魔人の影で
今回の事件もまた、とある異世界での出来事である。
無数に広がる世界群の中には、誰かの願いで生まれた世界も数多くある。たとえば物語などの設定を反映した世界はその典型。
もっとも、どういう生まれであろうと世界は世界。
願いや意思により構築された世界も、その後はきちんと森羅万象の定めに従っていくもの。
ただ、その「はじまり」ゆえに、ゲームや物語を反映するだけの閉じた異世界と勘違いしたり、翻弄されてしまう者もたまにいる。
紹介するのは、そうした人物のひとりである。
その者の名はミーナといった。
◆ ◆ ◆ ◆
「リリア・マド・ハイフェン!貴様との婚約を破棄し、そして国賊として断罪する!」
いつもの見慣れた王子様が悪役令嬢を断罪する姿を見た時、ミーナはいよいよクライマックスなのだと微笑んだ。
これはミーナが前世で愛していた乙女ゲーム『フロイライン〜紫のラヴソング〜』のワンシーンである。
その作品はもともとヲタクの間で流行っていたVRMMOゲームが元らしいのだけど、そちらの知識はない。ただリアルな体感で楽しめる事、なぜかメインストーリーの一部に乙女ゲーム的展開がある事に着目し、素敵な王子様たちとリアルな恋のできるゲームとして生まれ変わったんだとか。
自分がミーナ・アトルシャンになっているのを知った時、ミーナは自分がヒロインとして生まれた事を知った。
万が一「ざまぁ」を恐れて悪役令嬢リリアの動向を調べたけど、ゲームと寸分変わらない言動と行動を繰り返していた。
だったらと自分も安心して攻略を進め……しかし万が一の危険を考えて逆ハーの選択肢はとらず、あくまで一押しの王子様だけに狙いを定めてきたのだ……いわゆる第一王子エンド。
地味ではあるが、このエンディングをミーナが選んだのには理由があった。
ひとことで言えば、このストーリーのエピローグが、最も現実的に幸せになれると感じていたからだ。
逆ハー要員たちは浮ついた存在でなく、正しく頼もしい王子の部下になる。
そして夢物語のような地に足のつかないハッピーエンドでなく、安定した良い国を作り上げるグッドエンディング。
そう。
リアルじゃ安い非正規雇用で底辺生活を送る喪女だった彼女にとり、チャラチャラした逆ハーレムなど不安になるだけだった。
国の安定こそ明日の幸せ。
美形の王子様と、しっかり者の部下に支えられた良い国で、地味だけど皆に慕われる王妃様となって幸せに暮らす。
これこそが彼女の理想であり……彼女の狙い通りにいけば、実際に良い国になるはずだった。
……だったのだが。
「ふ、言葉もあるまい。
わたしは知っているのだぞ、貴様が魔族の血の入った薄汚い混血女であるとなぁ!!」
「パレス様、いくら罪人でもそれはあんまりです。
生まれた種族は選べないんですよ?そんな言い方はかわいそうです!」
「ミーナ、君はなんて優しいんだ。こんな薄汚い者に対してまで、そんな優しい言葉をかけるなんて」
「パレス様……」
予定外の王子の発言にミーナは驚いた。
悪役令嬢リリアには魔族の血が入っていて、それは確かに事実だ。
事実だけどそれは裏設定にすぎず、ゲーム中でそれに触れる事はないはず。
どうして今、それに触れるのか?
驚いたが、とっさに口からフォローの言葉を出し、ごまかしたつもりだった。
だけど。
その時、ざわ、と周囲の空気が大きく動いた。
疑念、驚き、恐れ……そして怒り。
いったいなに?
どうしたの、何が起きてるの?
何か致命的なもの、取り返しのつかないものが狂った、そうミーナは感じた。
理屈はわからないが、思わずゾッとした。
「む?なんだ?」
突然に周囲の空気が刺々しくなり、人が動き出したのでさすがの王子も気づいたようだ。
「おい静まれ!何を騒いでいる?」
眉をしかめて命令するが、一部の者以外はその王子の言葉を聞いていない。
いやそればかりか、敵意の目で睨みつける者すらいる。
「な……」
「え?なに?」
害意というより殺意に類する目線を多数向けられ、王子は周囲をキョロキョロと見る。
ミーナは、かつての生でも未体験の視線にさらされ総毛立った。
そして思わず、王子にしがみついてしまった。
あとになってミーナは、この時の選択を後悔する事になる。
確かに王子と共にいる事が多かったが、この時点でのミーナはまだ逃げ道があった。
ぶっちゃけ、この時点で実家に逃げ込めば王子の乱心に責任をかぶせ、とりあえず助かる事だけはできたはずなのだ。
しかしミーナは王子から離れる事なく。
そしてその選択が、彼女の命運を決定づける事となってしまった。
「廃嫡!?そんなバカな!?」
「殿下、いやパレス様はご存知なかったようなので、この際ハッキリ申し上げましょう。
我が国の初代国王は魔族であり、王家には魔族の血が流れています。パレス様、あなたご自身もそうです。
魔族は我が国では敵対種族でもなければ被差別賤民でもない、共に歩むべき仲間なのです。
あなたはそれを公式な場で、真正面から罵倒なさった。
それは我が国への、国王陛下への反逆宣言と同じことなのです」
「……え?」
横で聞いていたミーナだったが、思わず口から声が出そうになった。
なにそれ、そんな話知らないわよと。
だけど、生前にSNSで聞いた話を今になって思い出した。
それによると。
紫のラヴソングの元になった原作のネトゲ『死のフロイライン』では、この国は魔族と人間が区別なく混在する国だった。
もともと『死のフロイライン』のフロイラインとは古いドイツ語で花とかお嬢さんなんて意味であり、死のフロイラインとは作中に登場する、地球的にいうと軍隊に笑顔で自爆テロを仕掛けてくる異民族の少女の事なんだという。
ネトゲ側はそれほどに殺伐とした世界観で、そして、それゆえに人間と魔族の共存を掲げるこの国の平和は大切だったのに、王子たちは無知の果ての暴走と暴言で、これを壊してしまうのだ。
それが断罪劇であり、これが元で国は揺れ、血みどろの内乱に発展するのだという。
しかし乙女ゲームである紫のラヴソングでは、このイベントも国の混乱も、そもそも魔族との共存自体が「なかったこと」になっていた。
理由は「恋愛ストーリーに、その恋愛そのものの障害と無関係の民族問題なんて登場させたら苦情が出ますよ」という女性スタッフの意見があり、民族問題を「なかったこと」にしてしまったからだ。
攻略対象はまさしく乙女ゲー的な王子様たちとなり、ヒロインは、あまりキンキラキンだとプレイヤーが同一視化してくれないので黒髪黒目の庶民派美少女に。
その賛否はともかく、そういう改変がなされていた。
だから『紫』には民族問題はないはずなのだ。
なのに。
じゃあ、パレス王子が失言をしたこの世界は、もしかして。
もしかして──ここは『紫』の世界じゃない?
激昂する王子の隣でミーナは蒼白になっていた。
ここで、ウソよと夢にしがみつける愚かな女なら、ある意味ミーナは幸せだったろう。
わたしのせいじゃない、あいつが悪いのと誰かを悪者にし、呪いながら死ねたのだから。
だがミーナは気づいてしまった。
断罪劇の時に実家に逃げ込まなかった自分は、もはや完全に王子の側の人間と見られている。
もう逃げ道はない。
どういう末路かも想像がつく状況なのに、それを避けられない。
逃げ場は自分で、みすみす捨ててしまった。
自分のよく知っていたはずのゲームとの違いを、ささいなものと考えて流してしまった。
実のところ。
その違いこそ、決して見逃してはならないものだったはずなのに。
「ミーナ、しっかりしろミーナ!」
「!」
ふと気づくと、王子の顔が目の前にあった。
「ああ良かった、すまない、君を不安にさせてしまったんだね」
「……いえ」
自ら破滅に飛び込んでしまった愚かな王子。
ああ、だけど。
だけどその視線は、視線だけは確かに自分を信じてくれているのがわかった。
……ばかなひと。
……ばかなわたし。
……だけど。
ミーナは姿勢を正した。
「ミーナ?」
「ごめんなさいパレス様、取り乱してしまったみたい。もう大丈夫です」
「あ、ああ。大丈夫か?」
もう逃げられない……助からないのだろう。
だけど。
この人だけはきっと、わたしが裏切らない限り、最後まで信じてくれる──愚直な駄犬のように。
だったら。
だったら、わたしは。
「はい──もう大丈夫です」
ミーナはそう言って微笑むと王子に抱きついた。
かすかに震えている王子に、静かに声をかけた。
「大丈夫、わたしはどこにも行きません。
パレス様の行かれるところ、どこまでもご一緒します」
「……そうか」
王子はミーナの言葉に何を感じ取ったのか。
それだけつぶやくと、ミーナの柔らかい体をそっと、でも二度と離さぬと抱きしめた。
◆ ◆ ◆ ◆
国を滅ぼしたきっかけのひとつとされているミーナ嬢であるが、実は断罪劇から処刑までの間については驚くほど落ち着いていたと言われる。取り乱す王族を支え、自らも断罪される立場でありながら最後まで穏やかな終焉を願っていたという。
ただし、これについては異論も多い。
確かに断罪対象の中では唯一、昼間は拘束状態とはいえ牢から出されていた記録もあるのだけども、自分だけは助けてと体を使って要求していたという噂もあり、実際がどうであったのかが不明だからだ。
ただ。
実は悪女だったという話については、近年の調査担当も否定的な見方をしている。
むしろ彼女は、巻き込まれた不幸な一般人だったのではないか?
その見方の方が近年は強くなっている。




