44話 拠点
作業の合間に、私は昨日のことを口にした。
「教えてもらった家、見てきました」
星さんは手を止めずに答える。
「そうですか」
それだけだった。
特に驚いた様子もない。想定の範囲内という反応だった。
「中も、少しだけ」
続けると、星さんは一度だけこちらを見る。
「どうでした」
「使おうと思えば、使えそうでした」
事実だけをそのまま伝える。
星さんは短く頷く。
「そうでしょうね」
それ以上は深く聞いてこない。
しばらく沈黙が続く。
私は少しだけ間を置いてから言った。
「持ち主って、分かりますか」
その問いに、星さんの手がわずかに止まる。
完全にではない。動きの流れが一瞬だけ変わる程度だった。
「今は、直接住んでいる人はいません」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「知り合いが、管理だけしています」
やはり、何も知らないわけではなかった。
私は黙って次を待つ。
「すぐに使えるかどうかは、話を通さないと分かりませんが」
そこで一度、こちらを見る。
「聞くだけならできます」
押しつける言い方ではなかった。
「お願いします」
自然に言葉が出た。
星さんは小さく頷き、それ以上は何も言わなかった。
その日は、いつも通り作業を終えた。
話は進んでいるが、まだ決まったわけではない。
期待を大きく持ちすぎないように、意識して抑える。
数日後、作業に入る前に星さんが言った。
「この前の家のことですが」
私は手を止める。
「話は通しました」
短い報告だった。
「今は管理している人が見ているだけで、住む人はいません」
予想していた内容だった。
「条件付きですが、使ってもいいそうです」
その一言で、空気が少し変わる。
「月に少しだけ、家賃を入れてもらえればいいと」
具体的な額は言わなかったが、負担にならない範囲だと分かる言い方だった。
「問題ないです」
短く答える。
星さんは頷く。
「正式な契約という形ではありません。あくまで口約束に近いものです」
現実的な線引きだった。
「それでも構わないなら、使ってください」
「お願いします」
深く頭を下げる。
ようやく、形になった。
完全ではないが、拠点として使える場所ができた。
その日の作業は、いつもと同じだった。
だが、手の動きの感覚が少し違う。
終わったあと、私はそのまま山の方へ向かった。
何度か通った道だが、今日は意味が違う。
ただ見るためではなく、使うために向かう。
家に着く。
戸の前に立ち、少しだけ間を置く。
それから、開ける。
中の空気は変わっていない。
だが、自分の立ち位置だけが変わっていた。
まずは、簡単に掃除から始める。
埃を払い、床を確認する。
使える場所と、手を入れる必要がある場所を見ていく。
時間はかかるが、どうにかなる範囲だった。
夕方になる頃には、最低限座れる場所は整った。
外に出る。
外の空気は静かだった。
人の気配はほとんどない。
ここが、拠点になる。
そう考えても、違和感はなかった。
翌日からは、ここから通う。
星さんのところへ行き、作業を覚える。
そして、戻る。
単純な繰り返しになるはずだった。
だが、その繰り返しが、今の自分には必要だった。
私はもう一度中に入り、戸を閉める。
新しい生活が、静かに始まった




