諦めるなら今しかない
「なあ、戦う前に聞いておきたいんだけどさ。お前の本当の名前って何ていうんだ?」
アジ・ダ・ハークはあくまで三人いるというこいつらの総称のことを言うんだろう。であれば、本来の名前があるはずだ。俺はそれが気になった。
見た目と言葉から日本人だろうということは予想できるが、あとは眼鏡をかけたいけ好かないやつという印象しかない。名前をしれば、少しはその印象が払拭できると思うのだが、果たして教えてくれるかどうか。
数秒考えてアジ・ダ・ハークは答えた。
「白伊。白に伊藤の伊と書いて白伊だ。苗字はない」
「白伊……なんだ、話が通じるやつだったんだな」
俺のその言葉に思うことがあったのか、白伊の眉が上がる。
そして、その言葉を訂正するべくもう一度言葉を使う。
「彼らは僕らを名前では呼ばないからね。そうやって僕たちを一個人として見てくれるというのであれば、たとえ敵でも名前くらいは教えるさ」
「敵認定は変わらないんだな……」
「もちろん。君は世界の定常を望み。僕たちは世界の変革を望む。そこに相容れる要素は微塵としてない。そうだろう?」
世界の変革。はて、こいつらは世界を壊すのではなかっただろうか。あるいは、白伊だけがそうでないということなのか?
追求したいことが増えたが、これ以上の言葉には応じないと構えられてしまう。
そうなればもう、俺も戦う準備をしなければならない。ろくに喧嘩もしたことがないため、テレビで見た構えを見様見真似でしてみるが、どうも格好がつかない。
そして、何の合図もなく白伊が地面を駆ける。これまでとは違い、一瞬で懐に入ってくるようなものではない。早いがまだ目で追えるものだ。
しかし、これが本来の戦い方だと言うように、今まで目の前で捉えていた白伊が消える。
また瞬きの間を狙われたのか。いいや違う。何か妙な感覚があったのだ。けれど、それを把握するには白伊は早すぎた。
「心穿」
重い衝撃で俺の体が飛ぶ。
気がついたときには心臓が弾けていた。息苦しさを感じつつ、どのような攻撃を受けたのかを必死に見て取る。白伊は手のひらをかざすような格好で立っていた。それも一瞬のことで俺の足が地面に着くよりも早くに俺に追いつき、俺の頭に手のひらをかざす。
流石に頭を狙われたらまずいと思い両手で守ろうとするが、腕が上がらない。おそらく、心臓が弾けたことにより全身に血が巡っていないため、両手を動かすことが出来なかったのだ。
意識は途切れていないためきっと心臓は回復している。けれど、体を動かせるほど血液の循環は回復していなかったらしい。
頭が吹き飛ぶという間際、白伊が後方に大きくジャンプした。
すると、先程まで白伊が立っていた場所の空気が弾け、地面がえぐれる。これは望月養護教諭の援護だ。
「……もう対応してくるなんて」
「がはっ……助かりました、先生」
「いいわ。本来だったらさっきので終わっているはずだったもの」
俺を囮にして白伊を戦闘不能にしようとしていたらしい。しかし、それは失敗したという。
なんと白伊は見るのは二度目だと思われる攻撃を避けてみせた。そして、一度避けられたということは、次からはタイミングを計らなければ当てることは相当難しいという証明になる。
涼しい顔で立っている白伊がこれは忠告だというふうに望月養護教諭に話しかける。
「望月養護教諭。あなたの《世界矛盾》は確かに脅威だ。だが、その能力はおそらく人間には無効のもので、さらにはあなたはこの場で大きな攻撃はできない。なぜなら――」
一息。
「あなたはその能力を十全に操ることが出来ないからだ。まあ実際、自分の持つ《世界矛盾》を十全に操れる者など世界に三十人といないから仕方ないだろうけれど、あなたは特別だ。これは推測だが、あなたの《世界矛盾》は簡単に世界を滅ぼすことができるんじゃないかな?」
ゾクリと。背中に冷たい汗が滴る。
《世界矛盾》とは世界のバグを能力にしたものである。だから、強力であって然るべきだ。だが、それが世界を簡単に壊せる能力だとすればどうだろう。
しかも、その力を自分のものに出来ていなければ……?
俺は望月養護教諭の方を見る。すると、望月養護教諭はニコリと笑って、困ったように頬を掻いた。
「困ったわね。全部正解よ……」
「じゃ、じゃあ……」
コクリと頷いて、望月養護教諭は小声で俺だけに言う。
「ええ。彼の言う通り私の《世界矛盾》は世界を簡単に破壊できてしまう。それに私はその出力を調節するために集中しているから身動き出来ないのよね。彼らの援護射撃が私の集中を乱すようにさっきから見えないはずの私たちをめちゃくちゃ狙い撃ってきていて、それを撃ち落とすのにも集中を割いてるのよ」
このカミングアウトは正直痛い。
それに加えて、アジ・ダ・ハークの援護射撃を行っているやつの精度に驚嘆する。
望月養護教諭の《世界矛盾》を一言で表せば万能という言葉に尽きる。本気を出せば世界を壊せるというだけでなく、陸海空と場所を選ばない究極の能力らしい。
だが、その能力を十全に扱えない望月養護教諭が言うには、現在能力によって援護射撃をやめさせるために視界をジャックしているらしい。だというのに、アジ・ダ・ハークの援護射撃は変わらぬ精度で俺たちを狙い続けているようで、それを能力によって撃ち落としているのだとか。
さらに、白伊のスキを狙って攻撃をしているようだ。
見るからに無理をしている。戦闘中は気が付かなかったが、望月養護教諭の額には汗が流れ出していた。
それを悟られないようにしているようだが、俺にバレたということは白伊には筒抜けなのだろう。これ以上無理をさせられないと判断した俺は言う。
「先生はアジ・ダ・ハークの援護射撃をどうにかしてください。白伊は……俺一人でどうにかします」
「無茶よ。だって、今のあなたは――」
「まあ、弱いのは重々承知してますけど。先生は知らないかもしれないですけどね。俺、ただの高校生だったんですよ?」
それが何の因果か今はこんな場所でよくわからない戦いをさせられているわけで。
正直うんざりだと思っている。俺はただ平凡な日常で生きていたいだけなのにと、どれほど考えたかわからない。だから、世界のことは颯人に任せた。その代わりに、俺が救える範囲で人々を救ってみせると言った。
だからかもしれない。俺がこうして今、一生懸命になっているのは。
「でも仕方ないですよね。麻里奈は俺の大切な幼馴染で。実と穂は颯人に守ってやれって脅されてるし。アジ・ダ・ハークとかいうやつらは俺にお門違いな戦いを申し込んでくるし。俺はただの高校生だって言うのに、世界はそれを理解してくれやしない」
俺はただの高校生だった。強気な雷神に殺されて、変な死神に力を与えられて、よもやここまでの自体になっている。
アジ・ダ・ハークは敵で、俺の大切な人を傷つけたやつらで。でも俺には奴らを倒すだけの力がなくて。
めちゃくちゃだ。俺の人生は一体どこで間違えたのだろう。
左目に手を当てて、左目に収められている《終末論》を起動させる。すると、左目から黄金の炎が上がる。
それがどういうことなのかを理解している白伊は一層警戒するように構えた。けれど、俺の目的は能力の発現ではなかった。
今もなお心配したような顔で俺を見て、辛そうにしている望月養護教諭に右手を差し出す。そして、俺は半ば諦めたような目で訴える。
「だからこれは仕方ないんです。俺にしか出来ないなら、俺がやるしか無い。先生……先生の《世界矛盾》をもらってもいいですか?」
「まさか……」
望月養護教諭の《世界矛盾》は世界を壊せるという。
そして俺には幾重にも破壊しつくされた世界の記憶が奇しくも存在する。望月養護教諭が黒崎颯人に監視されているのはおそらく颯人のたどってきた世界の一つに望月養護教諭が原因となる終末があったのだろう。
終末を能力として発現するにはキーワードとなるものとイメージが必要だ。イメージは頭の中に入っている。足りなかったものはキーワードだけだ。
そして、キーワードを持っていると思われる望月養護教諭は今、目の前にいる。すべての条件は揃っているのだ。
加えて、俺は微笑みながら言った。
「俺には、どれほどの代償を払っても守らなくちゃいけない人がいる。そいつのためなら、俺は命だって差し出せるんですよ」
だから、麻里奈を傷つけたやつを倒せる力を俺にください。





