30話 海の向こう
次の日、主人公はフェリー乗り場に来ていた。
港には、排気ガスのような匂いと潮の匂いが混ざって漂っている。
トラックのエンジン音と、作業員の怒鳴り声がどこか現実感のない風景だった。
目的は、仙台。
そこからさらに移動し、福島市を目指すつもりだ。
子供の頃に亡くなった祖父の出身地。
理由なんて、それくらいしかなかった。
逃げる場所としては、十分だった。
カバンの中には現金約100万。
財布の中には、それしか入っていない。
通帳も、カードもない。
社会と繋がるものは、何ひとつ持っていなかった。
それでもいいと思った。
いや、そうするしかなかった。
名前も、過去も、全部置いてきた。
あの場所には、もう戻れない。
北大路の顔が、ふと浮かぶ。
考えるな。頭を振って、無理やり追い出す。
思い出したところで、どうにもならない。
裏切ったのは、自分だ。
呼び出しのアナウンスが流れる。
「……」
無言のまま列に並ぶ。
周りには、仕事で移動する人間や、観光客らしき姿もあった。
誰も、自分のことなんて見ていない。
それが、妙に楽だった。
同時に、少しだけ怖かった。
完全に、一人だ。
足元の地面を見つめる。
このまま進めば、本当に何もかも終わる気がした。
それでも、引き返す理由はなかった。
いや、引き返す勇気がなかった。
乗船口をくぐる。
鉄の階段を上がるたび、現実から切り離されていくような感覚。
振り返ることは、しなかった。
甲板に出る。
風が強い。
髪が乱れるのも構わず、手すりに寄りかかる。
ゆっくりと、船が動き出す。
岸が、離れていく。
見慣れたはずの景色が、少しずつ小さくなっていく。
全部、終わった。
そう思った。
胸の奥が、空っぽになる。
達成感でも、解放感でもない。
ただ、何もない。
結局、何も残らなかった。
金も、居場所も、信頼も。
全部、自分で壊した。
それでも生きている。
海を見つめる。
どこまでも続く、暗い水面。
底なんて見えない。
まるで、自分みたいだと思った。
行き先も、答えもない。
ただ、流されるだけ。
「福島、か」
小さく呟く。
そこに何があるのかは、わからない。
でも行くしかない。
他に、選択肢はなかった。
船は、静かに進み続ける。
過去を切り離すように。
逃げ場のない未来へ、向かうように。
次回から東北編スタートします!




