第1話 多角的に不安になる父
『次は右側に3回ぐるぐると回転してください』
『はい』
『では、右の腰を少し上げたまま、左側を向いてください』
『こうですか?』
『もう少しだけ、浮かせてください。はい、そうです』
健康診断のバリウム検査である。
世の中にはこの検査について賛否両論あるが、私はそれ以前の問題として、この検査が大の苦手だった。
炭酸を飲まされ、ゲップを我慢させられ、挙句の果てには検査台の上を右へ左へ転がされる。
仮に技師がサディストだったら、私の回転量を倍増されたり、渡される下剤が密かに一・五倍に増量されていたりするのか。
そんなしょーもない事を考えながら、言われるままコロコロと転がり、検査を終えた。
健康診断を終え、駅中にあるカフェスペースで朝食を食べるべく、ドーナツ店へ向かった。
幸い、腹の中のバリウムはまだ大人しくしている。
サディスト技師対策として、下剤入りバリウムを選ばなかったのは正解だった。
アイスコーヒーとドーナツを二つ購入し、いそいそと一人席のソファに腰を下ろす。
ドーナツを頬張りながら、私は店内を見渡した。
駅直結のオープンカフェ、周囲では家族連れが朝食を囲み、旅行者たちが楽しそうに談笑している。
私も普段なら、この時間は子供たちの世話に追われている頃だ。
共働きの我が家では、妻の帰りが遅い日も多く、子育ての大半は私の担当である。
ドーナツを瞬く間に食べ終えると、残りのコーヒーを啜りながら、ネットサーフィンをする。
仕事と子育てに追われる毎日。
こんなふうに一人でのんびりコーヒーを飲む時間など、滅多にない。
普段はおしゃれな生活とは無縁だが、今日ばかりはカフェスペースで朝食という、贅沢なひと時を満喫しよう。
そう思っていた。
いや、正確には満喫しているつもりだった。
しかし、現実はどうだろう。
ドーナツは五分で胃袋に消えた。
ニュースを眺めてみる。
『あ、梅雨入りしたんだ……』
感想はそれだけだった。
特にすることもなく居た堪れなく店を出た。
慣れない事はするものではないな。
昔はもっと上手に一人遊びができたはずだ。
子供ができてからは一人の時間が極端に減った。
不自由な生活に、いつの間にか慣れてしまったのだろう。
そう自己分析した後に、ふつふつと湧き上がる感情を抑えきれず、激しく後悔した。
アイスコーヒーとドーナツ二つで850円、滞在時間10分。
…
…
ラーメン食べればよかった!
何がオシャレタイムだ、B級グルメバンザーイ。
自宅へ戻ると、妻と子供達の姿は無く、出掛けた後だった。
『そういえば、整体に行くって言ってたな』
そのうち帰ってくるだろう。
私は渡されたバリウム用の下剤を二錠飲んだ。残りは四錠、何か多くない?
やはり技師はサディストだったのか。
ピンク色の小さな下剤を見ると思い出すのが、昨年に起きた誤飲事件だ。
妻が飲み残した下剤を、一歳半になる娘がお菓子と思い飲んだのだ。
妻は慌てて口に手を入れたが、時すでに遅く、飲み込んでしまった。
仕事終わりに同僚と談笑していたところに連絡が入り、慌てて帰宅したのを覚えている。
帰宅途中の電車で、AIアシスタントのチャッピーに質問を投げかけた。
チャッピーは冷静に分析し、まずは様子見を提案してくれた。
娘の症状も妻の話を聞く限り緊急性も無さそうだったので、若干安心しつつ、ジェネミにも問い掛けた。
できる大人な私は多角的に情報を取り、安心したいのだ。
ジェネミの回答
至急、医療機関へ連絡してください。
......
......
どうなってるんだ!一大事じゃないか!
AIに翻弄され、飛んで帰宅した私は一目散に娘の元へ向かうと、お兄ちゃんと元気に遊ぶ姿がそこにあった。
妻の話では、
『機嫌良くしてるから、様子見してる』
慌てて連絡してきた時とは別人の様な冷静さでさらりと言った。
いや、そこまで冷静になれるなら、経過報告をして欲しい。私だけが取り越し苦労ではないか。
その後、娘は下剤を飲んだにも関わらず、腹痛で泣くこともなく、いつもよりちょっと多いかなという程度のうんちをした。
汗と涙と努力が青春なら、汗と涙と糞尿が子育てである。
因みに私の腹の中で燻っていたバリウムは六錠目の下剤により、見事にその任務を果たした。
果たし過ぎたとも言う。
翌日の保育園で、『今日のバブ子ちゃんのうんちがかなり緩いです』と先生に言われた妻は、押し黙るしか無かったと後に私に語った。




