24話 崩壊の音
田植えが終わってから、数週間が経った。
朝は変わらず早い。
田んぼに水を入れて、減り具合を見て回る。
用水の流れを調整して、稲の様子を確認する。
「水、ちょっと多いな」
「抜いときます」
あぜ道を歩きながら、水門を少しだけ開く。
じわりと水位が下がっていく。
単純な作業だが、気が抜けない。
放っておけばすぐにバランスが崩れる。
それでも......
(悪くないな)
ふと、そう思う。
風が吹いて、苗が揺れる。
あの小さかった苗は、もうしっかりと根付いていた。
昼前。
一通りの見回りを終えて、軽トラに戻る。
ポケットからスマホを取り出す。
(どうなってる)
画面を開く。
表示された数字を見て、思わず息が止まった。
「よかった」
小さく呟く。
投資した銘柄、ドイツランド。
その評価額が、明らかに増えていた。
ゆっくりと、もう一度確認する。
見間違いじゃない。
確実に、増えている。
「どうした?」
北大路さんが覗き込む。
「増えてます」
「どれくらいだ」
「まだ大した額じゃないですけど……確実に上がってます」
「ははっ、ほんとかよ」
笑いながらも、目が少しだけ真剣になる。
「な?」
画面を見せると、北大路さんは一瞬だけ黙った。
「へぇ」
短く、そう言う。
それ以上は何も言わない。
だが、口元がわずかに緩んでいた。
「まぁ、まだこれからですよ」
「ああ」
それだけで、十分だった。
軽トラの荷台に腰を下ろす。
風が抜ける。
空は高く、雲がゆっくり流れていた。
「悪くねぇな、こういうの」
「ですね」
北大路さんがぽつりと呟く。
「働いて、飯食って、たまに金も増えて」
「普通ですね」
「それが一番なんだよ」
そう言って、缶コーヒーを開ける。
プシュッと軽い音がした。
その何気ない時間が、妙に心地よかった。
(このままいければ……)
そんな考えが、ふと頭をよぎる。
だが、そのとき。
遠くから、車の音が聞こえた。
ゆっくりと近づいてくる。
見慣れない白い車。
砂埃を上げながら、あぜ道の手前で止まった。
「なんだ?」
北大路さんが眉をひそめる。
ドアが開く。
降りてきたのは、二人の男。
制服。
帽子。
一目で分かった。
「警察……?」
思わず、声が漏れる。
心臓が、ドクンと鳴った。
男たちは周囲を見渡し、こちらに視線を向ける。
そしてまっすぐ、歩いてきた。
「すみません」
先頭の男が口を開く。
「少し、お話よろしいですか」
その言葉が、やけに重く響いた。
風は、さっきと変わらず吹いている。
空も、同じように青い。
それなのに......
さっきまでの“普通”が、音を立てて崩れ始めていた。




