魔人誕生
今回の事件もまた、とある異世界での出来事である。
無数に広がる世界群の中には、誰かの願いで生まれた世界も数多くある。たとえば物語などの設定を反映した世界はその典型。
もっとも、どういう生まれであろうと世界は世界。
願いや意思により構築された世界も、その後はきちんと森羅万象の定めに従っていくもの。
ただ、その「はじまり」ゆえに、ゲームや物語を反映するだけの閉じた異世界と勘違いしたり、翻弄されてしまう者もたまにいる。
紹介するのは、そうした人物のひとりである。
その者の名はリリアといった。
◆ ◆ ◆ ◆
「リリア・マド・ハイフェン!貴様との婚約を破棄し、そして国賊として断罪する!」
どこぞの絵に描いたような安っぽい猿芝居を見た時、リリアはその光景が見慣れたゲーム『死のフロイライン』のワンシーンである事に、その寝起きのボケた頭で気づいた。
VRセットをつけたまま寝落ちしてしまったのだろうか?
いつも就寝前の楽しみにVRで『死のフロイライン』を遊ぶのだけど、さすがに寝落ちした事はなかった……なぜならこの大人気ゲームはギリギリのアドレナリンと殺戮の背徳感を味わうためのもので、途中で睡魔に襲われたりしていたら、たちまち殺されてゲームオーバーだからだ。
特にこのキャラ……リリアことハイフェン公爵令嬢リリアを主人公にした場合。
未成年では彼女をプレイヤーに選べない。
なぜなら彼女は冤罪で断罪のはて、牢獄で薄汚い罪人どもに嬲られて発狂死したり兵士たちに首をはねられたりと、ろくでもない最後を迎えることがほとんどだからだ。それを回避する手段もないではないが、そっちを選ぶと今度は大量殺人したり、男から精を吸い上げたりと、これまた全年齢では問題のあるプレイをしなければならない。ゆえに未成年は彼女が断罪されるのを見る事はできるが、自ら断罪される立場を選ぶことはできない。
いやまぁ、それは今はいい。
寝落ちだろうとなんだろうとリリアとしてそこにいる限り、リリアとして戦うつもりだった。それが彼女のリリア使いとしての矜持であり、進む道であった。
沈黙したまま、ストーリー進行の鍵であるバカ王子のセリフをじっと待つ。
「ふ、言葉もあるまい。
わたしは知っているのだぞ、貴様が魔族の血の入った薄汚い混血女であるとなぁ!!」
「パレス様、いくら罪人でもそれはあんまりです。
生まれた種族は選べないんですよ?そんな言い方はかわいそうです!」
「ミーナ、君はなんて優しいんだ。こんな薄汚い者に対してまで、そんな優しい言葉をかけるなんて」
「パレス様……」
ざわ、と周囲の空気が大きく動いた。
耳を疑う者。
信じられないという驚愕。
ふざけるなという怒り。
「む?なんだ?」
突然に周囲の空気が刺々しくなり、人が動き出したのでさすがの王子も気づいたようだ。
「おい静まれ!何を騒いでいる?」
眉をしかめて命令するが、一部の者以外はその王子の言葉すら聞いていない。
いやそればかりか、敵意の目で睨みつける者すらいる。
「な……」
「え?なに?」
害意というより殺意に類する目線を多数向けられ、王子は周囲をキョロキョロと見る。
状況が理解できないのか、それでも王子にしがみついた手は離さない娘。
「……」
その混乱に乗じてリリアが広間を逃げ出していくが、それに気づいた者もなく。
またわずかに気づいた者も、リリアを見咎めようとはしなかった。
正しくは、リリアどころではなかった。
この国の王族はもともと、人間の姫とそれを支えた高位魔族の青年から始まっている。
つまり王家の血筋であれば魔族の血が入っていて当然なのである。公然の秘密ではあるが。
ついでに言うと、公言してないだけでこの国は人族も魔族も普通に混在し、発展してきた。
つまり。
今の発言は、知らないですむ領域の話ではない。少なくとも成人の儀を迎えたこの国の王族に許される暴言ではないのである。
この発言が何を生み出すか?
ただのバカ王子から始末すべき者へ、つまり蔑視から敵意への変貌。
あるいは、操りやすい王子として立てていた者たちが、もっと積極的に利用しようと策を巡らす悪意。
すなわち。
この国が本格的に傾きはじめた瞬間だった。
ちなみに。
国王夫妻は帰城してこの顛末を知り王子を叱責するが、息子可愛さに彼は謹慎程度にとどめ、リリアに対しては断罪に足る罪を捏造して事を収めようとする。
ハイフェン公爵家はリリアの生母でなく継母が仕切っており、こちらも彼女を切り捨てている。
つまり、リリアにはどのみちもう未来はない。
混乱に乗じて逃げ出すのは当然の事だった。
王城とはいえ謁見の儀ではないわけで、リリアは華美なドレスはまとっていなかった。
ある程度おしゃれにはしつつも、リリアは文官用のそれに近い衣装を常に選んでいた。無作法といえばその通りなのだけど、バカ王子の尻拭いで文官仕事などもしていたし、いつもの事なので誰も疑問にもってはいなかった。
走り出しながら自分の体に魔法をかけている事についてもだ。
──身体能力向上の魔法。
武官のみならず、文官でも疲労回復などにしばしば用いる魔法だ。
本来なら令嬢のリリアが、しかも高レベルで持っているのはおかしい魔法なのだが、これも周囲は不思議に思っていなかった。
要はそれだけリリアの立場が異常だったのだけど……リリアはその設定を最大限に利用する。
とにかく今は、ここを立ち去るための手を尽くす必要があった。
さすがに追手がかかったのに気づき、途中で靴を脱ぎ捨てた。
動きを妨げるような靴ではないが、女子用の靴は全力で走り回るには不向きだし、足音も大きい。
そして軽快にペタペタと走ると、あまり使われていない資材倉庫のひとつに飛び込んだ。
まだ追手はいるが、その者が部屋に入ってくる前にさらに奥へ。
この資材倉庫は実は古いもので増改築が繰り返されており、さらに古い遺物が大量にあり、しかも常に薄暗い。知らずに入ると進むのも容易ではない。
リリアにとっては、通い慣れた通学路のようなものだが。
最奥には城の地下に続く隠し扉があるのだが、それを知るのはリリア使いと呼ばれるリリア好きのコアゲーマーくらいであり、そしてリリアも当然知っていた。
隠し扉を開き、中に入り後ろ手で閉めた。
リリア様、リリアさまと呼ぶ声が近づいてきたが、ここがわからないようだ。
なんとか間に合ったらしい。
とはいえ、ここにとどまっていてもいい事は何もない。
リリアは目に少し魔力を込めて強制的に闇に慣らさせると、階段をどんどん降りていった。
長い長い階段を進むうち、腐臭がどんどん強くなるのに気づいた。
「……!?」
しまいには、足がすくむほどの酷さになってきた。
VRでも臭気の再現は多少しているが、リアルにやりすぎると中世ヨーロッパ的世界なんて汚物と汚臭の世界だ。ゆえに臭いについてはかなり制限がなされているはずだった。
なのにこの強烈な臭いは?
耐毒マスクがインベントリのこやしになっているのを思い出し、取り出して身につけた。
途端に、殺人的な臭気が大幅に軽減された。
「はぁ……マスクって、このためのものだったんだ……でもなんで?」
いつも死蔵していたマスクの使いみちがわかったのはいい。
でもなぜ?
アップデートされたのだろうかと一瞬悩んだが、今はそれどころじゃない。
先に急いだ。
城の地下には侵入者や罪人を落とすための場所がある。
そこは地下水道が本来の姿なのだが、汚物処理のスライムの巣になっている。巨大なスライムが落ちてきた有機物を処理しているが、下まで落ちずにひっかかったものなどもあるため、全体におぞましい腐臭が漂っている。
つまり臭気の正体はこれなのだが……それにしてもひどいものだ。
スライムはリリアに気づいているが、獲物と認識はしてないらしい。まぁ戦わずにすむのはありがたい。
リリアはためいきをつき、そのまま足を進めた。
その地下領域の最奥。
持ち主が分解されて残されたと思われる遺物の山の中に、それはあった。
強い魔力をもつ銀色の腕輪。
秘宝『逢魔が時』。
この秘宝は、つけた者に強い魔を投げかける。
ただの人間が身につけたり使うと、二度と外せない。
そればかりか魔に侵され暴走し、いずれは魔物となってしまう。
そして。
ある程度以上の力もつ魔族との混血者が使った場合には、その能力を圧倒的に引き上げてくれる恵みのアイテム。
ただし馴染みすぎると外せなくなってしまう。
特にその者が混血の場合、そのまま魔族と化してしまう。
この秘宝はずっと昔。
遠い未来に役立つために置かれたとされるもので。
そして……『リリアプレイ』をする勇者にとっての最重要アイテムでもある。
この場所に『逢魔が時』があるのはゲーム設定だが普通のプレイヤーはここを知らないし、知っていても入る事はできない。
なぜなら、リリアの使った通路は人と魔の混血しか入れないからだ。
まず、通常プレイヤーは王宮の最深部に入れない。
ヒロインは純粋な人間だから、たとえ知っていても通路を使えない。
そして肝心の王族はここを知らないし、たとえ知っていても入りたがらないだろう。
そもそもリリアだって、本来のメインストーリーなら死にかけで迷い込むような場所なのだ。
秘宝を手にとろうとして、あわてて止まる。
そしてインベントリから魔力賦活薬を出し、それを飲む。
しばらく待つと全身が熱くなり、準備が整ったことがわかった。
「──よし」
リリアの血はかなり濃いが、それでも準備は大切だ。
万が一、力が足りなくて魔物になってしまうような事だけはごめんだった。
だから、きちんと魔力賦活薬を飲む。
攻略プレイヤーによると、ここで飲まなくてもいいそうだけど、ストーリー上飲む事になっているので、多くのプレイヤーはきちんとそれに従う。リリアも従う派だった。
そして。
「──セット、逢魔が時──え?」
リリアが左腕に『逢魔が時』を装着した途端、リリアの全身にゾクッと震えが走った。
「な、なに?」
じくじく、じくじく、と全身が疼きだす。
黒かった瞳が赤く輝き、白かった肌にうっすらと闇がかかる。
そして体の最奥から、今までとは比較にならない莫大な魔力が湧き上がってくる。
まるで全身が熱で湯だっているかのよう。
……何か、おかしい。
何かの異常?
リリアはその時になってはじめて、自分の違和感をまずいものと感じた。
「……ステータス表示」
『リリア』種族:竜族
スキル: 魅了、遠隔吸精、交合吸精(未覚醒)、眷属支配・使役、魔獣の母(未覚醒)
称号: 裏切られし娘、異世界からの迷い人、蠱惑の女王
──異世界からの迷い人?
「……なにこれ?」
見慣れない称号にリリアは眉を寄せた。
やはり、何か異常事態が起きているらしい。
さらにシャットダウン、ログアウト等の操作メニューが見当たらない。
システム問い合わせもできない。
もっともこの時点で、本当に異世界に送り込まれたと思うほどリリアの頭はおめでたくはない。
近年のVRMMOでは『異世界祭り』と称して、一時的に、まるで本当に異世界に行ってしまったような状態にするお祭りイベントも開催されていたからだ。
また、VRMMOは五感のすべてをリンクさせてしまう関係上、致命的な大バグで脱出不可能というケースはありえない事ではない。そしてその場合、最悪でも肉体側に悪影響の出る時間になる頃には強制排出されるはずである。
もっともそれは。
それ以外の方法で脱出しようと思うと、この体感リアルな世界で殺されるか自害するしかない事も意味する。
きっとそれは楽しいことではないだろう。
「……とにかくお城を出よう」
今やるべきはそれだとリリアは思った。
分岐路を使って別の倉庫に出たが、城内はまだ騒々しかった。
廊下に出ずに耳をすましていると、どうやら衛兵隊が自分を探している事がわかった。
フムと思いつつも走り出そうとすると、唐突に目の前に黒衣の兵士が現れた。
「!?」
兵士が声を出そうとしたその瞬間、反射的に目をあわせた。
「……」
「……ああ、これは失礼しました」
兵士は一瞬で魅了にかかったようで、静かにリリアに会釈をした。
だが、これもおかしい。
いつものゲームなら魅了にかかったNPCは、そのまま護衛のフォーメーションにつくはずなのに。
仕方がないので声をかけてみた。
「……城外まで護衛と誘導をお願い」
「城外まで?ふむ……捜索隊が出張っていて、私ひとりでは外までは難しい。城門までなら可能だ」
「そう。なら誘導できるとこまでお願い、あとはなんとか脱出する」
「わかった、全力を尽くそう。ついてきてくれ」
「よろしく」
話しつつもリリアは内心驚いていた。
(口頭でこんな柔軟に指示できる?なんで?)
そんなバカなという思考が頭の中でぐるぐる回る。
(まさか本当に……。
いやいや、いくらなんでもそれはないでしょ)
おそろしい可能性に、思わずリリアは内心、首をふった。
(やめてよ、まさか本当に異世界とかあるわけないでしょ、勘弁してよね)
「あの、どうなさいました?」
「あ、ううん、な、なんでもないの(なんでNPCに心配されるのよ、ウソでしょう!?)」
だが周囲の状況は、そちら側の証拠ばかりがどんどん積もっていく。
リリアの中のひとは、笑顔で返事しつつ内心頭を抱えていた。
◆ ◆ ◆ ◆
第三期の魔族たちにご母堂と呼ばれ、代々の魔王にすら敬愛された「大いなる母」リリア・ハイフェン。
彼女については謎が多かったが、近年の調査によりいくつかわかった新事実があるので列記してみよう。
まず生誕だが、なんと人間国家の貴族令嬢であるようだ。
その国の王家はもともと混血だったが、先祖返りで限りなく純血の魔族に近い体質を持っていたのが、何かのきっかけで目覚めて変質を起こし、国を出奔したもようである。
人間として生まれながらも竜族、しかも聖母系の強い素養を持っていたわけで、幼少時にも怪我がすぐ治ったり、水の治癒魔法に極端に優れているなど、竜族を思わせる記録が多く残されている。
種族が変質を起こした直接の原因は不明だが、当時、とある国にハイフェン家なる貴族がおり、そこの長女であるリリア嬢が、属していた国の王太子と婚約させられていたらしい事がわかっている。
ところがリリア嬢の母親はすでに死亡しており、実父も継母も味方ではなく。
結局、リリア嬢は政治的取引の材料として始末される事になった。
だがこの事件の中で何かが起きてリリア嬢は竜族として覚醒した。
覚醒直後、彼女はさっそく洗脳または魅了により兵士を操り、先導させて城を脱出。
王国側は当初、リリア嬢の覚醒を知らなかったので、誰か別勢力の手引きで脱出したと判断、ただちに捜索を開始したのだが。
結局、彼らが微笑むリリア嬢を発見できたのは、彼らの国が滅ぼされ、自分たちが公開処刑される、まさにその時だったという。
彼らは処刑中に目を剥き、意味のわからない呪いの言葉を吐きながら死んでいったという。
その後の歴史はご存知の通り。
ただ、大いなる母には興味深い新事実も判明している。
・異世界の言語を話すことができ、召喚されし者たちと異世界語で会話ができた。
・なぜか、昔はち○こが生えていたと意味不明な言動をする事があった。(当たり前だが、竜種でも女性は女性であり、生えているという事はない。もちろん両性種でもなかった)
・「げーまースキル」なる謎の技術を持っていると本人は主張しているが、周囲の評価は「ただの腕力任せ」「こんなへっぽこ見たことない」「彼女に戦わせるな」で一致しており、常に護衛がついていた。魅了や幻惑以外で戦いに引き出された事は一度もない。
・子守りは下手くそだったが、数多の失われた世界の昔話を子どもたちに語っていたらしい。
・いわゆる「ハルカの童話集」の作者は不明とされていたが、どうやら彼女らしい。魔族が作者というと人間社会で読まれないことを危惧し、作者不詳としたものらしい。
なおハルカとは異世界語で、はるかな彼方という意味だという。




