどうなの?」
「僕はまだいいですよ」
「じゃあ、今回は見送るの?」
「はい」
「弟子の誰かとってことは考えてないの?」
「ありえないです」
テスカは笑って否定した。
治療院内の薬局の奥の調合室には薬師見習いが8人もいる。
皆、テスカに憧れて、弟子にして欲しいとやってきた魔族たちだ。
小柄なテスカより体格の良い魔族たちばかりで、誰かと仲良くなっているんじゃないかと期待していたのだけど、テスカのパートナーになるには彼らはもっと頑張らないといけないようだ。
「聖魔騎士団の中で、今回繁殖期に入るのはユリウスだけみたいですよ」
「そう、それよ!驚いたわよね~!グリンブルから帰るなり、『繁殖期に入るので休暇を下さい』って言い出すんだもん」
「僕もです。てっきり相手はザグレム公だとばかり思ってましたよ」
「それなんだけどさ、本人に聞いたら、ザグレムはユリウスに女性体化して欲しかったんだって。ユリウスは絶対嫌だって突っぱねたそうよ。ザグレムは自分が女性体になるのは抵抗があるらしくて、泣く泣く諦めたんだってさ」
「そうなんですか。あんなに執着していたのに、ずいぶん物わかりが良いんですね」
「あくまで、今回はってことよ。時間をかけて説得するつもりらしいわよ」
「…じゃあ、またあの贈り物攻撃は続くわけですか…」
「ま、いいんじゃない?貴重な食材とか送って来るのは大歓迎よ」
私がそう云うと、テスカは苦笑いをした。
「でも、女性体になったユリウスも見てみたかったですね」
「そうね~。すっごい美女になるんでしょうね。そのうち気が変わるかもしれないし、見られることもあるかもよ?」
「ってことは、相手の方が女性体になるのを了解したってことですよね?」
「うん、マサラはそれでいいって言ったらしいわよ」
「…意外、ですね…」
ユリウスが最初にパートナーに選んだのは、なんとネビュロス陣営のマサラだった。
繁殖期の到来直後、ユリウスがグリンブルに出かけていたのは治安維持機構のマサラに会うためだったのだ。
これには皆、青天の霹靂って感じで、すごく驚いた。
クシテフォンから聞いた話では、私が記憶を失っていた間に、マサラがユリウスに申し込んだらしく、その時からの付き合いだとか。まったく知らなかった。もっともマサラの方がユリウスにぞっこんで、いいように使われていたみたいだけど。
「まさか、マサラが相手とはねえ…」
マサラは、周囲のやっかみが怖いからと、当日までつきあいがあることをひたすら隠してたらしいけど、公表した後はあのクールな感じのキャラが崩壊するほどニヤけまくっていたそうだ。
あのマサラが女性体化するというのはなんだか想像しにくいのだけど、そこには聡い彼らしい計算もあるんだろう。陣営の違うカップルの場合、子供の親権は、女性体になった方が持つことが多いからだ。
ネビュロス陣営のエースとも云えるマサラは、子供を持つことを課せられているに違いない。
でもユリウスとマサラの子供なら、きっと美形で賢い子になるんだろうなあ。
ちなみにカナンはカラヴィアから猛烈なラブコールを受けているらしい。
何回目かの魔王祭のトーナメントでカナンが連覇した後から、猛アタックし始めたようだ。
カナンは丁重に断ったみたいだけど、何度断られても、次の繁殖期には必ず落とすと張り切っていて、まったく諦めていないみたいだ。
カラヴィアは魔王以外に本気になったのは初めてだと、騎士団の皆のいる前で乙女チックにカナンに告白したらしく、その時のカナンの困った顔を思い出すと今でも笑える、とネーヴェなどは語り草にしている。
何にせよ、皆が幸せになってくれたらそれでいい。
「トワ」
急に名前を呼ばれた。
後ろを振り返ると、魔王が立っていた。
「ゼルくん」
向かいに座っていたテスカは立ち上がって、魔王に礼を取った。
私も立ち上がって彼に駆け寄った。
「どうしたの?早いじゃない」
「仕事が終った頃だと思ってな。迎えに来た」
「え?もうそんな時間?」
「いや、まだ少し時間はある」
「じゃあ、着替えてくるから、少し待ってて。テスカと話でもしててよ」
市内の美食特区にウルクの弟子の一人が、新しく店をオープンしたので、以前から私たちを招待したいと云ってくれていて、今日は貸し切りデートってことになったのだ。
この日のために、自分でデザインしたドレスを新調したのよね。
もちろん、ジュスターのスキルでじゃなくて、お気に入りのブランドの店で。
思いきりおしゃれをして、出かけるつもり。
他愛もない話をして、笑いあって、普通のカップルにみたいに楽しく過ごすんだ。
この先、永遠の時間があるとしても、この一瞬一瞬を大切に生きようと思う。
それが永遠の幸福を得るための秘訣だと思うから。
たぶんこれで本当に完結です。
主要キャラのその後も描けたかなと。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




