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雪がチラチラと舞い始めた空を見上げてリリーはため息をついた。
オルフェルクス領は王都から離れた自然豊かな田舎ということもあり、冬の間は深い雪にとざれる。
夏も涼しく過ごしやすいが、冬の雪の深さの為に訪れる人は居ない。
リリーはフェリシア姫の侍女として数年働いてきたが、先月から姫の婚姻に伴いオルフェルクス領へと引っ越してきたのだ。
王都から数日かけてやってきた田舎ということもありフェリシア姫のストレスは相当なものだ。
「リリー!グズグズしていないで寒いんだから早く暖かい飲み物をよこしなさい。ブランデーを垂らすのを忘れないでよ」
どすの利いた声で命令されてリリーは紅茶にブランデーを垂らした。
気分でブランデーを入れるのか入れないのか分からないのが毎回困る。
フェリシア姫は毛皮の絨毯の上に寝そべって愛人からの手紙を読んでいる。
(全く信じられないわ。辺境伯と結婚が決まっているのに恋人たちと縁を切らないなんて)
リリーは内心怒りながらも無表情を貫いてフェリシア姫の近くに紅茶が入ったカップを置いて頭を下げた。
王都でやりたい放題過ごしていたフェリシア姫は今年で20歳。
黒く長い髪の毛と真珠の様な大きな瞳、少し幼さを見せる可愛い顔で沢山の男性とお付き合いをしてきている。
同時に数人の男性と付き合っているためにフェリア姫の父親であり国王は侍女達に口止めをしていたほどだ。
男と遊んでいることが世間に知られれば可愛らしい姫というイメージも悪くなる。
なおかつ世間ではお優しい姫様で有名だが、侍女の間では悪魔付姫と呼ばれているほど性格が悪い。
そのために、フェリシア姫についた侍女は早ければ数日で辞めてしまうような状況で役5年も続いているリリーが一番の年長になっている。
頭を下げて部屋から退出して薄暗い廊下を歩いて侍女室へと下がった。
フェリシア姫とオルフェルス領のアルヴェイン辺境伯との結婚が決まり、ついてきた侍女はリリーと同僚アンリのみだ。
アルヴェイン伯爵のお屋敷は広く小さな城だ。
王都から移動すること数日、田舎の領土を守っているアルヴェイン家との結婚はある日突然決まった。
初めは文句を言っていたフェリシア姫だったが、大きなアルヴェイン家の城を見てから機嫌が良くなった。
だがそれも数日の事で、石垣で囲まれた城の一室を与えられてフェリシア姫は初めは喜んでいたもの飽きてしまい怒鳴り散らすことが多くなった。
侍女室へと入ると薄暗いランプに火を入れていたアンナが振り向いた。
「あら、お帰り。やっとフェリシア姫から解放されたの?」
「愛人の手紙を読んでいるから今は大丈夫よ。多分あのまま寝るんじゃないかしら」
リリーが呆れながら言うとアンナも呆れた様子でお茶を淹れてくれる。
室内は暖炉を燃やしているが薄っすらと寒い。
「雪が降って来たわよ」
リリーが言うとアンナは頷いた。
「初雪らしいわ。フェリシア姫は王都に居た頃は毎晩のように男と会っていたけれど、今は手紙のやり取りだけで良く満足しているわねぇ。私、もうすぐ男を呼び寄せると思うわよ」
「男なんて呼び寄せたらアルヴェイン伯爵に見つかってしまうじゃない。この砦の様なお城に他人が出入りできると思う?」
リリーが言うとアンナは肩をすくめる。
「思うわよ。我儘姫だもの。どんなことをしても男と会うわ、アルヴェイン伯爵さまは尋ねてこないじゃない、見つかる恐れはないわよ」
「確かに。でも使用人が多いから無理よ」
リリーは頷いてアンナが淹れてくれた暖かいお茶を飲んだ。
アルヴェイン伯爵との結婚はフェリシア姫の父親、現王が決めた結婚だ。
突然の結婚話に渋っていたフェリシア姫だったがアルヴェイン伯爵を一目見て速攻で承諾したのだ。
アルヴェイン伯爵は今年29歳。
辺境伯ということもあり、国境の砦を剣を持って守っているのに忙しいという情報から無骨なイメージがあったが実際は美形の男性だった。
フェリシア姫は一目で気に入り結婚を承諾していたが、その後も男と遊ぶことを止めていなかった。
アルヴェインはフェリシア姫の男癖の悪さを知っているのか不明だが、姫を訪れることはほとんどなかった。
「男遊びも満足にできなくてフェリシア姫は最近機嫌悪いじゃない。もうお世話するのもうんざりだから私、来月ぐらいにこの仕事退職するわ」
同僚のアンナの言葉にリリーは驚きつつも頷いた。
「わかるわ。私だって辞めたいけれど、実家は母と兄の家族が居るから帰れないわ」
「リリーの家は伯爵家でしょ。家だって広いんだから帰ればいいじゃない」
「無理よ。兄のお嫁さんと子供に悪いじゃない。お局が帰って来たわと思われても嫌よ」
リリーは顔を顰めるが、アンナは首をかしげる。
「ここに居るよりましだと思うけれど。お城の人は皆優しいんだけれど、フェリシア姫が無理。我儘が酷くなっているんだもの。いい加減私も田舎に帰るわ」
「そうね。私も少し考えてみるわ」
少し冷めた紅茶を一気に飲んでリリーは立ち上がった。
「どこに行くの?」
「フェリシア姫のご様子を見てくるわ。寝る前に一応ご挨拶してくるわ」
「私の分もよろしく」
アンナに言われてリリーは苦笑しながら頷いた。
侍女室を出て薄暗い廊下を歩く。
「やっぱり夜になると冷えるわね」
上着を着てくればよかったと思いつつ手をこすり合わせながら歩く。
暗闇の廊下を歩いてくる人影が見えた。
幽霊かと身構えていると、アルヴェインだった。
黒いロングコートに黒く長い髪の毛を1つのまとめているアルヴェインは闇の住人のようだ。
明かりに反射して腰の剣だけがうっすらと光っている。
立ち止まって頭を下げているリリーにアルヴェインは声を掛ける。
「畏まらなくてもいい、いちいち立ち止まって頭を下げていたら仕事にならんだろう」
「はぁ」
なんて答えていいか分からず気の抜けた返事をするリリーにアルヴェインは黒い瞳で見つめる。
「フェリシア姫の所へ行くのか?」
「はい。そろそろお休みのころだと思いますので」
「俺の分もよろしく伝えてくれ」
アルヴェインはそういうと去って行った。
後ろ姿を見送りながらリリーは眉を上げる。
「まぁ、ここに愛は無いわね」
王が決めた結婚を断ることができなかったのだろうとリリーは推測して内心ほくそ笑んだ。
(あの愛らしいフェリシア姫になびかない男性もいるのね。アルヴェイン様はきっといい方だわ)
すべての男性と言っていいほどが猫をかぶったフェリシア姫の虜になっていた。
一人や二人ならまだ可愛げがあるが、リリーが知る限り10人以上の愛人がいる。
その中には既婚者もおりよくバレないものだと逆に関心をしてしまう。
それでもフェリシア姫の父には全てわかっていたのだろう。
辺境の田舎、冬は雪で閉ざされるような砦の城に閉じ込めておこうとアルヴェイン伯との結婚を言いつけたのだろう。
「一番可愛そうなのはアルヴェイン様かもしれないわね」
リリーは呟いてフェリシア姫の部屋へと向かった。




