十七基目 宗教団体
関口さんが部活に顔を出したその夜のことだった。
夕食のテーブルには、いつものように幽子の姿があった。
彼女は専用の茶碗と箸を手に、狙うは渡邉惣菜店の唐揚げである。
「幽子、お前もう四つも食っただろ。いい加減に遠慮しろよ。」
「いいだろ、まだ残ってるんだから。ケチ臭いぞ、しんいち。」
唐揚げをめぐる小競り合い……いや、賑やかな攻防の末、食事を終えると、自分と幽子はテーブルを挟み静かにお茶をすすっていた。
ふと、幽子が湯呑みを置き、声を潜めるように言った。
「そういえば今日な、藤原さんと一緒に新聞部に顔を出してたんだが……」
「おっ、どうだった? 椿ちゃんと一緒に地図を作るって言ってたろ。順調にできたのか?」
自分が身を乗り出すと、幽子は一度うなずいて答える。
「ああ、その作業自体は順調だった。藤原さんが印刷して、みんなに配るって言ってたぞ。」
そこで言葉を切り、彼女の表情がわずかに硬くなる。
「私が話したいのはそのことじゃない。その作業が終わって、藤原さんと帰ろうとした時だ。」
「ん?」
含みを持たせる調子に、自分は湯呑みを置き、耳を傾けた。
「新聞部の部員がな、『私、この人見たことあります』って新見さんに詰め寄ってたんだ。
そいつが手にしてたのは……あのシールを貼ってた二人組の写真のコピーだった。」
「……は?」
思わず間の抜けた声を漏らす。
目を見開いたまま、身体の動きが一瞬止まってしまった。
「それって……あの二人組が見つかったってことか?」
思わず問い返すと、幽子は「う~ん」と曖昧に唸っただけだった。
「その声を聞いたのは、藤原さんと新聞部の部室を出る直前でな。振り返ったら、もう新見さんが誰かに詰め寄られてる最中だったんだ。
戻ろうかとも思ったんだが……新見さん、かなり慌てていてな。とても話に割って入れる空気じゃなかった。結局、藤原さんと一緒にそのまま部室を出たんだよ。」
幽子の説明に、肩の力が抜ける。
……いったい誰なんだ? 何が見つかったんだ?
答えのない疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡り、落ち着かず視線が宙を彷徨った。
「そう焦るな。どうせ明日には何か進展がある。ゆっくり待て。」
幽子は湯呑みに口をつけ、平然とお茶をすすった。
自分も諌められるように「ふぅ」と息を吐き、諦め気味にお茶を啜る。
しばしの沈黙のあと、幽子がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば……今日、関口が来てただろう。あいつ元気にしてたか?」
「ああ、相変わらずだったよ。古墳の資料や、十年前に片原であった心霊騒動の話も聞けたんだ。」
自分が嬉々として話すと、幽子は肩をすくめる。
「……なんでそんなことまで知ってるんだ、あいつは。流石オカルト部の部長だな。頭が下がるよ。」
呆れたように言った幽子の顔色が、ふと変わった。
顎に手を当て、ぽつりと呟く。
「しかし……ピラミッドに古墳……それに、突然中止になった発掘か。あの中には何が眠ってるんだ……?」
幽子の視線は遠く、まるでそこに何かを見透かしているかのようだった。
「ああ……面白くなってきたよな。」
思わず笑みを浮かべて呟くと、幽子は怪訝そうにこちらを見やり、「お前も関口と変わらないな」と吐き捨てるように言った。
「それで……顧問の最木だっけ? そいつにはいつ会えるんだ?」
「うーん、木村さんが連絡するって言ってたからまだ未定だな。でも、今は流れが来てる感じだから、早めに会えた方がいいんだけど。
あ、そういえば幽子って、最木先生に会ったことなかったっけ?」
何気なく尋ねると、幽子は小さく首をかしげた。
「一度だけだな。文化祭の準備の時に。メガネかけた、ちょっとナルシストっぽいやつだろ。……私はああいうタイプは好きじゃないな。」
顔を歪め、手をひらひらと振る幽子。
自分は苦笑いを浮かべながらフォローを入れた。
「ああ見えて、意外と良い先生なんだよ。」
そして翌日の放課後。
自分はいつものようにミス研の部室で机に腰を下ろし、胸の鼓動を抑えながら、新見さんの話に耳を傾けていた。
新見さんの口から告げられたのは、昨日幽子が言っていた『シールを貼っていた二人組』に関わる話だった。
「……実は今、新聞部ではある団体について取材してるんだ。」
そう切り出した彼女の声音は、どこか探りを入れるように低い。
「団体?」と誰かが問い返すと、新見さんは少し間を置き、静かに言った。
「ああ!『天羅学苑』って名前の宗教団体だ。」
初めて聞くその響きに、部室の空気が一瞬ぴんと張り詰めた。まるで学校のような名だ。だが新見さんの説明は、それがただの学び舎ではないことをすぐに示していった。
「表向きは『自然と共生するための学び舎』を掲げていて、最近、二十代の若者を中心に人気が出てきている団体なんだ。
活動もセミナーや教育相談、自然保護のボランティアなんかが中心で、一見すると自己啓発サークルや教育団体と見分けがつかない。だから外からは、宗教団体だなんて気づかれにくい。」
彼女は資料をめくる指を止めずに続ける。
「代表は『黒崎天女』っていう女性。だけど彼女は『教祖』じゃなくて『学苑代表』って呼ばれているんだ。
そして周囲の幹部たちは『先生』や『講師』と呼ばれていて、会員は『生徒』と呼んでいて。『信者』とか『出家』なんて言葉は徹底して避けられてるらしい。」
その口調には、単なる興味以上の警戒がにじんでいた。
「しかも、あの団体はよくある強引な勧誘をしない。セミナーやイベントに参加する人はあくまでも『会員』って扱いで、むしろ健全なイメージを与えている。
登山やキャンプ、海岸の清掃といった自然活動を通じて自然の大切さを学び、ボランティア活動で『徳を積む』っていうのが彼らの理念みたいだ。」
新見さんは言葉を区切り、顔を上げた。
「……そういうところが、今の若者たちに受けてるんだと思う。」
その説明を聞き終えたとき、部室にはしばし言葉がなかった。
一見するとそんな団体がこの事件に関わっているのか疑問に感じてしまう内容ではある。
重たい沈黙を切り裂くように、幽子が口を開いた。
「……宗教団体の概要は分かった。だが、新聞部がどうやってそこに行き着いたのか、その経緯を話してくれないか?」
その声音には、どこか核心を突くような鋭さがあった。
新見さんは少しだけ顎に手を添え、淡々と語り始める。
「了解した。幽子さんの質問に答えるとしよう。……先ほども言った通り、新聞部は天羅学苑について調べていた。決して『怪しい団体』と決めつけていたわけじゃない。むしろ逆だ。若者を惹きつける理念や、既存の宗教団体と一線を画す経営体制。そこに取材対象としての価値を見出したんだ。」
彼女は資料を指先でなぞりながら続ける。
「代表の黒崎天女……もっとも、メディアでは『黒崎菜々子』の名を使っているけど。彼女はコメンテーターとしてテレビに出演したり、YouTubeでキャンプや登山初心者向けの動画を配信して人気を集めている。……新聞部としても、今まさに話題の人物として調べる価値があったわけだ。」
そこまで語ると、新見さんは一瞬だけ声を落とした。
「そして、先週の日曜日。黒気味町で学苑のセミナーが開かれた。ダメ元で正式に取材を申し込んでみたら、驚いたことに承諾が下りたんだ。」
部室に微かなざわめきが走る。
新見さんはその反応を見届けてから、さらに一段と低い声で告げた。
「……そして、取材に赴いたメンバーの話によれば、迎えに現れたのは、例の写真に写っていた二人組だったそうだよ。」
一言が落ちた瞬間、ざわめきは完全に消えた。
窓の外で吹いた風が、古びた窓枠をかすかに揺らす。誰も言葉を発さず、ただ互いの顔を見つめ合った。




