第30話 ゴブリン王国と四つの星付きアイテム
暖かな風が頬を撫でた。
ついさっきまで、私たちはグラティスの凍えるような吹雪の中にいた。服には乾ききっていない血の跡が残っているし、No.10に斬られた感触も、まだ身体のどこかに残っている気がする。
それなのに――傷は、どこにもなかった。
「……本当に治ってる」
私はもう一度、左肩へ手を当てた。
No.10の剣に斬られた場所だ。あれだけ深く傷ついたはずなのに、痛みどころか傷痕さえ残っていない。
少し離れたところでは、オラクルも自分の胸や腹を確かめながら何度か身体を捻っていた。
「骨までいったと思ったんだけどな。こっちも何ともねぇ」
「痛くない?」
「ああ。気持ち悪いくらい元通りだ」
私の肩から飛び立ったメリーも、背中にある透明な四枚の羽を大きく広げてみせる。
No.10の攻撃で深い亀裂が入っていた羽は、最初から傷ついていなかったように綺麗に戻っていた。
「治った」
嬉しそうに空中で一回転したメリーを見て、私はようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「セレスティアのおかげかな」
「たぶんな」
オラクルが頷く。
「お前が頼んだのは『安全な場所へ逃がしてくれ』だろ。死にかけたまま放り出したら、安全な場所に着いても全然安全じゃねぇ。そこまで含めて願いを叶えてくれたんじゃねぇか?」
「セレスティア、優しい」
メリーが満足そうに頷いた。
私も、そう思う。
あの状況で私たちが三人とも生きていること自体、奇跡みたいなものだ。
けれど。
身体の傷が消えても、胸の奥に残った悔しさまでは消えてくれなかった。
《古の目覚めの笛》。
四つある【???】の一つ。その正体をようやく突き止め、あと少しでこの手に触れるところまでいった。
なのに。
TIME No.10に、目の前で奪われた。
「……」
私は気持ちを切り替えるように、《聖なるマップ》を広げた。
そこで、すぐに異変へ気づいた。
「……あれ?」
世界地図の北側。
グラティスから離れていく二つの光が、並ぶように移動している。
片方は見覚えがあった。
【古の目覚めの笛】
間違いない。
さっきNo.10に奪われた【???】だ。
けれど、そのすぐ隣には、今まで見たことのない反応がぴったり重なるように移動している。
「何これ……?」
指先で光へ触れると、地図に新しい文字が浮かび上がった。
【☆4】
【幻神の剣 オベリスク】
「☆4!?」
隣から覗き込んでいたオラクルの金色の瞳が大きく見開かれた。
「これも、あいつが持ってるのか?」
二つの反応は同じ速度、同じ方向へ動き続けている。偶然とは思えない。
私は、グラティスで見たNo.10の剣を思い出した。
目で追うことすら難しかった抜刀。
オラクルの短剣を簡単に砕いた長剣。
私たち三人を相手にしても、No.10はほとんど本気を出しているようには見えなかった。
「たぶん、あの剣だと思う」
「ってことは……あいつ、☆4の武器を普通に持ち歩いてやがったのか」
オラクルの表情が険しくなる。
「そりゃ強ぇわけだ」
「強すぎ」
メリーが不満そうに頬を膨らませた。
私も同感だった。
☆付きの秘宝そのものが珍しいはずなのに、No.10は☆4の剣を最初から自分の武器として使っていた。そのうえ今は、《古の目覚めの笛》まで持っている。
TIME。
私は、あの組織の危険さをまだ全然分かっていなかったのかもしれない。
「……いつか取り返す」
遠ざかっていく《古の目覚めの笛》の反応を見つめながら、私は小さく呟いた。
今追いかけたところで、また同じ結果になる。
悔しいけれど、それくらいの力の差があった。
「笛」
メリーが私の肩へ戻ってくる。
「うん」
「次は負けない」
小さな拳をぎゅっと握っている。
オラクルも口元を僅かに上げた。
「まずは次に会うまでに、俺たちがもう少しマシにならねぇとな。あいつ相手じゃ、今のまま何回やっても同じだ」
「……うん」
負けた。
だからこそ、次は負けたくない。
私が頷いた、その時だった。
《聖なるマップ》が再び光を放つ。
【新規地域情報】
【ゴブリン王国】
「そうだ……」
セレスティアの力で転移した先は、ゴブリン王国の近くだったらしい。
私は地図を拡大する。
そして次の瞬間、思わず息を止めた。
王国の内部に――星の光が四つも浮かんでいた。
「オラクル」
「今度は何だ?」
「これ、見て」
まずは一番大きな反応へ触れる。
表示されたのは――。
【☆5】
続いて、その名前。
【幻獣種召喚の本】
「……☆5」
オラクルが思わず呟いた。
「待て。☆5って……かなりヤバいやつじゃねぇのか?」
「☆4より上だね」
「それくらい俺にも分かる!」
メリーも興味津々で地図へ顔を寄せる。
「本」
「うん。本みたい」
「緑みたい」
その一言で、胸の奥が少しだけ痛んだ。
最初に出会った三匹のゴブリン。
赤い子は骨付き肉。
黄色い子はお金。
そして緑の子は、いつも本を大切そうに抱えていた。
「……そうだね」
私は小さく笑って、もう一度地図へ目を落とした。
☆5の反応とは別に、さらに三つの星が動いている。
【☆2】
【☆2】
【☆2】
まだ名前は表示されない。
しかも三つの反応は、それぞれ王国の別の場所を移動していた。
「一つの王国に、星付きが四つもあるの?」
「かなり多いな」
オラクルが腕を組む。
「今まで行った国でも、こんなのはなかっただろ。普通の国じゃねぇぞ」
「ゴブリンの国だから?」
「その理由で納得できるか?」
メリーが真顔で答えた。
「できる」
「できねぇよ!」
二人のやり取りを聞きながら、私は一番強く輝く☆5の反応を見つめた。
《幻獣種召喚の本》。
今まで見つけたどの秘宝よりも、高い星を持つアイテム。
「行ってみよう」
「まあ、お前ならそう言うと思った」
オラクルは立ち上がると、服についた草を払った。
「ただし、一つ条件がある」
「何?」
「もう雪山には登らねぇ」
「王国だから大丈夫でしょ」
「海にも入らねぇ」
「だから王国だって!」
「絵の中にも入らねぇ」
「それは私も嫌!」
するとメリーが小さく手を上げた。
「カジノは?」
「……」
私とオラクルは揃ってメリーを見る。
「なんで急にカジノ?」
「なんとなく」
メリーはいつもの眠そうな顔で答えた。
この時の私はまだ知らなかった。
その「なんとなく」が、妙なところで当たっていたことを。
◇ ◇ ◇
森を抜けると、その先に巨大な城壁が姿を現した。
「うわ……」
思わず声が漏れる。
近づいてみれば、門だけでも普通の家が何軒も入りそうなほど大きい。城壁の上には、王冠をかぶったゴブリンの紋章が描かれた旗が何本も掲げられていた。
そして何より。
「……ゴブリンだらけ」
当たり前なのだけれど、本当にどこを見てもゴブリンしかいない。
門番もゴブリン。
大きな荷車を押している商人もゴブリン。
走り回っている子供たちもゴブリン。
屋台で串焼きを売っているのも、それを買って食べている客もゴブリンだった。
「ここまで揃うと壮観だな」
オラクルも感心したように辺りを見回している。
「今まで行った街は、人間とか獣人とか色々いたもんね」
「ここはほぼ完全なゴブリン国家なんだろ」
門をくぐった瞬間、賑やかな声が一斉に飛び込んできた。
「安いでぷ!」
「今日は野菜が半額でぷ!」
「そこのお兄さん、その猫を売らないでぷ?」
「俺は商品じゃねぇ!」
オラクルが反射的に叫び返す。
私は堪えきれず笑ってしまった。
「オラクル、人気だね」
「嬉しくねぇ!」
そんなやり取りをしながら歩いていた時。
少し先の通りを、三匹の子供ゴブリンが走っていった。
赤い服。
緑の服。
黄色い服。
私は、その場で足を止めた。
「……」
違う。
分かっている。
あの三匹じゃない。
身体の大きさも、顔も、声も違う。
それでも三色が並んで走っていく姿を見ただけで、胸が強く締めつけられた。
オラクルは何も言わなかった。
急かすことも、慰めることもせず、私が再び歩き出すまで隣で待っていてくれた。
「……行こう」
「おう」
私はもう一度前を向いた。
◇ ◇ ◇
ゴブリン王国は、想像していたより遥かに大きな国だった。
石造りの家々が並び、市場には色とりどりの食材や道具が積まれている。鍛冶屋からは金属を打つ音が響き、食堂の前では昼間から大勢のゴブリンたちが騒いでいた。
広場では子供たちが走り回り、そのずっと先には立派な王宮まで見えている。
ゴブリンたちは、ここで普通に暮らしていた。
笑って。
喧嘩して。
働いて。
食べて。
大切な誰かと一緒に生きている。
「三匹も……ここで育ったのかな」
思わず漏れた言葉に、返事はなかった。
その答えは、まだ分からない。
私は気持ちを切り替え、《聖なるマップ》を開いた。
「まずは☆5を探そう」
《幻獣種召喚の本》の反応は、王国の中心部にある。
地図の光を頼りに、私たちは大通りを進んだ。
右。
左。
さらに広い通りへ。
反応は確実に近づいている。
「かなり近いよ」
「☆5ともなりゃ、相当厳重な場所にあるんだろうな」
オラクルが考えるように顎へ手を当てる。
「王宮の宝物庫とか?」
「ありそう」
「地下深くに隠した秘密の部屋」
「それもありそう」
「古代神殿」
「ありそうだね」
メリーが言った。
「パン屋」
「それはない」
私は即答した。
そして三人で角を曲がった瞬間。
私たちは同時に足を止めた。
「……」
目の前に建っていたのは、王宮でも地下宝物庫でも、古代神殿でもなかった。
とんでもなく巨大で。
とんでもなく派手な建物だった。
壁は金、赤、紫の装飾で埋め尽くされ、昼間だというのに建物全体が眩しいほど光っている。入口には金貨の山を抱えた巨大なゴブリン像が立ち、屋根の上では建物より目立つほど大きなルーレットが、ゆっくり回転していた。
魔法文字が次々と色を変えながら瞬いている。
【ROYAL GOBLIN CASINO】
その下にも。
【一攫千金!】
【夢を掴め!】
【負けても泣くな!】
「……カジノ」
私が呟く。
《聖なるマップ》を確かめても、☆5の反応は建物のど真ん中だった。
間違いない。
すると隣から、嫌な気配を感じた。
「……オラクル?」
振り向く。
オラクルが、ニヤァァァッと笑っている。
ものすごく嫌な笑い方だった。
「フール」
「何?」
「俺たち――金持ちになれるかもしれねぇぞ」
両腕を大きく広げるオラクル。
私は鞄の中の《真実のカード》へ目を向けた。
反応なし。
「……可能性自体はあるんだ」
「よっしゃああああ!!」
「待って!」
オラクルはもう入口へ向かって走っていた。
するとメリーまで、その後を追いかける。
「パンいっぱい買える!」
「メリーまで!?」
私も慌てて追いかけた。
「目的は☆5だからね! お金じゃないからね!」
◇ ◇ ◇
巨大な扉が開く。
その瞬間。
ジャラジャラジャラジャラ――!!
大量のコインがぶつかり合う音と、何百人分もの歓声が一気に押し寄せてきた。
「当たったでぷ!」
「全財産が消えたでぷ!」
「もう一回やるでぷ!」
「やめるでぷ!」
「……やっぱり、もう一回やるでぷ!」
「どっちなの!?」
思わず突っ込んでしまう。
店内には数え切れないほどのゴブリンたちがいた。
ルーレット。
カード。
ダイス。
スロット。
それ以外にも、私にはルールすら分からないゲームが至るところで行われている。
勝って踊っているゴブリン。
負けて床へ突っ伏しているゴブリン。
そのすぐ横で、何事もなかったように次のチップを賭けているゴブリン。
すごい。
色々な意味で。
けれど。
私の視線はすぐに、フロアの一番奥へ引き寄せられた。
巨大なガラスケース。
その中に、一冊の本が飾られている。
厚い表紙には、六つの異なる獣を模した紋章。
そして、その上には――五つの星。
【☆5】
【幻獣種召喚の本】
「……あった」
本当にあった。
今まで一度も見たことのない☆5の秘宝が、目の前にある。
興奮しながら近くの看板を確認する。
そこには。
【本日の超特別景品】
【カジノチップ――1,000,000枚】
「……」
私は無言で数字を見つめた。
一。
十。
百。
千。
万。
十万。
百万。
間違いない。
「オラクル」
「見えてる」
「百万枚だって」
「問題ない」
なぜか自信満々だった。
「どうするの?」
オラクルは、口の端を持ち上げる。
「勝てばいい」
「その考え方が一番危ない気がする!」
ちなみに入口でもらえた無料チップは、一人分で十枚。
私は手のひらに載せた小さなチップを見る。
十枚。
必要なのは百万枚。
あまりにも遠い。
「……帰ろうかな」
「ここまで来て!?」
その時、メリーが私の手元から一枚のチップを摘み上げた。
「メリー?」
「これ使う」
「ちょっと待って!」
止める間もなく、メリーは近くにあったルーレット台へ飛んでいき、チップを一枚放り込んだ。
「メリー!?」
玉が回る。
カラカラカラカラ――。
赤。
黒。
数字の上を何度も跳ね。
やがて。
コトン。
止まった。
【大当たり】
ジャラララララララッ!!
機械から大量のチップが吐き出され、あっという間に小さな山を作った。
「……」
私。
オラクル。
そしてメリー。
三人とも、その山を黙って見つめた。
やがてメリーが、得意そうに胸を張る。
「勝った」
オラクルはゆっくりとメリーへ近づき、その小さな肩を両手で掴んだ。
「メリー」
「何?」
「今日から師匠と呼ばせてくれ」
「やだ」
「即答!?」
私は山のように積まれたチップへ目を向けた。
百万枚。
さっきまでは絶対無理だと思っていた。
でも。
もしかしたら。
本当に届くのかもしれない。
☆5《幻獣種召喚の本》。
ただし。
この時の私は、まだ知らなかった。
このカジノで私たちが――ゴブリン王国の歴史に残りかねないほどの大騒ぎを起こすことになるなんて。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回はついに《ゴブリン王国》へ到着しました。
その前に聖なるマップから判明したのは、TIME No.10が《古の目覚めの笛》と共に、**☆4《幻神の剣オベリスク》**を所持しているという事実。
そしてゴブリン王国内には、なんと四つもの☆付き反応がありました。
最も強い反応は――☆5《幻獣種召喚の本》。
残る三つは、まだ正体不明の☆2です。
☆5の場所を追って辿り着いたのは、王宮でも神殿でもなく……巨大なカジノ。
必要なチップは100万枚。
対して手持ちは、ほぼゼロ。
なのに開幕からメリーが大当たり。
次話、ゴブリン王国カジノ編が本格スタートです。




