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『フールの大冒険 ~本の世界に消えた両親を探していたら、聖なるマップに選ばれました~』  作者: ☆☆アダム☆☆


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28/92

第28話 氷に映る過去

夜のグラティスは、昼間とはまるで別の山だった。

激しい吹雪が視界を白く塗り潰し、月明かりさえ厚い雲に遮られている。足元の雪を踏みしめるたび、ギュッ、ギュッと乾いた音が鳴り、その音だけが暗闇の中へ吸い込まれていった。

「さ、寒い……!」

私は外套の襟をぎゅっと閉めた。

少し前を歩くオラクルは、黒い毛並みのほとんどを分厚い防寒着で覆っている。それでも猫耳までは隠しきれず、寒さに耐えるようにぺたりと伏せていた。

「だから朝にしようって言ったんだ……」

「でも、TIMEに先に【???】を取られたら困るでしょ!」

「命まで取られたら、もっと困る!」

私の肩に座るメリーは、ふわふわの桜色の髪に雪を積もらせながら、不思議そうに首を傾げた。

「寒い?」

「寒いよ!」

「メリー平気」

「それ、さっきも聞いた!」

「気合い」

得意げに胸を張るメリーを見て、オラクルが恨めしそうに顔をしかめる。

「精霊って便利だな……」

「猫も毛ある」

「さっきフールにも同じこと言われた!」

こんな状況なのに、二人と話していると不思議と恐怖が和らいだ。

けれど、《聖なるマップ》を開いた瞬間、気持ちはすぐに引き締まる。

【現在地:グラティス中腹】

地図の上方では、山頂にある【???】が明滅している。

そして、その少し下には――黒い点。

TIMEを示す反応だった。

「まだ動いてる」

「俺たちより速いな」

オラクルも私の横から地図を覗き込み、険しい表情になる。

「このままじゃ先に着かれる」

「だったら急ごう」

私は速度を上げようとした。

けれど、オラクルがすぐに腕を掴む。

「いや。だからって走るな」

「なんで?」

何も言わず、オラクルが足元を指差した。

雪の下へ目を凝らすと、薄い青色の線が何本も走っている。

「……氷?」

「たぶんな」

オラクルは足元から小さな石を拾い、数歩先へ放った。

コツン、と軽い音を立てて石が着地する。

その瞬間だった。

パキッ――。

氷に細い亀裂が走ったかと思うと、次の瞬間には地面一帯が轟音とともに崩れ落ちた。

「ええええっ!?」

目の前に、巨大な穴が口を開ける。

吹雪の中を覗き込んでも、底は見えない。

もし勢いのまま走っていたら、私たちも一緒に落ちていた。

「オラクル……」

「だから走るなって言っただろ」

「……ありがとう」

「もっと感謝していいぞ」

すると、肩の上にいたメリーが淡々と言った。

「泥棒猫、たまに役立つ」

「たまにを付けるな!」

少しだけ緊張が緩んだものの、油断はできない。

私たちは崩れた場所を大きく迂回し、慎重に山頂を目指すことにした。

◇ ◇ ◇

標高が上がるにつれ、雪の中に青い氷が目立つようになっていった。

昼間に村で見たものと同じ、内部から淡い光を放つ不思議な氷だ。

しかも、ただ凍っているだけではない。

ある氷の中には、真っ赤な花が咲いていた。

春の野原で見るような瑞々しい花で、葉も茎も少しも枯れていない。雪山の中にあるということさえ忘れてしまいそうなほど、生き生きとした姿のまま閉じ込められている。

「これ……本当に凍ってるの?」

思わず顔を近づけると、すぐに後ろから襟首を掴まれた。

「触るな」

「触らないよ」

「昼間、触りかけただろ」

「ちゃんと学習したから!」

メリーが氷の近くまで飛んでいき、翠色の瞳を細めた。

「止まってる」

「時間が?」

「うん」

花は死んでいない。

枯れているわけでもない。

ただ、咲いたその瞬間のまま時間を止められ、氷の中へ閉じ込められている。

さらに進むと、同じような氷が次々に現れた。

飛び立つ直前の鳥。

雪の上を駆けていたらしい小さな鹿。

そして、さらに山を登ったところで――私はとうとう足を止めた。

「……人?」

目の前に、私たちの身長を遥かに超える巨大な青い氷柱が立っていた。

その内部に、一人の男が閉じ込められている。

分厚い登山服を着た男は、両手を前へ伸ばし、顔には恐怖を浮かべていた。まるで何かから必死に逃げている途中、その一瞬だけを切り取られたような姿だった。

「生きてるのかな……」

「分からん」

オラクルも、さすがに表情を曇らせる。

メリーが慎重に氷へ近づき、小さな手を伸ばした。

けれど触れる寸前で、その手を止める。

「精霊じゃない」

「じゃあ、この人は……」

その時だった。

氷の中にいる男の目が――ぎょろりと動いた。

「ひっ!」

私は反射的にオラクルへ飛びついた。

「見た!? 今、目が動いた!」

「見た! 離れろ!」

オラクルに引っ張られ、私たちは氷柱から距離を取る。

男はそれきり動かなかった。

けれど、見間違いじゃない。

確かに目が動いた。

「グラティスの氷……本当に時間を止めてるんだ」

精霊の女王が言っていた言葉を思い出す。

――雪山で見えるものを、すべて信じてはいけません。

その意味が、少しずつ分かってきた気がした。

◇ ◇ ◇

それから一時間ほど登った頃だった。

突然、吹雪が弱くなった。

「……?」

それまで身体を叩き続けていた風が止まり、雪の音も消えていく。

静かすぎる。

まるで山だけではなく、世界から音そのものが消えてしまったようだった。

「オラクル?」

返事がない。

私は振り返った。

「オラクル?」

誰もいなかった。

「……え?」

さっきまで肩の上にいたはずのメリーも消えている。

見渡しても、あるのは白い雪原だけ。

「オラクル! メリー!」

声を張り上げても、返事はなかった。

咄嗟に走り出しそうになって、私は足を止める。

オラクルに何度も言われた。

雪の下に何があるか分からない。走るな、と。

「落ち着いて……」

震える手で《聖なるマップ》を開く。

そこに浮かんでいたのは、嫌な文字だった。

【現在地:不明】

「また……?」

胸の奥に、メビウス村で感じたものとよく似た不安が広がる。

その時。

背後から、声がした。

「フールちゃん」

身体が固まった。

その声を、忘れるわけがない。

ゆっくりと振り返る。

そこにいたのは――赤い服を着た小さなゴブリンだった。

「……赤?」

手には、大きな骨付き肉。

あの日と同じ姿で、あの日と同じ顔で笑っている。

「お腹すいたでぷ」

心臓が大きく鳴った。

何も言えない私へ、赤い子が笑いかける。

「フールちゃん」

その横へ、もう一人現れた。

緑の子。

大切そうに、分厚い本を抱えている。

「久しぶりでぷ」

そして。

黄色い子。

背中には、いつものお金袋。

「会いたかったでぷ!」

「……みんな」

自分の声なのに、ひどく遠く聞こえた。

三匹とも、何も変わっていない。

あの日と同じ。

私がずっと、もう一度会いたいと思っていた姿のままだった。

「本当に……?」

赤い子が、小さな手をこちらへ伸ばす。

「こっち来るでぷ」

「……」

「また一緒に旅するでぷ」

胸の奥が苦しくなる。

会いたかった。

ずっと会いたかった。

もう一度だけでいいから、あの声を聞きたかった。

一緒に歩きたかった。

くだらないことで笑いたかった。

「赤……」

私は一歩踏み出した。

「緑……」

もう一歩。

「黄色……」

三匹は、嬉しそうに笑っている。

そのすぐ先に青い氷があることさえ、この時の私には見えていなかった。

私は手を伸ばした。

あと一歩。

届く。

そう思った瞬間――。

「フール!!」

後ろから腕を強く引かれた。

「きゃっ!」

私はその場へ倒れ込む。

同時に。

目の前の景色が、ガラスのように砕け散った。

三匹の姿が消える。

代わりに現れたのは――巨大な氷の崖だった。

あと一歩。

本当に、あと一歩進んでいたら。

私はそのまま谷底へ落ちていた。

「……」

呼吸がうまくできない。

「フール!」

オラクルが私の肩を掴む。

「しっかりしろ!」

「……オラクル」

少し離れたところでは、メリーが心配そうにこちらを見ていた。

二人ともいる。

ちゃんと、ここにいる。

「何を見てた?」

オラクルに聞かれても、すぐには答えられなかった。

気づけば、頬が冷たくなっていた。

メリーが近づいてくる。

「フール……泣いてる」

指先で頬へ触れる。

涙だった。

「三匹が……いた」

オラクルの表情が変わる。

「赤と、緑と、黄色。みんな笑ってた」

声が震えた。

精霊の女王が言っていた。

グラティスの氷は、過ぎ去ったものを閉じ込める。

もちろん、あれが本物じゃないことくらい分かっている。

三匹はもういない。

どれだけ願っても、戻ってこない。

分かっているのに。

「……会いたかった」

オラクルが何も言わず、私の頭へ手を置いた。

「ああ」

「もう一回だけでも……会いたかった」

「ああ」

否定しない。

慰めようともしない。

ただ、そこにいてくれる。

それだけでよかった。

少しして、メリーが私の頬へ飛んできた。

小さな身体で、ぎゅっと抱きついてくる。

「メリー……?」

「いる」

「え?」

メリーは少しだけ考えてから、小さな声で続けた。

「赤と緑と黄色は……いない」

胸が痛んだ。

けれど、メリーは私の額へ小さな手を当てる。

「でも、ここにいる」

次に、私の胸へ触れた。

「ここにも」

上手く言葉にできないらしい。

それでも、何を伝えようとしているのかは分かった。

三匹と過ごした時間まで、消えてしまったわけじゃない。

私が覚えている限り。

あの子たちがくれたものは、ここに残っている。

「……ありがとう」

私は涙を拭い、ゆっくり立ち上がった。

そして、もう一度山頂を見る。

「行こう」

オラクルが頷く。

「今度は離れんなよ」

「うん」

メリーも私の肩へ戻る。

「メリーもいる」

「うん。離れないでね」

今度は、誰かの幻に連れていかれないように。

三人で進む。

◇ ◇ ◇

しばらく歩いたところで、突然メリーが肩から飛び立った。

「待って」

「どうしたの?」

彼女が向かったのは、何の変哲もない雪の壁だった。

ところが、近づいたメリーの羽が淡く光り始める。

「精霊」

「また声がするの?」

「いる」

メリーが両手をかざした。

すると、積もっていた雪がふわりと舞い上がり、その奥から青い氷が姿を現す。

「……!」

私は息を呑んだ。

氷の中に、何十もの小さな光が閉じ込められている。

赤。

青。

緑。

金。

精霊たちだった。

眠っているように目を閉じ、誰一人として動かない。

「こんなに……」

メリーの顔から、いつもの明るさが消えた。

「みんな……」

小さな身体を震わせながら、氷へ手を伸ばす。

私は慌ててその手を掴んだ。

「ダメ!」

「でも!」

「下で見たでしょ。触ったら何が起きるか分からない!」

「……」

メリーが悔しそうに唇を噛む。

助けたい気持ちは、私だって同じだった。

だからこそ、ここで無理をするわけにはいかない。

私は《聖なるマップ》を開いた。

【精霊反応】

【封印状態】

その下へ、新しい表示が浮かぶ。

【封印源:上方】

「上……」

私たちは揃って山頂を見上げた。

オラクルが低く呟く。

「封印の根っこが上にあるってことか」

「そこをどうにかすれば、この子たちも助けられるかもしれない」

メリーがすぐに顔を上げた。

「行く」

「うん」

「急ぐ」

「でも、慎重にね」

「……うん」

そこだけは絶対に譲れない。

◇ ◇ ◇

夜が明け始めた頃。

長い登山の末に、私たちはとうとう雲の上へ出た。

吹雪が消え、東の空から朝日が差し込む。

その光を受けて、目の前には信じられない光景が広がっていた。

山頂。

そこに、巨大な氷の宮殿が建っている。

いや、宮殿というより――氷そのものが神殿の形へ変化したように見えた。

何本もの巨大な青い氷柱が空へ伸び、透き通った階段が中央へ続いている。そして神殿の中心には、一際大きな氷の結晶がそびえていた。

その中に。

一人の女性がいる。

長い髪。

両手を胸の前で重ね、静かに目を閉じている。

まるで永い眠りについた女神のようだった。

「……誰?」

私が呟いた瞬間、《聖なるマップ》が強く光った。

【特殊存在を確認】

【名称――】

表示が一瞬だけ乱れる。

やがて、一つの名前が浮かび上がった。

【セレスティア】

「セレスティア……」

そして。

山頂を示していた【???】が、これまでで最も強く輝いた。

間違いない。

私たちが追ってきた【???】は、この女神と深く関係している。

けれど。

次の瞬間。

地図の端にある黒い点が目に入った。

「……!」

近い。

すぐ近くまで来ている。

オラクルも同じものに気づき、顔を上げた。

「来てる」

朝日に照らされた雪原の向こう。

一人の黒い人影が、ゆっくりと氷の神殿へ向かって歩いてくる。

胸元には、見覚えのある時計の紋章。

そして刻まれている数字は――。

【Ⅹ】

TIME No.10。

私たちと同じ【???】を求める者が。

とうとう、同じ場所へ辿り着いた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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