17話 ドイツランド
朝の空気はまだ少し冷たく、ハウスの中にはうっすらと湿気がこもっていた。
トレーに並んだ苗に水をやりながら、俺はぼんやりと手を動かす。
あの配当の数字が、頭から離れなかった。
当たったはずなのに、どこかがおかしい。
未来を知っているはずの自分が、ほんのわずかにズレている。
「おい、手止まってるぞ」
北大路さんの声で我に返る。
「すみません」
「昨日の余韻か?まぁ気持ちはわかるけどな」
北大路さんは上機嫌だった。
当然だ。あれだけの当たりを引いたのだから。
(このままじゃダメだな)
未来が完全じゃないなら、早めに動くしかない。
ズレる前に、掴めるものは掴む。
そのとき、外で車の音が止まった。
「ん?」
「おはようございますー!北大路さんいますか!」
振り返ると、作業着の男が手を振っている。
「おう、来たか」
「どうもっす。ちょっと新しい機材の件で」
営業マンらしい軽さ。
慣れた様子で中に入ってくる。
「こいつは最近手伝ってるやつだ」
「どうも」
「はじめまして」
軽く挨拶を交わすと、男はすぐ本題に入った。
「今日ちょっと面白いもん持ってきてるんですよ」
「面白いもん?」
「外、いいですか?」
ハウスを出ると、軽トラの荷台に黒い機体が積まれていた。
プロペラが折りたたまれた、見慣れない形。
「……これ、ドローンですか」
思わず口に出る。
「そうです。農薬散布用のやつなんですけど」
営業マンは嬉しそうに機体を叩く。
「これ一台で、人が何時間もかける作業が一気に終わるんですよ」
北大路さんは腕を組む。
「そんなもんでちゃんと撒けるのか?」
「むしろ均一っすよ。ムラも減りますし」
説明が続く。
だが、その言葉は半分しか耳に入っていなかった。
(来たな)
目の前の機体を見つめる。
未来の光景が、はっきりと蘇る。
空を飛ぶ複数の機体。
人が立ち入らずに管理される田んぼ。
効率化された農業。
そして......
"ドイツランド"
その中心にいた企業だ。
最初は誰も相手にしていなかった。
だが数年後、一気に業界を塗り替えた。
「どこのメーカーなんですか?」
自然を装って聞く。
「ああ、これです」
営業マンが機体のロゴを指差す。
その瞬間、確信する。
(やっぱりだ)
ドイツランド。
間違いない。
だが......
(……ん?)
わずかな違和感。
ロゴの配置が、記憶と少し違う。
ほんの些細なズレ。
だが、それが引っかかる。
「これ、もう使ってる農家いるんですか?」
「いや、ほとんどいないっすね。正直いらんだろって言われることの方が多いです」
営業マンは苦笑する。
「まぁでも、これから来ますよ。間違いなく」
その言葉に、思わず心が揺れる。
未来では、来た。
確実に。
だが今はまだ分からない。
「会社的にも力入れてるんですか?」
「ですね。これ当たるかどうかで、結構変わると思います」
軽い口調。
だが、その一言がやけに重く響く。
競馬の結果が頭をよぎる。
当たったはずなのに、ズレていた。
なら、これも......
「面白いですね」
気づけばそう言っていた。
営業マンが笑う。
「でしょ?まぁまだ高いんで、様子見の人が多いですけどね」
北大路さんが鼻を鳴らす。
「俺にはまだ早ぇな」
「そのうち変わりますよ」
軽い会話が続く。
だが俺の中では、別の計算が回り続けていた。
未来は、完全じゃない。
だが消えたわけでもない。
(……だったら)
視線を機体に落とす。
この選択が正しいかどうかは分からない。
それでも――
何もしないよりは、いい。
俺は小さく息を吐いた。
そして、北大路さんの方を見る。
この話を、どう切り出すか。
そのタイミングを測りながら、俺はもう一度ドローンに視線を戻した。




