第37ページ 幸せそうな人たち
「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」
誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。
人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。
ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。
そんな“生きづらさ”を、
「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。
この物語は、
“普通”になれなかった人たちの物語です。
誰にも言えない孤独。
理解されない苦しさ。
消えたいわけじゃないのに、
この世界にうまく馴染めない感覚。
主人公・朝比奈凛は、
そんな痛みを抱えながら生きています。
けれど、
生きづらさには、理由があります。
そして、
名前のつかない痛みにも、
いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。
この物語が、
今苦しんでいる誰かの心に、
小さな灯りとして残りますように。
その夜、凛はなかなか眠れなかった。
真白の言葉が、ずっと頭の中に残っている。
――“普通”じゃなくて、“凛ちゃんが生きやすい形”探せばいい。
その言葉は優しかった。
でも同時に、怖かった。
“普通”を諦めるみたいで。
凛はベッドの中でスマートフォンを開く。
SNSのタイムラインが流れていく。
『内定決まった!』
『彼氏と旅行中』
『毎日充実しすぎ』
『夢だった会社受かった』
笑顔の写真。
楽しそうな動画。
未来へ進んでいく人たち。
その光景を見た瞬間、凛の胸がじわりと重くなる。
みんな、ちゃんと生きている。
未来へ向かっている。
それなのに、自分は。
大学へ行くだけで精一杯の日がある。
働く未来を想像すると怖くなる。
何もできず、一日が終わる日もある。
「……なんでこんな違うんだろ」
小さく呟く。
わかっている。
SNSは“幸せな部分”だけ切り取られている。
真白も言っていた。
七海も笑いながら苦しんでいた。
でも。
それでも眩しかった。
凛は画面をスクロールする。
大学の知り合いが、就活イベントの写真を上げていた。
『将来が楽しみ!』
その文字を見た瞬間、凛の胸がぎゅっと締めつけられる。
自分には、“楽しみ”なんて感情がなかった。
未来は怖いものだった。
壊れそうになる場所だった。
凛はスマートフォンを伏せる。
呼吸が少し苦しい。
比べたくないのに、比べてしまう。
普通にできる人。
ちゃんと前へ進める人。
明るく生きられる人。
その全部が、自分とは別世界の人間に見えた。
スマートフォンが震える。
灯だった。
『起きてる?』
『うん』
すぐ返信する。
『今SNS見て死んでる』
送ると、数秒後に返事が来た。
『あー』
『毒』
凛は少しだけ笑ってしまう。
『でも見ちゃう』
『わかる』
短いやり取り。
でも、その“わかる”が胸へ染みる。
『みんな幸せそう』
凛が送る。
少し間が空く。
それから灯から返ってきた。
『幸せそうな人ほど、死にそうな時あるよ』
凛は目を瞬かせる。
『え?』
『私、前めちゃくちゃ明るい投稿してた時、一番しんどかった』
その言葉に、凛は静かに息を止める。
灯のアカウントを思い出す。
写真。
空。
音楽。
綺麗な言葉。
どこか儚いけれど、感性豊かで自由に見えた。
『なんで?』
凛が聞くと、灯は少し時間を空けて返した。
『誰にも気づかれたくなかったから』
その言葉が、胸へ重く落ちる。
『“大丈夫そう”に見せたかった』
凛はスマートフォンを見つめたまま動けなかった。
それは凛も同じだった。
笑って。
普通にして。
平気なふりをして。
“ちゃんとして見える自分”を必死に作っていた。
『人ってさ』
灯から続けてメッセージが届く。
『苦しい時ほど、“幸せそうな顔”することある』
凛は静かに目を伏せる。
七海の笑顔も浮かぶ。
いつも明るくて、誰とでも話せて。
でも本当は、人に嫌われることをずっと怖がっていた。
『じゃあ、本当に幸せな人なんていないのかな』
凛が送る。
すると灯は少し長く既読のままだった。
やがて返ってきた。
『いると思う』
『でも、“苦しくない人”はいない気がする』
凛はその言葉を何度も読み返した。
苦しくない人はいない。
今まで凛は、自分だけがおかしいと思っていた。
自分だけが弱いと思っていた。
でも。
みんな何かを抱えながら生きている。
その苦しさが見えないだけで。
『凛ちゃんさ』
灯からまたメッセージが届く。
『最近ちょっと変わったよね』
凛は少し驚く。
『そうかな』
『前より、“苦しい”って言えるようになった』
その言葉に、凛の胸が小さく揺れる。
確かに。
前なら全部、「大丈夫」で隠していた。
でも最近は違う。
苦しい。
無理。
怖い。
そういう感情を、少しずつ外へ出し始めている。
『でもまだ比べちゃう』
凛は正直に送る。
『普通に生きてる人見ると、自分だけ駄目に見える』
灯は少し時間を空けて返した。
『凛ちゃん、“普通”をゴールにしすぎなんだと思う』
その言葉に、凛はハッとする。
普通。
ずっと追いかけてきた。
普通になれば、苦しくなくなると思っていた。
でも実際は。
普通を演じるほど、壊れそうになっていた。
『私さ』
灯から続く。
『昔、“普通の人生”欲しくて死にそうだった』
凛は静かに読む。
『友達たくさんいて』
『恋愛して』
『働いて』
『ちゃんとした大人になるやつ』
でも。
灯にはそれが苦しかった。
『だから最近は、“生き延びる”でいいって思うようにしてる』
凛はその文章を見つめた。
生き延びる。
それはどこか、弱い言葉みたいに感じていた。
でも。
今の凛には、その言葉の重さが少しわかる。
壊れないこと。
今日を終えること。
呼吸を続けること。
それだけで精一杯の日もある。
『……私、まだ“普通”羨ましい』
凛が送る。
すると灯はすぐ返した。
『そりゃそう』
『私も今でも羨ましい』
その返答に、凛は少しだけ安心した。
完全に吹っ切れるわけじゃない。
普通への憧れが消えるわけじゃない。
それでも。
無理して壊れるくらいなら。
“自分が生きやすい形”を探してもいいのかもしれない。
窓の外では、夜の街が静かに光っていた。
凛はスマートフォンを胸へ抱える。
幸せそうな人たち。
その笑顔の裏にあるものを、凛は少しずつ知り始めている。
だからこそ。
“普通に見えない自分”だけが、駄目なわけじゃないと思いたかった。
『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
この作品は、
「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。
世の中には、
頑張っても周囲に馴染めなかったり、
人より敏感に傷ついてしまったり、
誰かの期待に応えようとして、
自分を見失ってしまう人がいます。
けれど、
それは決して“弱さ”ではありません。
誰にも見えない場所で、
必死に息をして、
壊れそうになりながら今日を生きている。
それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。
凛が少しずつ、
自分の痛みに向き合い、
「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、
この物語が、
誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。
あなたの苦しさには、
ちゃんと理由があります。
そして、
その痛みを抱えたままでも、
人は誰かと出会い、
少しずつ生きていけるのだと、
この作品を通して伝えられていたら幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




