26話 道の終わり
翌朝。
いつもと同じ時間に畑に出たはずなのに、空気がどこか重かった。
風はある。
音もある。
それなのに、やけに静かに感じる。
「水、見てくるわ」
「あ、はい」
北大路さんはいつも通りだった。
昨日のことを、特に引きずっている様子はない。
それが逆に、少しだけ怖かった。
あぜ道を歩きながら、水の具合を確認する。
異常はない。
苗も順調だ。
全部、問題ない。
はずなのに......
(昨日の、あれ)
頭から離れない。
“後日、署に来てください”
たったそれだけの言葉。
だが、あの場の空気は違った。
ただの確認じゃない。
探られている。
そういう感覚が、ずっと残っている。
作業を終えて軽トラに戻ると、北大路さんが缶コーヒーを飲んでいた。
「おう、どうだ」
「問題なさそうです」
「ならいい」
短いやり取り。
少しだけ間が空く。
「……昨日の、気にしてます?」
思い切って聞く。
「ん?」
「警察のやつ」
北大路さんは一瞬だけ考えて、
「別に」
とだけ言った。
「やましいことなんてなんもしてねぇ」
「そうですね......」
正論だ。
だが、今回の問題はそこじゃない。
(俺が、だめなんだよな)
身分証がない。
素性も曖昧。
それだけで、引っかかる理由には十分すぎる。
「まぁ来いって言うなら行きゃいいだろ」
北大路さんは軽く言う。
「それで終わりだ」
本気でそう思っている顔だった。
違う。
そう簡単に終わる話じゃない。
そのとき。
遠くの道を、一台の軽トラが通り過ぎた。
農協の車だ。
ちらりとこちらを見る。
ほんの一瞬。
だが、確実に視線が合った。
(見てる......)
昨日だけじゃない。
その前から。
ずっと。
点と点が、繋がる。
農協。
送金。
職員。
警察。
「北大路さん」
「ん?」
「もしですけど」
言葉を選ぶ。
「もし、面倒なことになったら……」
「ならねぇよ」
食い気味に返された。
「大げさだな、お前」
「……」
それ以上は言えなかった。
この人は、“普通”の中で生きてきた。
だから、今の違和感に気づかない。
いや、気づいていても、見ないようにしているのかもしれない。
どちらにせよ。
(このままだと、まずい)
はっきりと、そう思った。
ゆっくりと、状況が固まっていく。
まだ逃げろと言われたわけじゃない。
まだ捕まるわけでもない。
それでも......
“その時”が近づいている。
そんな確信だけが、残った。
風が吹く。
田んぼが揺れる。
変わらない景色の中で、自分だけが、少しずつ追い詰められていた。




