人間の極地
望月養護教諭が生きていたことにより、形勢逆転とまではいかないものの大差のない状況にまでは落とし込むことが出来た。したがって、俺は麻里奈を救い出すことに考えを運ぶ。
アジ・ダ・ハークと名乗る者たちは三人いるようだ。目の前に一人、遠距離支援に一人、あと一人はおそらく麻里奈を監視しているか別の何かをしているのだろう。
麻里奈を監視しているのであれば倒すことができれば俺たちの目的の一つが完了する。もしも、別の何かをしていればそれを止めるなりすることでアジ・ダ・ハークにとって不利益なことになるかもしれない。
どちらに転んでも利益はある。そうして、俺にはそれができるやつが側にいる。
守られるだけの双子ではない。黒崎の名を持つ実と穂は颯人が認めるだけの力を持っているに違いない。何よりも、俺を完封できるだけの力は見せられた。
だから、俺は二人に任せようと思ったんだ。
「行け。俺たちなら大丈夫だ」
「……わかったよ、せんぱい。ただし、負けたりしたら許さないからね!」
「わかったよ。さっさと行け」
「行くよ、穂」
「はいなのですよ~」
言うなり二人は一気に駆けていく。それに追撃しなかったアジ・ダ・ハークの一人である青年は俺たちを警戒していたからできなかったのだろうか。あるいは……。
いろいろな考えが巡るが、どれもこれも有り得そうで考えがまとまらない。
そもそも自分は考えて行動するような人間ではなかったと思い出すと、苦笑いしながら本人に直接聞くことにした。
「追わなくてよかったのか?」
「追おうとしたところで邪魔するだろう? それにただでさえ二対一だからね。君たちを早めに片付けられれば追いかけることもできるっていう話さ」
どこまでが本気なのだろう。いいや、きっと全部が本気なんだろうな。
アジ・ダ・ハークを名乗る青年は眼鏡を押し上げて悠然とそう語るのだ。まるで俺たちを一人でどうにかできると言いたげに。なおかつ、麻里奈を探しに行った双子に追いつけると確信めいたように。
そして、その言葉には重みがある。どうしてかはわからないが、アジ・ダ・ハークの言葉の一つ一つに対する本気の度合いがまるで違うんだ。やつがそう言えば、それがそうなってしまうような、そうしてしまうような気がしてならない。
一瞬、それがやつの能力なのかと思ったが、それもまた違う気がする。
本当に嫌になるが、俺が戦ってきたやつの能力はみんな一線を画したものだった。それに比べてやつの攻撃にはソレらしさがない。
故に、俺は一つの可能性にたどり着く。
そうして、震える口でその結論を口にするのだ。
「お前……人間なのか?」
「その言葉を真の意味で扱っているのであれば、答えはイエスだ。僕は君とは違う。純粋な人間だ」
純粋な人間。それはあるいは俺が捨ててしまった称号でもある。
間違いない。やつは人間だった。殺せば死ぬ。限界の壁を常に感じながら努力を続ける。そんなどこにでもいるはずの人間だ。
俺は超常の能力を持たない人間に完封されていたのだ。
それを知った望月養護教諭も驚きを隠せない様子だった。人間を超越した力を持ちながら、死なぬ体を持つ者と渡り歩く人間など見られるはずもないのだから当然だろう。
しかし、そんな俺達を見てやつは言う。
「何も不思議なことではない。君たちは確かに強い力を持っている。あるはそれは世界を危ぶむものだっただろう。だが、全ての物事には理由と結果がある。その二つがあるのなら考察するには十分すぎるだろう?」
「……つまり、お前は俺達の能力を解明しながら戦っていると?」
「もちろん。それが人間の戦い方だ。人類はこの全てに敗北してきた経験を持つ。しかし、それ故に二度の敗北はなく、必ず障害を打破する。それに――」
一息。
「何も能力が君たちの十八番というわけでもない」
一瞬の瞬き。その僅かな間に青年は俺の目の前まで移動してきており、掲げられた手の平が俺の顔面へと触れる。瞬間にして俺の体がへそを中心に一回転して地面に伏せた。
押された。いいや、とんでもない衝撃を受けたのだ。反撃しようと上半身を起こすが、先程まで居た場所にもうやつの姿はない。
早すぎる。これがやつが言う能力なのか?
苦い顔でやつを見ている俺に対して、やつは言うのだ。
「僕は昔から中華系の武術を習わされた。さっき見せたのは最も自分に適した体の動きから最大の威力を瞬時にはなてるようにした自己流の技だ。そして、僕は武術を習い始めたときから言われるんだ。透明人間とね」
「透明……人間……」
確かに、一瞬にしてやつは俺の目の前に現れた。音もなく、これといった予備動作もなく。
果たしてそれが普通の人間にできることだろうか。ただし、俺にはやつの動きに検討はついていた。一瞬にして現れたと思ったのは、おそらく瞬きの間に何かしらの武術の移動をしてきたからだと思う。
そうだとわかっていても、対応できるものではない。透明人間だと呼ばれるのもある意味ではわかる。
確かにこれは能力だ。人間の限界の更に先に行き着いた者が出せる極地という意味での能力に相違ない。
これは敵わない。なぜなら、俺も望月養護教諭もそのような特訓はしていない。巻き込まれるようにして、あるいは偶然にして力を手に入れてしまった。そして、その力が強すぎるがゆえに磨こうとする意思を失った。
俺たちではもしかしたらアジ・ダ・ハークは倒せないのかもしれない。
「大丈夫よ」
いつの間にか暗くなっていた俺のことを励ますように背中が叩かれる。
見れば、少し震えてはいるがこわばった笑顔がそこにあった。
「確かにアジ・ダ・ハークは努力を怠らなかった者たちかもしれない。そこに私達が勝てる要素がないかもしれない。でも知ってる? 正義は必ず勝つのよ」
「…………俺たちに正義があるっていうんですか?」
「もちろん。あの死神も言っていたじゃない。あなたは《常勝の化け物》。神々と契約して世界を守る担い手となった、世界の安全装置。あなたが正しいと言えば、その全てが正しいと認識されるのよ。つまりね。あなたの全ては正義だと認定される」
「……なんだかそれ、傲慢じゃないっすか?」
「傲慢でもなんでも勝てばいいのよ。勝てば苦しくはないわ。それに、私案外あなたの望む世界は嫌いじゃないの」
だから大丈夫だと。望月養護教諭は笑いかけた。
だからだろうか。自然と俺も安心したのだ。
もしも、俺の言葉のすべてが正義であるならば、きっとアジ・ダ・ハークは悪党ではないんだろう。俺はアジ・ダ・ハークの努力を悪だとは認められないし、理由も知らずにこいつらを叩き潰せるわけもない。
ただ、こいつらがやったことだけは悪だ。こいつらは麻里奈に手を出した。俺の仲間を誘拐した。それは絶対に許せることではない。
故に倒そう。倒して捉えるのだ。理由を聞いて、なぜ世界を恨むのかを理解しよう。
きっと、俺にはその行為そのものが必要な気がするから。
俺は静かに構えた。武術の極地にいるこいつに戦いで勝てるかなどわからない。でも、俺は戦わなくちゃいけない。
なぜなら俺は、手が届く範囲で仲間を、知り合いを、家族を守ると約束してしまったから。





