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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第35ページ  未来が怖い


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。


 十月の空は高かった。


 雲が薄く伸び、秋特有の乾いた風がキャンパスを抜けていく。


 凛は大学の廊下をゆっくり歩いていた。


 今日は比較的、身体が軽い。


 もちろん不安はある。


 人混みはまだ疲れるし、教室へ入る瞬間は今でも緊張する。


 でも最近は、“苦しくなる前に休む”ことを少しだけ覚え始めていた。


 無理をしすぎない。


 壊れるまで頑張らない。


 それは凛にとって、まだ慣れない生き方だった。


 その時、廊下の掲示板に貼られた紙が目に入る。


『三年生向け就職ガイダンス開催』


 凛の足が止まった。


 就職。


 その文字を見た瞬間、胸の奥が急に冷たくなる。


 周囲では同級生たちが普通に話している。


「インターンどうする?」


「ESもう出した?」


「やばい、何もやってない」


 その会話を聞くだけで、凛は息苦しくなった。


 みんな、未来へ進んでいる。


 就職して。

 働いて。

 大人になっていく。


 その流れに、自分だけ置いていかれる気がした。


「凛ちゃん?」


 振り返ると七海がいた。


「あ、おはよ」


「……おはよう」


 七海は掲示板を見る。


「あー、就活かあ」


 その声は少し疲れていた。


「もう無理」


 そう言って笑う。


 でもその笑顔の奥に、本当の不安があることを、今の凛は知っていた。


「凛ちゃん、行く?」


 ガイダンスのことだ。


 凛はすぐ答えられなかった。


 行かなきゃ。


 そう思う。


 でも怖かった。


 “社会”という言葉が、今の凛には重すぎた。


「……わかんない」


 小さく答える。


 七海は少しだけ黙ったあと、苦笑した。


「私も」


 二人で廊下を歩きながら、凛はぼんやり考える。


 未来。


 その言葉が怖い。


 働くこと。

 社会へ出ること。

 “普通の大人”になること。


 自分にはできる気がしなかった。


 授業を受けるだけでも精一杯の日がある。


 アルバイトですら、毎回神経を削る。


 そんな自分が、“社会人”になれるのだろうか。


 ガイダンス会場の前には、すでにたくさんの学生が集まっていた。


 スーツ姿の人もいる。


 リクルートバッグを持った人もいる。


 その光景を見た瞬間、凛の呼吸が浅くなる。


「……っ」


 心臓がうるさい。


 怖い。


 凛は立ち止まった。


 七海が振り返る。


「凛ちゃん?」


「……ごめん」


 凛は俯く。


「ちょっと無理かも」


 まただ。


 また普通にできない。


 その感覚が胸を締めつける。


 でも。


 今の凛は、以前ほど“無理して入ろう”とは思わなかった。


 本当に苦しい時、無理をすると壊れる。


 それを知り始めているから。


「外いる?」


 七海が静かに聞く。


 凛は小さく頷いた。


「うん」


「じゃあ私もやめよっかな」


「え?」


 凛は驚いて顔を上げる。


「いや、別にそこまで興味ないし」


 七海は笑う。


「それに、凛ちゃん今一人の方がしんどそう」


 その言葉に、凛の胸が少し熱くなる。


「……ごめん」


「だから謝るなって」


 七海は軽く肩を叩いた。


 二人は会場から少し離れたベンチへ座る。


 秋の風が静かに吹いていた。


 周囲では学生たちが次々と会場へ入っていく。


 その背中を見ながら、凛はぽつりと呟く。


「みんなすごいね」


 七海は少し苦笑した。


「みんな不安だと思うよ」


「でも進んでる」


「進まなきゃだからじゃない?」


 その言葉が胸へ刺さる。


 進まなきゃ。


 社会は待ってくれない。


 止まっている人間を置いていく。


 凛は膝の上で手を握りしめた。


「……怖い」


 自然に言葉が漏れる。


「働くの」


 七海は黙って聞いていた。


「今ですらこんななのに」


 大学。

 バイト。

 人間関係。


 それだけで限界になる日がある。


 そんな自分が、毎日働けるのだろうか。


「私、多分普通に働けない」


 その言葉を口にした瞬間、涙が出そうになった。


 “普通に働けない”。


 それは凛にとって、とても怖い言葉だった。


 社会から外れる気がするから。


 価値がなくなる気がするから。


 七海はしばらく空を見上げていた。


 それから静かに言う。


「……でもさ」


「?」


「普通に働いてる人って、そんなに“普通”かな」


 凛は目を瞬かせる。


 七海は苦笑した。


「うちの姉、社会人だけど毎日死にそうな顔してるよ」


 その言葉に、凛は少しだけ笑ってしまう。


「朝吐きながら会社行ってる日もあるし」


 七海は続ける。


「なんか、“働いてる=ちゃんとしてる”って思わされるけど」


 少し言葉を探すように黙る。


「壊れながら働いてる人、結構いる気がする」


 凛は静かに目を伏せた。


 真白もそうだった。


 壊れるまで働いて。


 助けを求められなくて。


 限界になった。


 社会には、“頑張り続けること”を美徳にする空気がある。


 でも。


 その中で苦しんでいる人は、たくさんいるのかもしれない。


「……私」


 凛は小さく呟く。


「昔は、“社会に出れば変われる”って思ってた」


 美咲も言っていた。


 高校へ行けば。

 大学へ行けば。

 社会へ出れば。


 きっと普通になれると。


「でも最近、“このまま壊れるだけかも”って怖くなる」


 その声は震えていた。


 七海は静かに聞いている。


「凛ちゃん」


 少しして、七海がぽつりと言った。


「“普通に働く”より、“壊れないで生きる”方が大事じゃない?」


 その瞬間、凛の胸が大きく揺れる。


 壊れないで生きる。


 真白も同じことを言っていた。


 今の凛には、“頑張り続ける未来”より、“壊れずに生きられる未来”の方が、ずっと遠く感じる。


 でも。


 本当に欲しかったのは、そっちなのかもしれなかった。


 秋風が静かに吹く。


 ガイダンス会場からは拍手が聞こえてきた。


 未来へ進む人たちの音。


 凛はその音を聞きながら、小さく息を吐く。


 怖い。


 未来が怖い。


 でも。


 “普通になれない自分”を殺しながら進む未来だけは、もう選びたくなかった。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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